最初の取り分は、銀貨二十枚
【前回までの人物】
・アルト・レイン:白鐘の迷宮の最深部報酬、神剣ルクシアを入口で前受けした探索者。リゼと三階まで進み、魔獣の素材と灯晶三個を持って帰るところ。
・リゼ・フェルナ:地図の更新と遺物鑑定を仕事にする女性。左の掌には救援時の傷が残る。三階の棚横に未調査の搬送路を見つけ、次の探索へ目印を残した。
帰りの階段では、荷袋が一段ごとに背中を押した。
重い。けれど、悪い重さではなかった。
三階へ下りる時には空いていた場所に、灯晶の箱がある。腰の袋には猟犬の魔石と殻。腰の剣は、最深部で待っているはずだった神剣ルクシアだ。
俺は階段の上を見て、つい笑った。
「そんなに、出口が嬉しいですか?」
右後ろを歩くリゼが訊いた。栗色の髪の、左を細く編んだ部分に、灯りの白が触れる。
「嬉しいです。でも、この荷物も。朝、これを持って帰るとは思ってませんでした」
「私もです。朝は、採集班の地図を直すつもりだったのに」
リゼは左の掌へ目をやった。布は巻いたままだ。彼女はそこへ袋を掛けず、右肩へ道具の紐を戻した。
俺も帰る速さを少し落とした。階段を早く上がれたところで、売る時間が急に増えるわけではない。
入口の風が、頬へ当たった。
暗い通路を抜けると、白い地面が眩しい。しばらく目を細めたまま、空へ息を吐く。
まだ昼の匂いがしていた。
*
「お帰りなさい。北階段から、お二人ですね」
短い茶髪の受付係が札を受け取った。
俺は頷き、今日戻ったのは三階までだと伝えた。受付の向こうでは、閉じた東の搬出口を避けて、人が通っている。
「救護の方は、もう町へ?」
「足を挟まれた方は、車で出られました。ほかの採集の方も付き添ってます。搬出口は、まだ使えませんからね」
治った、とは言われなかった。けれど、歩かずに帰る手配は出来た。
俺は肩を下げ、素材の保管札を出した。
「朝、預けた猪の分も受け取って、売りたいんです」
「では、札はこちらへ。買取の窓口は、その向こうです」
札の番号と保管された袋を確かめ、受け取った分を俺が持つ。リゼは右手で自分の綴じ帳を押さえ、俺の袋とは分けて見ていた。
途中から一緒に歩いたからといって、朝の猪まで自動で半分にはならない。
その代わり、三階で見つけた箱は、二人の間へ置く物だった。
*
買取台の上には、柔らかな灰色の布が敷かれていた。
厚い前掛けを着た男が、こちらへ手を向ける。短い顎髭に灰色が混じり、爪の脇には細かな白い粉が残っていた。
「ラウルだ。素材を買ってる。袋ごと置かずに、こっちの台へ一つずつ頼む」
俺は猪の袋を隣へ寄せ、先に二人分を出した。猟犬の魔石二個と、使える殻。それから、陶器箱の蓋を開く。
ラウルの指が、箱の上で止まった。
「灯晶か。三つとも磨いてあるな」
「三階で見つけました。間に布を入れて戻ったんですけど、細かい傷も見てもらえますか」
リゼは左手を引き、右の指で箱の端を支えた。
ラウルは結晶へ灯りを当て、角度を変える。値を言うより先に、一つずつ別の布へ移した。
「いい運び方だ。粉になってから、持ってた時は高かったと言われても、俺は困るからな」
俺は箱を背中へ入れる前の、リゼの細い指を思い出した。あの布も、銀貨になる前に必要な仕事だった。
ラウルは三つを見終え、紙へ数字を書く。
「この大きさと澄み方なら、八枚ずつ。三つで二十四。猟犬の分は、魔石と殻を合わせて四枚だ」
銀貨二十八枚。
迷宮で聞いた見込みが、台の上の数字になった。
俺はもう一度、リゼを見た。彼女は嬉しそうに頷いたが、すぐ買い手へ顔を戻す。
「それが、受け取る額ですね? あとで鑑定の分を引かれるのではなくて」
「そうだ。ここで買い取る額。持って帰って別の店へ見せるなら、それでもいい。俺はこの額で買う」
ラウルは紙を俺たちへ向けた。
脅しでも、妙に急がせる声でもない。俺は剣の強さで、この値段を決めてもらったわけではなかった。
「お願いします。売ります」
リゼも同じ返事をし、受取る者の名をそれぞれ書いた。
灯晶を包んだ陶器箱は、空にして戻してもらう。割れていない小箱なら、次に見つけた物にも使える。
*
銀貨が、二つの山へ分かれた。
一枚、二枚。数えるたび、硬い音がする。
半分ずつだから十四枚。共通で買った消耗品などは、今回はなかった。菓子と飲み物は、出発前に互いが自分の意思で買った物だ。
俺はリゼの分を、当たり前のように十四枚のまま残した。
