三人で帰る、地図の報酬
【人物のおさらい】
・アルト:迷宮の踏破報酬を前払いで受け取れる探索者。神剣ルクシアと守護環を使う。
・リゼ:鑑定と地図を仕事にする同行者。左掌を療養しながら、自分の地図帳を作りたいと願う。
朝、宿を出る前に、俺は袋の口を一度結び直した。
昨夜の夕食と今朝の食事が付いた寝台へ、二銀を払ったあとだ。
手元は四十三銀八十六銅。
今日の仕事を終えれば、俺の取り分は二銀になる。だが、まだ受け取ってはいない。共同の一銅も、別の包みのままだった。
リゼさんは、自分で買った地図帳と、班へ渡す記録用の紙を分けていた。
左の掌は、今日も荷を受ける方へ使わない。右で紙を揃え、使う分だけ、すぐ取れる所へ入れている。
「二つ、描く準備ができました」
俺を見ると、彼女は少し笑った。
「仕事の方と、帰ってから見る方?」
「はい。今日は、下から見た話も、持って帰りたいので」
俺は頷いた。
上からの話だけで、彼女の帳面を埋めに行く日ではなかった。
セシルさんは、集合場所で、空と道の両方を見ていた。
淡金の髪が、首の後ろで小さく揺れる。紺の衣に軽い鎧。正式な遠征班の仕事へ立つ人の支度だった。
「今朝の乾いた経路は、予定の範囲で使えます。崩れた枝の道は、そのまま通れない方です」
俺たちは頷いた。
今日は、外の道と見晴台の周りを確かめる。
水路の奥へ進み、核碑で次の報酬をもらう仕事ではない。
先にもらった神剣と、空を三歩進める脚具を、今、自分が受けた仕事へ使う日だ。
*
町を離れると、靴の下の音が変わった。
石畳の硬い響きが、砂と乾いた草を踏む小さい音になる。朝の空気には、町の焼き物の匂いより、土の匂いが多かった。
リゼさんは、道が広い所で一度止まり、地図の最初の線を置いた。
「ここを、今朝歩いた始まりにします。町を出た所だけだと、門の向きまで、毎回思い出すことになるので」
彼女の指が、後ろに見える屋根の並びを示した。
俺は上がれば簡単に見えると思ったが、地上を歩いた人には、地上から見えた目印が要る。
「俺も、戻る時、こっちから見ます」
答えると、彼女は頷いた。
昨日、中庭で、着いてから一歩動いてしまったことを思い出す。
戻った場所は、動く前に確かめる。
新しい力を持っていても、覚えておくと楽になることは、普通にあった。
セシルさんは、俺たちの少し外側を歩いた。
自分が先に行きたいからではなく、二人が止まる時にも、道の方を見ているための位置だった。
リゼさんが紙を仕舞うと、彼女が手で先を示す。
「次は、見晴台へ向かう分かれ道まで。上を確かめるのは、そこで足元を揃えてからにします」
「分かりました」
俺は剣の重さを確かめた。
使いたい時に使える力があるのは、やはり心強い。
今日、全員が飛べなければ仕事にならない道を、最初から選ばなくて済むのも、その力のおかげだった。
*
最初の空の三歩では、俺は遠くを見すぎないようにした。
下にいる二人から、戻る所が見える範囲。
そこから上へ出ると、地上では繋がって見えた岩の帯に、細い切れ目があると分かった。
風が、上着の裾を膨らませる。
俺は、ずっと空中へ立ち続けようとはしなかった。三歩のあと、決めていた地面の方へ下りる。
靴の底へ、土の重さが戻った。
一回目。
剣の魔力は使っていない。
「今、こっちを向いていました」
俺は、動く前に向きを示した。
リゼさんの鉛筆が、こちらへ向く。
「岩の切れ目は、私たちの立つ所から見て、どちら側ですか」
「道の奥側です。ただ、あそこを歩けるとは、まだ分かりません。上に隙間が見えた方」
「はい。見えた線として入れます」
彼女は、地上で歩いた道とは違う描き方を選んだ。
俺は、その違いを覗いた。
上に行った人間が、何でも知って帰ってきたみたいな図にならなくて済む。
その方が、次に使う人も困らない。
セシルさんが、二人の紙を見た。
「こちらは、荷を持って通れる確認ではない。班には、そのまま伝えます」
「はい。先の道が、ここから全部開けたようには、しないでください」
俺が言うと、彼女は頷いた。
弱いから通れない道ではない。
誰が何を持って通るかで、通れる道は変わる。
それを分ける役目まで、自分の強さで潰してしまう必要はなかった。
*
見晴台の下へ近づいた時、石の羽音がした。
