神剣の前では、石の兵も一太刀です
【前回までの人物】
・アルト・レイン:白鐘の迷宮の入口で神剣ルクシアを前受けした探索者。迷宮は未踏破で、前受けの一枠も未精算。リゼと七階の扉の手前まで進んだ。
・リゼ・フェルナ:測図と遺物鑑定を仕事にする女性。アルトと帰り道を記録しながら進む。左掌の傷はまだ治っておらず、強く握る作業は出来ない。
七階の扉は、休んでいる間も、俺たちを急かさなかった。
向こうから足音はしない。左右の白い灯りが、低い天井を照らしている。俺は柱の外側に座り、リゼさんが砂時計を裏返すのを見た。
六階で光刃を使った分だけ、胸の奥に空きがある。神剣ルクシアを膝の横へ置き、水筒の蓋を開けた。
「ここで、まず十分。左は通路なので、足を出さないでくださいね」
「分かりました。……この剣、座ってると、すごく場違いですね」
光を含んだ刃と、擦れた俺の革靴を見比べる。
リゼさんは、栗色の髪に編み込んだ細い三つ編みを肩へ戻し、口元を緩めた。
「私が初めて見た時は、図録の中に座ってましたから」
「その座り方、俺には出来ないです」
笑うと、飲みかけの水が喉へ引っ掛かりそうになった。
ここまで来たのは、剣の切れ味だけではない。道を選んでくれた人と、同じ場所で笑って休めている。
俺は水筒を閉じ、肩を壁へ預けた。
砂が落ち切る頃、抜けていた力が戻ってきた。
十分を、実際に座って過ごした。焦って立ったり、途中で次の部屋を覗きに行ったりはしていない。
光刃を使う前と同じ満ち方を、胸の奥に確かめる。
リゼさんの左掌の布は、まだ外れていなかった。
「手、さっきより痛くないですか」
「増えてはいません。強く握ることは、まだ出来ません。扉を押すなら、お願いします」
「はい。地図の方は、お願いします」
役目を返すと、彼女は右手で図録を開いた。
*
扉の三つの窪みは、宝石を入れる穴ではなかった。
少なくとも、昨日売った三つの灯晶を持ち帰れば開く、と決められる形ではない。縁に、石の割れた筋がある。中を灯りで覗くと、穴は奥へ繋がらず、同じ深さで止まっていた。
リゼさんが、右手の小刀の柄を、窪みの近くへ並べる。
「ここに出っ張りがあったのかもしれません。ですが、折れた物を戻せと言われているとは限りませんね」
「扉を動かす取っ手?」
「その可能性があります。床を見てもらえますか」
二本の筋は、扉の下から左右へ伸びていた。
リゼさんが、小道具の包みから刷毛と薄い木の楔を出してくれた。俺は膝をつき、筋へ溜まった乾いた砂を、その刷毛で払った。片方は長く、片方には途中で欠けた金具が挟まっている。
扉は奥へ開く物ではなく、左右へ引く造りらしい。
リゼさんが、上の継ぎ目を灯りで追った。支えと、板の分かれ目を別々に確かめる。
「引戸なら、上から落ちる物ではなさそうです。ただ、力ずくで壁ごと動かすのは、待ってください」
「壁まで切るつもりはないです。……どこまでなら、外せそうですか」
彼女は、すぐに正解を言わなかった。
触れられる所を見て、右の板が僅かに動くことを確かめる。左の金具を除けば、同じ幅を動かせるかもしれない。
俺は彼女が通路側へ下がったのを見てから、ルクシアを抜いた。
刃を、金具の浮いている端へ入れる。
骨の硬い魔物を斬った時より、ずっと小さく手首を返した。
かつん、と、切り離した端が床へ落ちる。
神剣は、こんな細い仕事でも、刃を立てた場所だけを通ってくれた。
金具を外してから、扉を引く。
最初は動かなかった。
足を置き直し、片方の板を、持てる縁から少しずつ横へ送る。砂が擦れる音がして、白い光の間に隙間が生まれた。
向こうは、通路だった。
「開きました」
「……はい。本当に」
リゼさんの声が明るくなった。
俺は扉を途中で放さず、人が一人通れる幅まで動かす。戻らないかを確かめ、木の楔を挟んだ。
彼女は、壊れた取っ手らしい三つの跡を、図録とは別の紙へ写した。
何が元々付いていたかまでは、まだ分からない。帰ったら組合へ渡す記録が、三階の格子に続いて一つ増えた。
「今の、切る方を見ていたかったです。写してる間に終わってしまって」
「帰りにも、切る物を探さないでくださいね」
「探すなら、開ける物です」
言い直した顔が、あまり反省していなかった。
*
八階では、正面の壁が歩いてきた。
最初は、そう見えた。
灯りの届く先で、四角い石の塊が、二本の足を床から抜く。肩の高さに、丸く光る核があった。
