最強の剣で、明日の一撃を選びます
【前回までの人物】
・アルト:神剣と守護環を持つ探索者。攻撃禁止の境界調査を終え、追加報酬を受け取った。鉄牙回廊は未踏破。
・リゼ:鑑定と地図を担う同行者。調査中に左掌の痛みが増し、自分で作業を終えた。
・ミーナ:短期契約の魔術師。砂術を使わず退路を見張り、午後の自分の予定へ戻った。
肉を食べ終わった皿には、豆が一粒だけ残っていた。
俺はそれを拾って口へ入れ、宿の女主人へ六十銅を渡した。昨日までの食事にも、調査の報酬にも含まれない、自分で頼んだ一皿だ。
「百銀五十六銅から、九十九銀九十六銅」
「数えながら食べると、味が逃げるよ」
「食べ終わってからにしました」
「そのために豆を残したのかい」
違います、と言いながら、俺は少し笑った。
続けて今夜の宿代を銀貨二枚。朝食込み。財布は九十七銀九十六銅になった。用途を決めていない共同の一銅は、別の封筒のままだ。
神剣を持つようになっても、眠る部屋は勝手に増えない。
けれど、明日も帰れる部屋へ自分で金を払えることが、今夜は妙に嬉しかった。
リゼさんとは、入口で別れている。
左掌の痛みが増えたので、今日は作業を終えた。次の調査も約束していない。
俺は部屋で神剣を抜かずに拭き、鞘の口に付いた石粉を柔らかい布で落とした。石蜥蜴は一太刀。守護者には抜いていない。
もっと戦いたい。
それは仲間を守れた喜びと、矛盾せず腹の中にあった。
力を試したいからといって、他人の痛みが明日の朝に消えればいいとは思わない。
そういう願い方をしたら、前払いで手に入れた剣の方に、俺が使われてしまう。
*
翌朝、宿の食堂へ下りると、リゼさんが窓際に座っていた。
淡い髪が朝の光を受けている。左手は布を巻き直し、膝に置いたまま。目の前のパンをちぎるのは右手だけだった。
「おはようございます。今日は地図、ありません」
俺が鞄を見たのに気づいたらしい。
「俺も、持ってきてって言いません」
「それは良かったです。朝ご飯に来ました」
彼女はそう言い、ジャムの小瓶を俺へ寄せた。
「蓋だけ、お願いできますか」
俺は両手で開けた。神剣で切る必要のない、固い蓋だった。
リゼさんが小さく笑ったので、俺もようやく椅子へ座った。
施療所では、少なくとも今日いっぱい左手を休めるよう言われたという。痛みは昨夜より少し落ちたが、昨日の開始時まで戻ったとはまだ言えない。
「今日は探索しません」
彼女の声は、残念さを隠していなかった。
「本当は、次の線を描きたいです。でも、描く方の右手だけ使っても、ずっと左を浮かせるのが疲れました」
「台を良くすれば、って思いました」
「私も。それで、台を良くする話は明日以降にします」
俺は頷き、パンにジャムを塗った。
彼女の体調を聞いているのに、道具の解決策ばかり返してしまう所だった。
「アルトさんは、今日どうしたいですか」
リゼさんが訊いた。
「守護者を倒す準備をしたいです」
今度は、言葉を小さくしなかった。
「昨日の契約は終わりました。次に戦っていい条件と、神剣をどう通すか。管理の人へ、相談します」
「私が休んでいる間に?」
声に責める調子はなかったが、俺は手を止めた。
「一人で倒して、終わりましたって言うつもりはありません。でも、休んでいる人へ準備まで頼むのも違うから」
リゼさんはパンの端を口へ運び、ゆっくり噛んだ。
「帰ったら、何を決めたか教えてください。私がその場にいなかった分だけ」
「はい」
「私がいないと何も決められない、とも思われたくありません」
「……難しいですね」
「一緒に、練習中です」
ジャムが彼女の指先へ付いた。笑いながら右手で布を取る所を、俺は急いで手伝わなかった。
ミーナさんとは組合の前で会った。
濃紫の髪を高く結び、今日は杖ではなく、肩へ掛ける小さな袋を持っている。
「午後は駄目。午前も、今日は話だけなら」
「探索はしません。管理側の比較結果を聞きたいんです」
「それなら私も。砂を使わなかった報告のあと、次は何に使えるか考えてきた」
彼女は袋を叩いた。
「持ってきたのは自分の見本。買い足してない。仕事に使う分は、先に決める」
快活な声だった。使わない判断が続いても、自分の術を忘れたわけではない。
*
管理担当の机には、昨日の地図と、古い略図が並んでいた。
「守護者の立っていた位置は、以前の図とほぼ同じです。ただ、床の打痕は全部を同じ時期の物と考えないでください」
