その剣、まだ誰も手に入れていないはず
【前回までの人物】
・アルト・レイン:十八歳の駆け出し探索者。白鐘の迷宮の入口で神剣ルクシアを前受けし、一階で採集班を救った。
・リゼ・フェルナ:地図の更新と遺物鑑定を仕事にする女性。救援中に左の掌を擦りむき、アルトの剣が最深部の報酬だと気づいた。
「十二層の報酬を、入口で?」
リゼは本と剣を見比べ、風にめくれた頁を右手で押さえた。
「はい。前受けを許可、って。……読み間違いかと思ったんですけど、受け取るって触ったら、剣が出てきて」
答えて剣を持ち直すと、リゼは本の頁を一枚戻した。また、同じ図だ。
「……いったん座りましょう。私、さっきから同じ頁を三回も見てます」
「俺なんか、さっきから握り直してばっかりです。消えたら困るなって」
リゼが俺の手元を見た。目が合うと、二人とも小さく吹き出した。
休憩所の腰掛けへ並んで座る。リゼの革上着に残る土の匂いに、図録の紙と蝋の匂いが混じった。
彼女が、細い指で一枚の図を示す。
「祖母にもらった、遺物の図録です。ほら、この頁。白鐘の紋様の剣で、石の青さも、鍔の端の形も……こんなに、同じ」
図の剣は、刀身を通る金の線の曲がり方まで、俺の剣とそっくりだった。
「本当に、この剣なんですか? 似たものが、ほかにもあったりは」
俺の問いに、リゼは図の端へ置いた指を引いた。
「それを、もう一つ見たいんです。柄の裏、回してもらえますか。窪みが、あるはずで」
俺は鞘から抜かずに、剣を回した。
青い石の裏側に、三つの小さな窪みがある。リゼは付箋を一枚持ち上げ、別の図と照らし合わせた。
「三つの窪みまで同じ……。神剣ルクシアなら、この印があるはずなんです。外見だけ真似た剣なら別ですけど」
「飾りだけなら、あの殻は斬れないですよね」
俺が訊くと、リゼはさっきの通路へ目を向けた。
「ええ。飾りだけなら。……あんな切り口、図録の絵みたいだとしか思えなくて」
リゼは即答してから、図の剣をそっと撫でた。
「祖母の本で見たときは、少し大げさに描いてるんだと思ってました。……本当に、あるんですね」
驚いていても、リゼは細かい印を見落とさない。俺なら、よく切れるからありがたく使おう、で終わらせていただろう。頼もしい人だと思った。
「リゼさんは、普段からこんなものを調べているんですか」
リゼは本の擦れた背を撫でた。
「この本を、祖母がくれたんです。読むだけだと、分からないことばっかりで。自分で見に行くうちに、鑑定も、地図を作るのも仕事になりました」
「それで、あの測量具を持ち歩いてるんですね」
「はい。せっかく歩いた道ですから。次に来る人にも、ここまでは行けたよって残したくて」
リゼは、図録の下から薄い綴じ帳を取り出した。
線と数字が詰まった頁の隣に、白いままの余白がある。
「ここから先は、まだ白いままです。行けた所の続きを、いつか、自分で描きたくて」
荷車の傾きを確かめていた声を思い出す。本を抱えているいまも、同じ人の声だった。
図録を閉じかけたリゼが、ふと手を止めた。
「待ってください。前受けって、その一本だけなんでしょうか」
膝の上の剣の隣に、もう一本。想像しただけで頬が緩む。
「二本目も先にって……さすがに欲張りですか。でも、予備があったら、かなり嬉しい」
「もう二本目を考えてるんですか?」
リゼは目を丸くしたあと、堪えきれずに笑った。
「……でも、私も気になります。あとから本を三回見直すより、石板へ聞きに行きませんか」
核碑へ戻ると、受付係が先ほどより落ち着いた顔で周囲を案内していた。
東の搬出口は、修理と確認のため閉鎖。通常の北階段には異常がなく、三階までの既知の採集路は利用できるという。
俺の顔を見ると、彼女は小さく頭を下げた。
「あ、さっきの。ありがとうございました。足を挟まれた方、町へ運べそうだって。歩かせず、車を使うそうです」
ほっとして頭を下げ、核碑を指した。
「よかった……。あの、もう一度、石板を使ってもいいですか」
「どうぞ。登録札は、そのままで結構ですよ」
受付係が次の人へ向き直る。
俺は核碑に触れ、さっき消えた文字を探した。
掌の下が温まる。
【前受け中:神剣ルクシア】
【対象:白鐘の迷宮】