もう一体は、右の柱の向こう。先に動いた一体へ気を取られている間に、通路の横へ出ようとしている。
「右にも。一体、柱の手前です」
「見えました。後ろ、お願いします」
リゼさんは入口の窪みへ下がった。俺の背中から、足音が離れる。
前の石人形が、腕を上げた。
大きい。人の頭より太い腕が、通路を横に払おうとしている。
俺は、一歩、内側へ入った。
振り始める前の脇へ、ルクシアを斜めに通す。
重さに押し戻される覚悟をしたが、刃は、その覚悟より先に向こうへ抜けた。
石の腕が、核のある肩ごと胴から外れた。
斬った、という音は短かった。
石が床へ崩れる音の方が、ずっと長く響いた。
右の一体が、柱の横へ出る。
その時には、俺はもう剣を戻していた。
十歩も離れていない。向こうの壁まで、リゼさんも、他の人もいない。
刃の先へ光を通した。
「そこ、通さない」
放った光が、石人形の胸を斜めに横切る。
核の光が消え、上半身が、ずれた形のまま一瞬残った。
次の瞬間、膝が折れた。
広い通路が、二度目の砂埃で白くなる。
胸の奥から、光刃一回分の力が抜けた。けれど手の中の剣は、さっきと同じ切れ味を残している。
通常の一撃と、離れた一撃。
入ってきた二体は、どちらも、もう動かなかった。
「……後ろ、来ていません」
声を掛けてから、リゼさんは崩れた石を見た。
「装甲を削る必要が、ないんですね」
「俺も、今のはちょっと……気持ちよかったです」
正直に言うと、彼女は目を丸くしたあと、笑った。
「はい。いまの言い方なら、分かります」
俺も笑った。
強い剣を持った。ちゃんと、強かった。
それが嬉しいと言うのに、知らない言い訳を付けなくてよかった。
砂が落ち着くのを待ち、動かない石の核の周りを確かめた。芯に残った魔石を二個回収し、六階で取った二個とは、布を分ける。
価値はまだ分からない。帰るまで、財布の銀へは足さなかった。
*
九階は、風のある階だった。
壁の上に細い通気孔が続き、灯りの火が横へ流れた。赤い薄板を羽根のようにした小さな仕掛けが、奥の梁の下に三つ、止まっている。
リゼさんは入口で足を止めた。
床に、羽根と同じ色の、古い破片が落ちていた。
「上、見えますか。飛ぶ物か、吊られて動く物か、まだ分かりません」
俺は剣を抜き、左の壁へ近づきすぎない所へ立った。
一つ目の薄板が鳴った。
梁の陰から、丸い胴が振り出される。吊られた線はない。三枚の羽根を回し、低い音で浮いていた。
まっすぐ俺へ来る。
ルクシアで受けた瞬間、胴は二つになった。
だが、後ろの二つは同じ道へ並ばず、左右へ分かれた。
壁に近い一つが、リゼさんのいる入口へ角度を変える。
「右、下がって!」
彼女は俺へ走り寄らず、手前の曲がり角へ戻った。
射線から外れた。
俺は、右の一つと、壁の間へ光を放つ。
薄い羽根がばらばらになり、丸い胴が落ちた。
残る一つは、もう頭の高さへ来ている。
避けるだけなら、追って背中へ回る。
俺は膝を曲げ、横へ振られた羽根の下へ体を沈めた。
剣を上へ返す。
切り離された羽根が、通り過ぎる俺の後ろで、乾いた音を立てた。
胴は、半歩先へ落ちた。
普通の斬撃二回。光刃一回。
魔力を使い切らなくても、十分に速い。
俺は追撃を探さず、剣を構えたまま、梁の奥を見た。
「三つとも、落ちています。奥に、同じ形は見えません」
声のする方へ顔を戻す。
砂色の上着の裾を押さえ、リゼさんが角から顔を出していた。
左手は胸の前。右手に灯りを持ち、ちゃんと立っている。
「当たってませんか」
「はい。呼んでもらって、戻れました。……今、近くへ行くより、角を使う方がよかったですよね」
「よかったです。剣、そっちへ向けずに済みました」
彼女の肩が下がった。
俺も息を吐いた。剣が強いのと、誰も傷つけずに抜けられるのが、同時に嬉しかった。
浮いていた仕掛けの破片は、素手で拾わないことにした。動力の位置も分からず、羽根の端は尖っていた。
回収したのは、離れた壁際に落ちていた三角の刻印板一枚だけ。壁の古い案内にも、同じ形の欠けがあった。リゼさんは落ちていた場所と壁の印を写し、まだ取り付いている部分には手を触れなかった。
それでも、印を読めたことにはしない。鑑定するための、別包みになった。
*
十階へ続く通路は、音がよく響いた。
剣を持つ手より先に、俺の足が、少し重くなっていた。
強い物を持っていても、降りる段の数までは減らない。俺は平らな場所で、リゼさんへ声を掛けた。