前に聞いたものと似ている。
空の明るい所へ、石色の翼が一つ、浮かんだ。
リゼさんの鉛筆が止まる。
セシルさんの声が、短くなった。
「こちらへ。紙は後です」
彼女はリゼさんの立つ場所を、地上のまま守る方へ動いた。
俺は、それを見てから、神剣へ魔力を渡した。
光刃が、白くほどける。
石の翼と光が重なった時、硬い音がひとつ鳴り、魔物の姿が明るい欠片になって崩れた。
羽音が途切れる。
空へ残った光が薄くなるまで、ほんの短い時間だった。
俺は、剣へ流す魔力を止めた。
一度、十。
八十から、七十になった。
結界は使っていない。周りの気配を確かめても、次の翼は来なかった。俺は、結界へは手を伸ばさなかった。
「怪我は?」
セシルさんが訊く。
「俺は、ありません」
「私も、大丈夫です。紙を一枚、畳みましたが、飛ばしてはいません」
リゼさんが、自分の足元を見てから答えた。
俺は頷き、剣を戻した。
強い。
自分でそう思えることを、変に小さく言い換えたくなかった。
さっきまで、あの羽音のために止まらなければならなかった道で、二人の仕事をまた続けられる。
先にもらったこの剣を、持っていてよかった。
セシルさんは、周りを確かめ、出た場所へ印を残した。
「一体。今日の偵察中の発生として、報告します。追加の駆除報酬まで、ここで約束はできません」
「分かりました。三銀の仕事へ、俺が勝手に値段を足すつもりもないです」
俺が答えると、彼女は、少しだけ口元を緩めた。
倒せば必ず、袋へ金が増える世界ではない。
だが、金が増えなかったから倒した意味もない、とは思わなかった。
リゼさんが地図の紙を広げ直せた。
今は、その続きの方が欲しかった。
*
二度目に空へ出たのは、そのあとだった。
切れた歩廊は、地上から見えるまま、まだ切れている。飛べる俺が向こうを見たからといって、三人の通り道にはしなかった。
セシルさんが下の位置を確かめ、リゼさんも、足の置ける側へ残った。
「戻る所、ここです」
彼女が地面を示す。
「はい」
俺は頷き、空へ三歩を置いた。
さっき一度、固い地面へ戻っている。今からの三歩を、一回目の先へ無限に足しているわけではなかった。
高い側から、歩廊の向こうを見る。
岩の影に、地上では続いて見えた棚の途切れがあった。物を運ぶ人をそこへ進ませる図には、できない。
代わりに、乾いた地上の道が曲がる先の目印が見えた。
俺は、その形を覚え、下へ戻った。
着いた瞬間、リゼさんが訊いた。
「動く前に。ここで、合っていますか」
「合っています。俺、今、動いてないです」
自分で言って、少し笑った。
彼女も笑う。
昨日、失敗した方が、今日の問いになった。
セシルさんは、地上の道へ目を配ったまま、二人の返事を聞いていた。
「では、次に進むのは、下の方。見えた目印を、地上で使えるか確かめます」
俺たちは頷いた。
空へ出た二回が、地上へ戻る道を選ぶために働いた。
上へ行ける自分だけが、先に楽しい所へ行って終わりの仕事ではなかった。
*
地上の曲がり角では、リゼさんが先に図を見直した。
俺が上から見た岩は、こちらからだと半分だけ隠れている。
彼女は、見えた全部の形を地上の目印へ貼り付けず、下から分かる角だけを残した。
「これなら、次に歩く人も、こちら側から見られます」
「俺には、上からの形が先に出てきますね」
「では、その形も、別に置きます。なくす必要はないので」
彼女は二つを並べた。
同じ物なのに、違う形になる。
その違いが、間違いではなく、高さの差だと分かるようになった。
俺は、地図が出来ていく所を、少し長く見た。
魔物が一瞬で崩れる時とは違う爽快さだった。
自分の見た景色が、別の人も使える道へ変わっていく。
セシルさんが、帰る時刻の方を示した。
「今日の範囲は、ここまで。先へ足した分も、報告の仕事にはなりません」
「はい。帰ってから見る帳面の話もあるので」
俺が答えると、リゼさんが顔を上げた。
口元が、少し緩む。
もう一つ先を見たい気持ちはあった。
けれど、引き受けた範囲を終えて戻れるのも、自分で選べる方の強さだと思った。
脚具は、まだ使える。
神剣も、失っていない。
残った力を全部使い切らなくても、今日の仕事は、終わりへ持って帰れた。
*
班へ戻ってから、上の話より先に、地上の道を示した。