【次回の前受け:踏破精算後に開放】
その下に、細い文字が続いた。
【踏破時の追加支給なし】
【中断による罰則なし・前受け枠は継続】
俺が読み上げると、リゼは頷いた。
「一件ずつ、なんですね。白鐘を踏破したら、次の迷宮でも受け取れる」
「入口を巡るだけで、剣も鎧も揃ったら……とは、ちょっと思いました」
俺が白い鞘を見下ろすと、リゼはその青い石を指した。
「まだ足りません? その一本で、猪が一太刀だったのに」
「いや。あれは俺も、びっくりしました」
続けて機能の文字へ意識を向けると、神剣の情報が開いた。
通常の斬撃のほかに、光刃。魔力を使い、前方へ刃を飛ばすとある。有効距離は二十メートル。
間合いまで先にもらってしまった。残りも読み、核碑から手を離す。
リゼも自分の登録札を核碑へかざす。
彼女の前には、俺からは読めない光が灯った。
「私の候補は、測量用の遺物でした。こっちは、まだ受け取れないままですね」
「俺のせいで、なくなったわけじゃないんですね」
「はい、候補は変わっていません。アルトさんと最深部まで行けたら、私も――」
そこでリゼが口を閉じた。登録札を持つ指が、きゅっと曲がる。
「あ。すみません。一緒に行くつもりで、話してしまいました」
目が合う。
俺は、少し笑ってしまった。
「いま、俺から頼もうと思ってました」
リゼの指が、綴じ帳の端を押さえた。
「俺、剣はあります。でも、道も、宝の見方も分からない。……リゼさんが一緒に来てくれたら、かなり心強いです」
リゼの肩から、力が抜けた。
「私も、行きたい場所があるんです。でも、ひとりだと……あの猪みたいな魔獣がいたら、それ以上は進めなくて」
彼女は、俺の腰へ視線を落とす。
白い鞘の中に、ルクシアがある。
「さっきの剣があれば、歩ける場所が増えそうです」
「じゃあ、一緒に行きましょう。前は俺が。道と、見つけた物は、リゼさんに頼みたいです」
俺が差し出した手を見て、リゼは右手に札を持っていることに気づいた。慌ててしまい、空いた手を重ねてくる。
「はい。……お願いします。道は、ちゃんと案内します」
重なった右手は、俺の手と同じくらい温かかった。
話は、それで決まった。
今日これから得る素材と宝は、共通の費用を引いたあとで半分ずつ。核碑が本人へ出す踏破報酬は、それぞれのもの。
進路に不安があれば、その場で止まって相談する。
今朝の猪は、同行を決める前に俺が倒したものなので、そのまま俺の取り分になった。
リゼは図録をしまいながら、保管してある素材なら、帰ってから一緒に値を確かめましょうと言ってくれた。
俺は彼女の左手の布へ目を落とした。
「その手で、無理してませんか?」
「握り込むと少し痛みます。でも、歩くのは大丈夫です。今日は知っている三階までにしませんか。途中で痛むようなら、戻りたいです」
左手を巻いた布が、指の動きにつれて張った。今日は、その手を空けて歩こう。
出発前に、門の外の露店へ寄った。
昼にはまだ早かったが、木の盆には焼きたての小さな菓子が並んでいた。薄く塗られた蜂蜜が、朝日に光っている。
リゼの歩幅が、少しだけ狭くなった。
「……買っていきます? さっきから、あの盆を見てるので」
俺が盆を指すと、リゼの肩が小さく跳ねた。
「えっ。私、そんなに見てました?」
「少しだけ。歩幅が、小さくなってました」
「……好きなんです、ここの」
観念したように言って、彼女は菓子のほうへ向き直った。
二つで銅貨十二枚。
俺が買って一つ渡すと、リゼは礼を言い、すぐ隣の店で温かい香草湯を二杯買ってきた。
「菓子のお礼に、これは私から。私、焼きたては座って食べたいんです」
腰掛けに戻り、菓子を割った。
薄い皮が指先でぱりっと砕け、蜂蜜に包まれた木の実が覗く。口へ入れると、まだ中が温かかった。
「……うまい。中まで、まだあったかい」
俺が割れ目を見つめると、リゼは得意そうに頷いた。
「でしょう。木の実を先に焼いてあるんです。……割ると、ここから匂いが上がるんですよ」
リゼは自分の分を少しずつ食べていた。
さっき、剣を見ていたときと同じくらい、真剣な顔で。
俺が笑うと、彼女は唇についた欠片を指で押さえた。
