倒さない報酬も、剣で守ります
【前回までの人物】
・アルト:神剣と守護環を持つ探索者。攻撃禁止の境界調査へ署名し、個人の前払い銀貨一枚を受け取った。
・リゼ:地図と鑑定を担う同行者。左掌を休め、危険時に捨ててよい低い三脚を右手作業用に選んだ。
・ミーナ:短期契約の魔術師。砂術は原則使わず、必要でも境界の外で退路を作る時だけと契約へ記した。
・管理担当:床石三枚の観測点、守護者への攻撃禁止、機材不適合なら延期できる条件を三人と確定した。
調査の朝、俺は財布と契約書を同じ机へ置いた。
銀貨九十九枚と銅貨七十六枚。別の封筒に、三人で用途を決めていない銅貨一枚。
昨日の前払い銀貨一枚も、板獣の売却分九十三銅も、もう受け取っている。今日の追加報酬は、まだ財布にない。
「増える前に数えた」
声に出してから、契約書を読む。
攻撃禁止。床石三枚。午前の鐘二つ。三人契約。貸台は危険時放棄可。守護者が動かなければ、動かなかった事実を持ち帰る。
守護環は試さなかった。
前の探索日に使った三秒と八秒から、残量も回復も分からない。今日、淡く光っていることを満ちた証拠にしない。
神剣は鞘のまま腰へ。抜く仕事ではない。でも、別の魔物が退路へ出た時まで置いていく必要はない。
宿の女主人が、包みを二つ机へ置いた。
「昨日、買い足さなかった昼の分。宿に残ってたパンと干し肉で足りるかい」
「三人で分けます。料金は?」
「昨日までの食事に入ってない。三人分で銅貨六十」
「俺が払います」
「前払いの祝い?」
「帰ってから三人へ割るか決めます。いまは俺の購入です」
銅貨六十枚を払い、財布は九十九銀十六銅になった。
「成功後の肉は?」
「帰ってからです」
「言えるようになったね」
入口の窓口で、三人が揃った。
リゼさんの左掌は布の中。腫れは昨日と同じか、少し引いて見える。見た目で荷重可にはしない。
「施療所の条件は?」
「右手作業、午前の鐘二つまで。左は押さえない。痛みが増えたら私が言います」
「はい」
「アルトさんが先に中止を決めない」
「言われたら戻ります」
ミーナさんは濃紫の髪を結び直し、契約の時刻を指した。
「鐘の半分前に戻り始める。調査点に着いてなくても」
「はい」
「今日は私の砂を期待した顔、してないね」
「神剣を抜かない仕事で頭がいっぱいです」
「そっちは残念そう」
「少し」
管理担当は三脚の札を三人へ見せた。
「持出し一台。番号四。貸与料なし。危険時放棄可。帰着後に位置を報告」
「契約の変更は?」
リゼさんが訊く。
「ありません。床石三枚まで。境界内へ物を投げない。音で誘わない。守護者へ攻撃しない。別の魔物は退路確保の範囲で排除可」
「追加報酬は?」
「境界の幅、観測点までの所要時間、守護者が動いたか。この三項目で一人銀貨一枚。槌の距離は、自然に動いた場合だけ付記」
三人は入口で携帯食を分けた。
費用の精算は帰ってから。共同財布を作ったことにはしない。
俺が前、左手に三脚。リゼさんが中央、右手に地図板。ミーナさんが後ろ、退路を見る。
「止まる時、台を振らない」
「置く前に床と上」
「後ろは私」
練習で決めた声を、入口でも一度だけ確認した。
鉄牙回廊の空気は、町より冷たかった。
石と古い鉄の匂い。上道の角には、前に倒した板獣の薄い擦り跡が残る。素材はもう売ったが、跡まで消えたわけではない。
「昨日までの地図と一致」
リゼさんが右手で線をなぞる。
「新しい足跡は?」
ミーナさんが後ろから訊く。
「小さい爪が二つ。守護者ではありません」
「前方には見えません」
俺は三脚を壁へ付けず、乾いた床へ置いた。
最初の角を越えたところで、石蜥蜴が一頭、天井から落ちた。
俺とリゼさんの間へではなく、後方の通路だ。
「後ろ、一頭!」
ミーナさんが下がりながら叫ぶ。
「守護者じゃない。境界の外」
俺は三脚をその場へ置き、神剣を抜いた。
リゼさんは左手を使わず、右手の板を胸へ寄せて壁から離れる。
「退路、右半分!」
ミーナさんが位置を言う。
石蜥蜴は低く跳ねた。
光刃は使わない。通常の一太刀を、通路の中央だけへ通す。
神剣は硬い背を斜めに断ち、石蜥蜴は一度転がって止まった。
守護者の広間までは、まだ二つ角がある。
「一頭。通常斬撃。光刃なし」
俺は息を整え、刃を払う。
「MPは?」
リゼさんが訊く。
「八十のまま。使った感覚なし」
「新しい傷?」
「なし」
「砂術もなし」
ミーナさんは自分の手袋を見せた。
素材を拾うか迷った。
「契約時間」
ミーナさんが言う。