歩けた所。崩れたままの所。上からだけ見た切れ目。魔物が出た場所と、一体倒したこと。
リゼさんは、自分が描いた方の紙を広げ、俺の説明が向きを飛ばした所で、短く問い返した。
セシルさんが、護衛と連絡の側から見た範囲を添える。
三人が同じ場面を、同じ言葉だけで繰り返す報告にはならなかった。
それぞれの紙が揃い、受領の印が付く。
組合を通じた支払いは、決めた通りだった。
俺へ二銀。リゼさんへ一銀。
セシルさんの分を、この三銀から勝手に分ける話にはしていない。彼女は正式な班の職務として来ていた。
硬貨を袋へ戻し、俺は数えた。
四十五銀八十六銅。
今朝の宿代を払う前へ戻ったのではなく、今朝の四十三銀八十六銅へ、自分で働いた二銀が加わった。
新しい前払いは、今日はない。
核碑へ辿り着いてもいない。
それでも、強い自分と、地図を描く人と、道を守る人が、それぞれ働いて、帰ってきた。
最初から、全員が同じ力を持つ必要はなかった。
*
セシルさんは、受領の済んだ図を、班の控えへ揃えた。
それから、手袋の片方を少し緩めた。
道の上では見なかった動作だった。
「私の方も、今日の分は終わりました」
彼女が言う。
俺は、剣を使った時だけでなく、彼女が一度も紙へ顔を伏せ切らずにいたことを思い出した。
俺が上へ行き、リゼさんが地上で描いている間、周りを見続けていた人がいる。
「助かりました。俺が見ていない間の方も」
「こちらも。上からしか分からない所を、歩けた所として渡されずに済みました」
彼女はそう返し、控えの端へ指を置いた。
「子どもの頃、関所で、行った人の数と、戻った人の数を数えるのを、よく見ました。帰りの欄だけ空くのは、嫌だったので」
声は、道で指示した時より、少しゆっくりだった。
俺は頷いた。
誰かを守る役目を、単に強いから引き受ける人ではない。その人自身に、持ち帰りたい結果がある。
「今日は、三人、帰りましたね」
リゼさんが言った。
セシルさんは彼女を見て、口元を緩めた。
「はい。図も、帰ってきました」
その笑い方を見て、俺も少し嬉しくなった。
戦っている時の確かさだけではなく、終わったあとに、この人がどんな顔をするかを、今日、一つ知れた。
彼女は控えを鞄へ入れ、班の方へ向いた。
「次に頼む時は、また条件から話します。今日の三銀で、この先まで約束したわけではないので」
「はい。その時も、俺たちで決めます」
俺が答えると、彼女は頷いた。
役目を終えて、自分の行く所へ戻れる。
それも、全員が無事に帰った日の、いい終わり方だった。
*
外へ出ると、リゼさんは、提出した紙とは別の帳面を開いた。
最初の頁にある、町と夜景の点。
今日の外縁の線は、その次へ加わっていた。
「これが、私の方です」
彼女は言った。
仕事のための図より、少し余白が広い。上から見えた形の隣へ、地上で見た花の細い線がある。
名前は、まだ書いていなかった。
「そこに、花、ありました?」
「はい。二回目、アルトさんが戻った場所の少し先です。踏まない所を見た時、咲いていました」
俺は、思い返した。
戻る石は覚えていた。でも、その横の色までは見ていなかった。
「俺の土産話、負けたかもしれません」
言うと、リゼさんが笑った。
「帰ってから勝負って、言いましたね。でも、私も、上の景色は見ていません」
「じゃあ、勝った方が、もう一つ聞けることにしますか」
「それ、どちらも話が増えるだけです」
彼女の笑い声が、町の音へ混じった。
俺は、神剣のある腰へ手を置いた。
力を失わずに帰ってきた。その力で得た二銀も、ここにある。
そして、上からは見なかった花の話を、今、隣で聞いている。
強くなれば、一人で何でも終わらせたくなるのだろうかと、前に少し思った。
今日の俺は、逆だった。
自分で見られる場所が増えた分だけ、彼女の見た方も、聞きたくなった。
「リゼさん。帰ったら、何か食べながら、残りも見せてください」
彼女が顔を上げる。
「はい。今日の、私の報酬の方も、まずはちゃんと仕舞ってから」
地図帳が閉じられた。
なくなったのではない。続きは、自分たちで選ぶ時間へ持っていける。
俺たちは、町の道を歩き出した。
先にもらった剣は、まだ強い。
今日、自分で引き受けた約束も、ちゃんと、二人分の帰り道になっていた。