「そんなに、分かりやすかったですか」
「剣を見てたときと、同じくらい真剣でした」
「剣と比べないでください」
リゼは困ったように眉を下げたくせに、菓子は膝へ下ろさなかった。
「……剣は冷めません。でも、これは今食べたいです」
俺も、温かいうちに残りを頬張った。
仕事が落ち着いたら、じゃない。
食べたいときに買って、誰かと並んで食べる。
銅貨六枚分の甘さで、もう前の人生より少しうまくやれている気がした。
*
北階段を下りると、外の風が届かなくなった。
リゼの腰の灯りが、壁の水気を照らす。石床には荷を引いた筋と、靴の跡が重なっていた。
俺は左側を歩き、彼女には壁から少し離れた右側を選んでもらった。剣を振るなら、互いの位置を覚えておきたい。
二階へ下りたところで、リゼが足を止める。
「そこの右端、踏まないでください。前の調査から少し沈んでいます」
彼女が測量具の先で示した石は、隣よりわずかに低かった。
見てからでなければ、ただの暗い染みにしか見えない。
俺は中央へ寄った。
硬い床を、靴底で確かめて進む。
「剣がよく切れても、落ちたら困りますね」
リゼが測量具をしまいながら、横目で俺を見た。
「……道を頼んでくれて、正解でした?」
「すごく。最強の剣を持って、床に負けるところでした」
リゼは俯いたが、灯りの下で頬が動いた。笑ったらしい。
その横顔に、灯りが柔らかく当たっている。
通路が広くなった。
左右に低い壁龕が並び、奥に三階へ続く階段が見える。
その手前で、金属を擦る音がした。
リゼが、綴じ帳を閉じる。
「鉄顎の猟犬です。群れなら、一頭が前へ出て、別の一頭が横から来ます」
柱の陰から、細い脚が出た。
犬に似た体つきだが、顎が黒い金属のような殻に覆われている。口を開けると、歯が擦れ合い、嫌な音を立てた。
右側でも、爪が鳴った。
二頭。
猪より軽い。そのぶん、動きが速そうだった。
「階段の手前まで、少し下がって。左側は俺に空けてください」
リゼが頷き、足元を見ながら後ろへ動く。
俺は剣を抜いた。
正面の一頭が、低く唸る。
一歩出て、止まる。こちらが剣を振るのを待っている。
奥の一頭が柱を離れた。正面の獣から顔を逸らさず、右の壁の影で追う。
先に飛んだのは、横から来た一頭だった。
「右!」
リゼの声が飛ぶ。
「見えた!」
俺は短く返した。
踵を返す。
踏み込んできた顎の下へ、刃を斜めに引き上げた。
黒い殻が割れた。
重さが刃を押したが、ルクシアは止まらない。切っ先が抜け、獣の身体が床を滑っていく。
その瞬間、正面の一頭が走り始めた。
振り終えた俺の脇を狙っている。さっきまで飛びかからなかったのは、このためか。
剣を構え直しても、届くまでには間がある。
だから、届かせた。
柄を握り、息を吐く。
胸の奥から、温かいものが右腕へ流れた。
白い刀身の金の筋が、はっきり光る。
切っ先を、床から獣の胸へ向ける。
後ろに人はいない。リゼは俺の右後ろ。光の通り道は、空いている。
「――光刃」
短く、剣を振り下ろした。
白い刃が、剣先から離れた。
獣が跳ぶ。
届くはずのなかった距離を光が走り、その胸の殻を断ち割った。
俺から六歩ほど先で、前脚が崩れる。
獣の勢いはそこで止まった。
薄い光が、床に落ちて消えた。
俺は剣を下げず、周囲の音を聞いた。
爪の音は、もうしない。
「二頭とも、止まりました。……ほかの爪の音は、聞こえません」
リゼの声にも、少しだけ息が混じっていた。
俺は肩を下げた。
胸の奥に、ひと口ぶんだけ何かをすくい取られたような感覚がある。これが魔力を使うということらしい。
腕に疲れはない。まだ振れる。
俺は自分の手を見て、思わず笑った。
「飛んだ。……本当に、あそこまで斬れた!」
「飛んだ……。剣から、本当に」
リゼは二頭目の獣を見つめたまま、止めていた息を吐いた。それから、俺の右後ろにいた自分の足元を見る。
「あのまま来たら、私の所まで……。ありがとうございます。間に合った」
その言い方が、嬉しかった。一緒に歩いても大丈夫だと、思ってもらえたみたいで。
リゼは右手で小刀を出し、魔獣の胸元を調べた。
俺が殻を切り開くと、内側に青い魔石が見つかる。二頭で二個。使える殻の部分も合わせれば、銀貨四枚ほどになるという。