「一度、座りませんか。今度は、俺の足の方です」
「賛成です。私も、ここまでの線を繋ぎたいです」
広がりのある角を選び、二人で来た道を見渡せる位置へ座った。
彼女が砂時計を置く。今度は、二回。
二十分、地図を広げ、水を飲んで、足を休ませた。八階と九階で減った分の魔力も、休んだ時間に合わせて戻った。
俺は残していた保存食を、自分の包みから少し出した。今日の昼の分。リゼさんも、自分で持ってきた物を広げる。
乾いた肉は硬かったが、噛んでいると塩が利いてきた。水の冷たさが、さっきより長く喉に残った。
「この線、帰りに使えます。扉の楔の場所も、書きました」
右手のペン先が、七階の印へ戻る。
昨日より下へ進んだ線と、元の北階段へ繋がる線が、一枚の紙の上に並んでいた。
「知らない所が、帰れる道に変わるんですね」
「はい。それが、一番好きです」
彼女はすぐ答えた。
それから、少し照れたように、水筒へ手を伸ばす。
「あ、もちろん、宝箱も好きです」
「そこは、なくならなくていいと思います」
リゼさんが声を立てて笑った。
俺は彼女の地図へ、どこで剣を振ったかを指で示した。石人形が崩れた位置、飛ぶ仕掛けが来た角度。帰る時に、残した破片の所へ足を出さずに済む。
小さな印が増えるたび、剣で切った先を、リゼさんが道へ戻していく。
図録の端から、古い紙片が覗いた。リゼさんが挟み直そうとした時、そこに、今の地図とは違う丸い文字が見えた。
「それも、この迷宮の?」
「いえ。祖母と歩いた、町の外の道です。私が最初に描いたので、線が随分、曲がっています」
彼女は隠さず、一度だけ紙を広げた。井戸の印だけが、大きい。
「喉が渇いたので、ここが一番大事だと思ったんです」
「今でも、大事だと思います」
「はい。ですから、残しています」
今の道が描ける人にも、最初の曲がった線がある。俺は膝の横の神剣を見た。これを借りなかった時の俺なら、彼女の地図にある井戸を見つけて、大喜びしただろう。
入口でもらった力で、その先へ来られた。それなら、自分の覚えたことも残して帰りたい。
俺は紙の余白へ、休んだ場所を一つ、指で示した。次にここを歩く時、剣の強さだけで、今日の足の疲れを忘れないために。
*
十階から十一階へは、足を止めながら進んだ。
道は一度、二つに分かれた。俺は広い方へ目をやったが、リゼさんは、壁の白い溝を見ていた。
片方は、行き止まりの水の流れた跡へ続いている。もう片方には、擦れた矢印が残る。
図録に同じ階の完成図はない。だからこそ、その場で確かめ、白い印を置き、帰り道の記録を増やした。
神剣を扉へ向ける場面は、もうなかった。
歩けば通れる所まで切り広げる必要はない。
十一階の細い廊下では、壁の隙間から一体だけ、石人形が出てきた。
肩が通り切る前に、俺は横へ踏み込み、核のある胸をルクシアで斬った。
通常の一撃。
崩れた石が足を塞ぐ前に、リゼさんと一緒に下がる。動かなくなってから、芯の魔石を一個、布へ包んだ。
これで、今日の魔石は五個。売った分を、戻したことにはならない。
剣を鞘へ戻すと、廊下が、また歩く音だけになった。
次の踊り場には、下へ続く階段があった。
柱に刻まれた溝を、リゼさんが灯りで照らす。
十二本。
俺は、つい、胸の前の表示を開いた。
前受け中の報酬、神剣ルクシア。
未精算。
新しい報酬の欄は、増えていなかった。
まだ踏破していない。当たり前だ。
だが、入口で十二層と聞いた場所の、最後へ降りる階段が、いま目の前にある。
手に持った剣が、急に、最初からここまでの長さを持った物に思えた。
「明日、じゃなくても、ここまで来られましたね」
言ってから、リゼさんの顔を見る。
彼女は灯りを下げず、俺の足と、自分の左手を順に確かめた。
「はい。疲れは、あります。でも、帰る分を残して、下を確かめることは出来ます。アルトさんは?」
「俺も。まだ、行きたいです」
神剣を持っているから、行かなければならないのではなかった。
強い物をちゃんと使い、隣の人と道を作って、ここまで来た。
その続きへ、自分で足を出したい。
階段の下から、重い物が、一度、床を打つ音がした。
さっきの石人形より深く、腹へ届く響きだった。
リゼさんの右手が、灯りの柄を持ち直す。
俺もルクシアへ手を掛けた。
まだ、十二階へは足を下ろしていない。
白鐘の迷宮の最後に、何かがいる。
俺は、階段を照らすリゼさんの灯りから目を離さず、剣の柄を握り直した。