俺たちが見た三つの跡の外にも、古い図には欠けた石が描かれている。
槌の長さ、届く距離、反応するきっかけ。そのどれも、まだ数字が足りない。
「昨日の調査契約を伸ばして、攻撃していいですか」
俺が訊くと、担当は首を振った。
「伸ばしません。昨日の契約は完了しました。戦うなら、前受けしている鉄牙回廊の踏破を進めるための計画として、別に受け付けます。守護環の二度目の前払いはありません」
「分かっています。あれは、もう俺が受け取った分です」
俺は腕の環を見た。淡い光から、あと何回使えるかは分からない。
管理担当は、新しい用紙を机へ広げた。
「戦闘の計画は今日提出できますか」
「まず、剣を振る場所を決めたいです」
そう答えると、ミーナさんが略図の広間を指した。
「アルトは正面から強く斬れる。でも、後ろに私やリゼがいたら、横へ避ける場所が変わる。そこを先に」
管理担当は、町の試験場へ紹介札を出した。
道具の打撃や荷台の強さを見る囲い付きの場所がある。管理の仕事の相談として、空いている午前の枠を使える。使用料は組合側の今回の確認費で、俺たちに貸付が生まれる契約ではなかった。
切った材は試験場に残す。持ち帰って売ることはできない。
俺はその条件を読み、頷いた。
「どれだけ強いか、見てもらえればいいです」
試験場の門を開けたのは、太い革前掛けの男だった。
額に古い火傷の跡があり、片手に試験材の札を持っている。鍛冶場で荷と材料を扱い、今はこの囲いの仕事を任されているという。
「神剣っていうのは、そいつか」
男の目が俺の腰へ落ちた。
「はい」
「名前で囲いを広げるわけじゃないぞ。最初は動かない物、上から一回。見てる二人はここから出ない」
男は地面に引かれた線を指した。俺だけが内側へ入り、ミーナさんと管理担当は外で止まる。
壁の向こうから、金属を積み直す重い音がした。
最初の試験材は、古い鉄の平板だった。
厚さは見せてもらったが、守護者と同じ材質という保証はない。二つの固定具へ挟まれ、向こうには破片を受ける厚い木壁がある。
俺は神剣を抜いた。
刃が朝の光を拾い、静かに白くなる。
体の奥が軽くなる、あの感じがあった。剣の重さは手にあるのに、刃先へ腕を引かれない。
「行きます」
息を吐いて、一度だけ振り下ろす。
音は、思っていたほど大きくなかった。
鉄の抵抗が手へ返る前に、刃が下へ抜けた。
平板の下半分が、受け箱へ落ちる。遅れて、からん、と乾いた音が鳴った。
管理人が口を開き、そのまま何も言わずに切り口を見た。
ミーナさんが先に息を吐く。
「……相変わらず、そこは変じゃないね」
「切れる所は、変えてません」
「うん。味方の言い方だった、今の」
俺は剣を下げたまま笑った。
管理人は、俺を線の外へ戻してから鉄を拾った。
「ひびの入ってない所だった。こっちも切ったな」
驚いた顔から、仕事の顔へ戻る。
「次は、動いてる物にするか」
俺は頷きかけ、広間の槌を思い出した。
ただ強く振るだけなら、一度目と同じだ。
「俺が動く方を、試したいです」
木の枠から、重い革袋が吊られた。管理人が外側から縄を引き、袋を一度揺らす。
袋を斬る試験ではない。槌の代わりに、俺の前を通る物だ。
俺は最初、袋が来るより先に横へ出た。
避けられた。けれど、そのまま斬ろうとすると、刃の先が見学の線へ向く。
「止めて」
ミーナさんの声が飛んだ。
俺は足を止め、剣を下へ向けた。
線の向こうで、彼女は逃げていなかった。こちらを見て、左手で自分の位置を示している。
「ここ。守るつもりで、こっちへ刃を持ってきた」
胸が冷たくなった。
届く距離ではない。それでも、味方のいる側を使って避けたことは変わらなかった。
「すみません」
「今ここで分かった。次は私が下がる線も決める」
管理人が袋を止めた。
「剣が強すぎると、避けた先にも気を遣うんだな」
「はい。俺、倒す相手だけ見てました」
「もう一回、刃をしまって足だけやれ」
今度は袋の位置を見て、俺の左へ抜ける。仲間が下がるのは右。斬る線を重ねない。
ミーナさんが歩いて右側へ移り、二人の間が空くまで俺は止まった。
剣が通る場所には、切りたくない物がない。それだけでは足りない。人が次の一歩を置きたくなる場所まで、空けておかなくてはいけなかった。
「俺、こっちへ出ます。ミーナさんは、どうしますか」
「右の線へ。地図なら出口側に当たる所。でも、後ろに別の魔物がいたら動けないよ」
「その時は、俺が斬るのをやめる」