「そっち、確かめてください」
「はい。……こんなに、まとまって受け取るの、久しぶりです」
リゼの声が小さく弾んだ。彼女も自分で数え、財布へ入れる前に、最後の一枚を指で挟む。
「あの壁の線を、ずっと気にしててよかった」
俺も自分の十四枚を見た。
剣で獣を倒せても、地図の幅が余ることには気づかなかった。見つけた物へ値段が付くと、その違いがますます嬉しくなった。
次は、朝の猪だった。
ラウルは保管の受取を確かめ、殻と魔石を調べる。切り口を見て少し眉を上げたが、そこから剣を売れという話へは飛ばなかった。
「随分、きれいに切ったな。こっちは、まとめて六枚なら買える」
「六枚……」
「耳で数えるより、目の前で数えた方が楽だぞ」
男が笑った。俺も笑い、売ると答えた。
共有の十四枚とは別に、六枚を受け取る。
今日の俺の取り分は、銀貨二十枚になった。
今朝の財布は、菓子を買ったあとで八枚と銅貨二十八枚。それが、銀貨二十八枚と銅貨二十八枚になっている。
目の前の金は、これから見つかる予定の物でも、最深部へ行かないと受け取れない約束でもない。
もう俺の財布に入った、今日の成果だった。
「……重いな」
革の口を締めると、リゼが笑った。
「荷物は軽くなったのに」
「こっちは、もっと重くなっても困りません」
ラウルが、次の客のために布を直しながら鼻を鳴らした。
「なら、箱を割らずに戻ってこい。持ってきた分は、また見る」
俺たちは礼を言い、買い取ってもらった素材を置いて台を離れた。
空になった荷袋の紐が、肩の上で軽く跳ねる。
今度は腰の方から、銀貨の音がした。
*
昼飯の肉は、通りへ出た時点で決まった。
焼く匂いが、先に腹へ届いたのだ。
俺が足を止めると、リゼも同じ店を見ていた。互いに、別の店を探すふりをしなかった。
「肉の入ったお昼、ありそうですよ」
「はい。……さっきから、もう、それしか考えてません」
青い布で髪をまとめた給仕が、入口の台へ皿を置いた。
「焼いた肉と豆で、三十枚です。パンをお持ちなら、一緒に食べられますよ」
俺は母から持たされた昼の包みを見た。朝、忘れずに鞄へ入れた物だ。保存食とは別に、今日食べるつもりで持ってきた。
ここで食べてよいか訊き、許しをもらってから席へ座る。
リゼも自分の昼飯の代金を払った。俺は銅貨三十枚を出すため銀貨を一枚崩し、財布を閉じた。銀貨二十七枚と、銅貨九十八枚になった。
増えた金が、すぐに全部消えるような昼飯ではない。
それでも今日は、これがとても贅沢に見えた。
母の包みを開くと、薄いパンが二つ折りになっていた。布へ残る家の匂いに、炭の匂いが重なる。
そこへ焼けた肉を少し載せる。
噛んだ瞬間、塩と脂が温かいまま口へ広がった。
「うま……」
言い終える前に、次を見ていた。
リゼは笑ったあと、自分も肉へ手を伸ばした。左の掌で皿を強く押さえず、右手の道具で小さく分ける。
「私も、その顔をしない自信、ないです」
ひと口食べ、彼女はすぐ喋るのをやめた。
琥珀色の目が細くなる。噛み終えてから、小さく息を吐いた。
「……帰ってきて、よかった」
俺は頷いた。
未知の道を諦めた昼飯ではない。次にあそこへ行くための昼飯だった。
*
食べてからもしばらく、席を立たなかった。
入口の影が台を横切り、水をもう一杯飲むまで、二十分ほど座った。走らず、剣を振らず、肩から荷を外していると、光刃を使ったあとの、胸の奥の欠けた感じが薄れていく。
剣は鞘の中に置いたままだった。
確かめるために店で抜いてみる必要はない。
「次、いつ行けそうですか」
俺が訊くと、リゼは水の器を置いた。まだ布を巻いた左の掌へ目をやる。
「この手の様子を見て、明日の朝に。無理そうなら、先にお知らせします。それでも、いいですか」
「はい。俺も、水と灯りを確かめておきます。今日使った分が、そのまま戻ったことにはならないですから」
彼女の肩が少し下がった。
誘いに頷いたら、痛くても行かなければいけない約束にはしなくていい。それでも、行きたい気持ちは、互いに隠さなかった。
「今から地図を合わせませんか。食べ物の皿を下げてもらってからなら、ここ、机も平らですし」
給仕へ片づけを頼み、台を拭いてもらった。
俺が空の陶器箱を端へ寄せ、リゼが綴じ帳を開く。隣へ座り直すと、砂色の上着の袖が、さっきより近くに来た。
俺はつい、椅子を引きすぎた。