互いの荷袋へ分けて入れ、三階へ下りた。
階段の下では、天井の低い回廊が左右へ伸びていた。
リゼは既存の地図を開いたが、すぐには歩き出さなかった。
「あれ……ここ、やっぱり幅が余る。アルトさん、少し待ってください」
リゼが地図の二本の線を指で辿り、灯りを持ち上げた。
右側の壁に、半分欠けた白い鐘の浮彫があった。
「向こうの通路と測った幅を合わせると、この裏に細い空間が残るんです。前は、入口が見つからなくて」
彼女の右手が、浮彫の縁をなぞった。
俺はしゃがんだ。
裾に、冷たい風が触れる。
「リゼさん、下です。風が来てます」
俺が床を指すと、彼女は地図を膝へ置いた。
「……風? 本当だ。前に測ったときは、気づかなかった。ちょっと、灯りを下げますね」
リゼも膝をつき、髪を耳へかけた。
灯りを床へ近づけると、壁の下端に細い隙間がある。
浮彫の横に、四角い継ぎ目があった。
「ここ、扉になってるんですか?」
俺は継ぎ目の外側へ指を沿わせた。リゼが灯りを傾け、四隅を順に照らす。
「たぶん。ほら、天井を支える壁とは別の枠です。開かないのは、この鉄の留めが錆びているからかと」
力任せに壁を崩すのはやめた。
剣先を低くし、見つかった留め金だけを切る。
小さな破片が落ちた。
扉の縁を引くと、石板は静かに動いた。奥の浅い棚に、陶器の小箱が載っている。
蓋を開ける前に、リゼが封の溝と底を確かめる。
危険な仕掛けがないと分かってから、二人で覗き込んだ。
透き通った石が、三つ。
卵より小さなその石は、灯りが当たっていない部分まで、内側から淡く輝いていた。
「灯晶です。しかも、もう磨いてある」
リゼの声が、明るく跳ねた。
「リゼさん、その石……売ったら、どのくらいに?」
俺が箱へ顔を近づけると、リゼは一つの石を布越しに持ち上げた。
「この大きさなら、一つで銀貨八枚くらい。町でもう一度、傷を見ないと断言できませんけど……見てください。三つとも、こんなに澄んでる」
三つで、二十四枚。
俺は思わず、袋の中の財布を押さえた。
今朝の手持ちより、この小箱の中のほうが多い。
猟犬の分と合わせれば、見込みは銀貨二十八枚。
半分にしても、十四枚だ。
「……風呂つきの宿に、泊まれそうだ」
「私、肉の入ったお昼がいいです。……さっきから、お腹が鳴りそうで」
リゼは最後まで言わず、上着の前を押さえた。目が合って、今度は一緒に笑った。
俺はその笑顔と、石の光を交互に見た。
「俺ひとりなら、この壁の前を通り過ぎてました」
箱から顔を上げて言うと、リゼは切られた留め金を見た。
「私ひとりなら、道具を取りに帰ってます。見つけても、開けられませんから」
少し間があった。彼女が石の光を見つめたまま、声を和らげる。
「……二人で来て、よかったです」
布を折って灯晶の間へ挟み、欠けないように箱へ戻す。
その作業を終えてから、リゼは棚の奥へ灯りを向けた。
風は、小箱の置かれたところから吹いていたのではなかった。
棚の横に、人ひとりが通れる幅の通路がある。
緩い下り坂が、壁の向こうへ続いていた。
俺は入口から手の届く範囲だけ照らした。
白い石の床に、荷を運んだような古い筋が残っている。
「搬送路……でしょうか」
リゼはそこへ踏み込まず、地図へ新しい線を引いた。
「……見たい。すごく、先を見たいです。でも、今日はここまでにしませんか。地図と合わせて、次はこっちを歩く支度で来たい」
下り坂を覗きたい。でも、戻ったあとにも、楽しみはある。俺は腰の素材袋を軽く叩いた。
「そうしましょう。俺も、覗きたいのは同じですけど。次は、この先に行くつもりで来ます」
「はい。私、目印をつけますね」
彼女は壁の縁へ白い目印をつけた。
俺は箱を荷袋に収め、剣を鞘へ戻した。
入口へ戻ったら、素材を売って。
うまい昼飯を食べて、奥の道を調べて。
それから、この人と次の予定を決める。
「帰りも、よろしくお願いします。リゼさん」
「こちらこそ。アルトさん」
並んで、階段へ歩き出す。
荷袋の中で、箱を包んだ布が背中を軽く押した。
俺には、もう最深部の神剣がある。
その剣で手に入れたいものは、どうやら、まだまだ増えそうだった。