「うん。止まる返事まで決まってる方が、私は術を選べる」
最初に背中を任せると言った時より、その言葉に相手の足が見える気がした。
遅い。実戦でこのまま待てるとは思えない。
だから、言う言葉を短くする。
「右へ」
「空いた」
その二つが揃ったら、俺が左へ出る。
三度目には、ミーナさんの返事を聞く前から位置が分かりかけた。分かりかけただけで、返事を省きはしなかった。
最後に、管理人が細い鉄棒を固定した。
吊り袋は止め、足の位置も元へ戻す。走りながら鉄を斬る試験には進まない。
「今日はそこまでだ。次を一度に足すな」
俺は正面から棒を見た。守護者の関節でも槌の柄でもない。ただの試験材だ。
袋を避けたあとに向きたい方向を、体へ残してから構える。
通常の一太刀。
鉄棒は、切られたことへ気づくのが遅れたみたいに、一瞬立ってから横へ落ちた。
光刃は出していない。守護環も使っていない。
それでも、神剣の強さは試験場の誰の目にも、もう説明を要らなかった。
「あれを、槌へ通したいのか」
管理担当が訊く。
「相手が振ったあと、左へ抜けて。切れる保証はないです。でも、最初から自分の前に落とさせない方法を選びたい」
「実物の動きは未確認です。試験場でできたから、同じ順に動くとは限りません」
「見て、違ったら戻ります。そのための線も、地図へ入れます」
ミーナさんが、持ってきた砂の袋を開かなかったまま頷く。
「私の術は、大きい槌を止める壁じゃない。使うなら、別の魔物が横から入った時の足止め。守護者が踏み込むのを止められる前提にはしないで」
「はい。環も、槌を何回でも受けるためには使いません」
守護者を倒せる計画になった、とまでは言えない。
でも、神剣が強いから前へ出る、だけの計画ではなくなった。
*
リゼさんが座る食堂へ戻った時、まだ昼前だった。
彼女は地図を広げていなかった。右手で持てる薄い本を、窓の方へ傾けて読んでいる。
俺たちを見ると、本を閉じた。
「鉄、切れましたか」
「平板一枚と、棒一本。通常の剣だけです」
「聞く順番、そこなんだ」
ミーナさんが笑った。
「強い所の話も、聞きたいので」
リゼさんが俺を見る。俺は照れて、椅子の背を掴み直した。
「気持ちよく切れました」
「はい」
「でも、そのあと俺の避け方を直しました。ミーナさんがいる方へ、剣の向きが来たんです」
彼女の目が真剣になる。
俺はそこで誤魔化さず、袋と線の試験まで話した。
リゼさんは聞き終わっても、左手へ何も持とうとはしなかった。
「私、次に行ける時は、地図を持つだけの係にはなりたくありません」
「どうしたいですか」
「帰る時に、進んだ線を言う係。アルトさんが守護者の腕を見る間、私は出口までの道を見たい」
俺は、彼女を安全な場所へ置いて自分だけで戦う絵を、また頭の中から外した。
安全な場所を選ぶのも、そこから何を見るのかも、本人と決めることだった。
「お願いします。行く日は、手の条件を施療所で確認してから」
「今日は約束しません。やりたい役目だけ、先に言いました」
「俺も、先に言っていいですか」
リゼさんが頷く。
「三人で帰って、あの守護者を倒したって言いたいです」
ミーナさんは窓の外の時計を見た。午後の自分の用事へ行く時刻が近い。
「私は、引受ける日と条件を聞いてから。でも、その帰りの肉なら、食べたい」
「俺だけ豆一粒残すの、やめます」
「何の話?」
ミーナさんが、俺の空の指先を見た。
昨夜の皿を説明すると、リゼさんが笑った。管理の記録には入らない話だった。
だから余計に、三人で話したかった。
昼の別れ際、俺は管理担当へ提出する紙を鞄へ戻した。
昨日の攻撃禁止契約は、完了済みの箱へ。今日の踏破計画案は、新しい紙のまま。
前払いを増やさず、未知の守護者を倒したことにもせず、次に自分たちが何をするかを書いた。
財布は九十七銀九十六銅。今日の新しい報酬はまだない。試験材の所有権もない。MPは八十、光刃も環も使わず、新しい怪我はなかった。
けれど、鉄を二つ斬った手応えと、刃を通してよい線は、自分の体に残った。
神剣の柄へ手を置く。
最深部の報酬を、一階で振るえる。
その楽しさを小さくするつもりはない。
俺が次に狙うのは、正面の硬い胴だけではなく、振り下ろされた槌の横だ。
そこへ出るために、仲間へ背中を任せる。
強い剣を先にもらった俺が、今度は自分で選んだ一撃を持って、守護者の前へ戻る準備を始めた。