「あ、そこまで離れると、線が見えませんよ」
リゼに言われ、半分だけ戻った。
指先が、今日足した白い部分を辿る。彼女は地図の方を見ている。俺も、ちゃんとそちらを見ることにした。
*
棚の横から下っていた道は、地図ではまだ短い線だった。
リゼは、手元にあった旧い階層図も並べた。自分が歩いた図とは違う紙だ。作った人も、いつの状態を写したかも違うので、重ねて一つの正解にすることは出来ない。
「この図だと、三階の下に空きがあります。でも、今日見つけた坂へ繋がるとは、まだ書いてないんです」
「階段じゃなくて、荷を運んだ跡でしたよね」
「はい。もし下へ荷を通す道なら、人の階段とは別に続いてるかもしれません。……続いていて、ほしいです」
最後の言い方だけが、説明より先へ出た。
俺も、その短い線を見た。
最深部の剣で一階から進める。強さをもらった朝には、倒せる相手を先に想像していた。それに今、知らない景色を、隣の人と確かめる楽しみが増えている。
「じゃあ、次はその道を見るつもりで。どこまで入るかは、現物を見て相談しましょう」
「はい。先が塞がっていたら、戻って、普通の階段へ。それも、地図には残せます」
リゼは、余白へ持っていく物を書き始めた。灯り、水、目印。左手の布は替えを用意する。
俺は自分の欄へ、包みの布と、箱を押さえる紐を足した。
刃が通るかどうかだけで、全部を決める支度ではなかった。
やがてリゼが、書き終えた紙を俺へ向けた。
「明日の朝、入口で。手の具合を先に見ます。そのあと、一緒に」
俺は、明日も、と心の中で繰り返した。
朝の俺には、初探索へ行く予定しかなかった。いまは、また会う人と、歩きたい道がある。
「お願いします。俺、今日の続きも、見たいです」
リゼは綴じ帳を閉じた。栗色の編んだ髪が頬へ掛かり、右手で耳の後ろへ戻す。
「私も。……今日、一緒に帰ってきた続きですから」
立とうとして、俺はもう一つだけ、訊いておきたかったことを思い出した。
「風呂のある宿って、町にありますか。さっき言ったの、冗談じゃなくて」
リゼはすぐに、ああ、と笑った。
「西門の方に。部屋と夕飯で銀貨二枚くらいの所なら、私も泊まったことがあります。今日、空いてるかは分かりませんけど」
二枚、と心の中で数えた。
今日の取り分なら、それだけの宿に何度も泊まれる。全部を宿へ使うつもりはない。けれど、風呂に入りたいと思った時、財布を開く前から諦めなくていい。
それが、銀貨の重さとはまた違うところで、じわじわ嬉しかった。
「今、もうお湯に入ってる顔です」
「そんなに分かります?」
「はい。私は、新しい図録の並んだ店を通ったら、同じ顔をするかもしれません」
彼女は自分の財布を、上着の内側へしまった。
分けた十四枚には、俺とは違う使い道がある。本でも、道具でも、今日は何も買わず次の調査のために残すのでも、彼女が決めていい。
神剣を持つ俺が、一緒に歩く人の望みまで揃える必要はなかった。
「どんな図録なら、買いたいんですか」
「古い扉の仕組みが載っている物。絵だけじゃなくて、どの迷宮で見つけたか、ちゃんと書いてある物がいいです」
リゼの声が、また少し速くなった。
剣を見せた時と似ている。けれど今度は、俺の手元でなく、これから自分で見つけたい本へ目が向いている。
「じゃあ、明日の地図の続きが書けたら、どっちも少し近づきますね」
「ええ。お風呂にも、図録にも」
二人で笑った。帰る前に皿を振り返ると、肉も、持ってきた昼の包みも、もう残っていなかった。
保存食を減らさずに済んだことより、今日のために用意した昼飯を、今日の嬉しい気分で食べられたことを、母へ話したくなった。
もちろん、猪が出たところまで聞いたら、喜ぶ前に心配されるかもしれない。都合よくそこを省いて、剣だけ自慢するのはやめよう。
帰った時に何を話すかまで考えながら、俺は布を畳んだ。
店を出る時、俺は腰の財布へ手を添えた。
銀貨二十枚を手に入れた一日だった。神剣は消えず、次の前受けをする枠は、白鐘を踏破するまでこの一本のまま。
焦って別の迷宮の入口へ走るより、明日はこの人と、今日の道の先へ行きたい。
空の荷袋を肩へ戻すと、リゼが、明日も空けてきてくださいね、と言った。
また何かを詰めて帰るつもりの声だった。
俺は、もちろん、と答えた。
最深部には、まだ一度も行っていない。
それなのに、手に入った物は、剣一本どころではなくなっていた。