「帰りに残っていたら位置だけ報告します」
俺は石蜥蜴へ小さな白札を置き、三脚を拾った。素材を持つために調査時間を減らさない。
上道の広間手前で、三人は一度止まった。
前回、守護者を見た境だ。床には色の違う石が並ぶ。管理の図で、入口側から三枚が観測点。
「一枚目」
リゼさんが右手で板へ印を付ける。
「欠けた石も一枚」
「二枚目。三枚目」
俺は足を置かず、数える。
「守護者、正面。動きなし」
広間の奥に、鉄の守護者が立っていた。
両手の槌は床へ下りている。目の光は消えていない。倒したことも、眠ったこともない。
俺の右手が神剣の柄へ行きかける。
「抜きたいです」
言って、手を離す。
「言えた」
ミーナさんは笑わない。
「抜かないで、台を置いて」
床と天井を確認し、三枚目の手前へ低い三脚を置く。
リゼさんは右手だけで地図板を載せた。左掌は布のまま胸の前。
「傾き、許容。脚は溝へ落ちていません」
「時間、入口からここまで十八分」
ミーナさんが砂時計を見る。
「途中の石蜥蜴対応を含む」
「別に書きます。戦闘なしなら推定しない」
境界の幅は、左右の壁に残る黒い線で測る。
リゼさんは鏡を使わない。契約に必要な線は目の前にある。
「左壁から右壁まで、板の目盛りで十二。石幅にすると八枚と半分」
「半分?」
俺が訊く。
「右端の石が切れている。八枚と半分。八枚へ丸めません」
俺は境界へ近づかず、入口側から読み上げた数字だけを復唱する。
守護者は動かない。
槌も床へ付いたまま。
「動かない時も、三項目になる」
ミーナさんが言う。
守護者の足元には、古い打痕が三つあった。
俺が倒した敵の傷ではない。槌が床へ当たった跡かも分からない。
「打痕の位置は契約外?」
「見える範囲なら書けます。測るために境界へ入らない」
リゼさんは右手の鉛筆で、おおよその位置を点にした。
「左壁から二枚、中央、右壁から一枚。深さは測れません」
「槌が届いた跡なら、境界まで?」
ミーナさんが首を振る。
「なら、って言わない。前の誰かが石を割った跡かもしれない」
「はい。打痕三、原因未確認」
俺たちが声を出しても、守護者の目の光は変わらない。
それを音へ反応しない証拠にもできない。契約どおりの普通の声と、物を鳴らして誘う行為は別だ。
「静かにしたら動くか、試しますか」
俺が訊く。
「静かにするのは誘導ではない。でも、観測時間を伸ばす理由になる」
リゼさんが砂時計を見る。
「一分だけ。三人が動かず、追加の動作なし」
ミーナさんが後ろを確かめる。
「退路に音なし。始めて」
一分、誰も喋らなかった。
冷たい滴が遠くで一度落ちる。守護者は動かない。槌も上がらない。
俺は神剣の柄へ触れず、呼吸の回数だけを数えた。
一分が終わり、リゼさんが右手で印を付ける。
「通常会話中も、無動作一分も、守護者動きなし」
「起きない、とは書かない」
「はい。観測した時間だけです」
三脚の右前脚が、石の粉で一度滑った。
リゼさんは左手を出さず、板を右手で支えて台から外す。
俺が三脚を押さえようとすると、ミーナさんが止めた。
「台より、線の外へ一歩」
三人が境界から下がる。
三脚は倒れず、脚が半指ぶん動いただけだった。
「機材不適合?」
俺が訊く。
「今の置き方では不安定。板を手持ちに替えます」
リゼさんは右手だけで板を持てる。
「契約は延期するほどではない。でも、台を使い続けない」
貸台を選んだことへ意地を張らず、観測の途中で使い方を変えた。
三脚はその場で畳まず、境界から十分離れてから俺が持ち直した。
危険時放棄にはならなかったが、放棄できる条件があったから、台を守るために線へ近づかずに済んだ。
「はい。でも、もう少し見たい」
俺は守護者の肩を見る。
「何を?」
「光の強さ」
「契約の三項目にない」
「次回候補にします」
口にすると、残念さが形になって少し軽くなった。
リゼさんが鉛筆を止めた。
「左手、痛みが増えました」
俺はすぐ三脚へ手を伸ばしかける。
「私が言いました。戻ります」
「はい。台は持ちますか」
「危険はまだありません。持って帰れます」
ミーナさんが広間と退路を見る。
「鐘の半分前まで余裕。でも、体調条件で終了。追加はしない」
片付けの順番も練習どおりだった。
リゼさんが板を右手で取る。俺が三脚を左手へ。ミーナさんが後ろを見る。守護者へ背を向ける前に、最後の状態を読む。
「守護者、動きなし。槌、動きなし。床石三枚から先へ入っていない」
「攻撃なし」
「砂術なし」
「守護環なし」
三人の声を、リゼさんが一行ずつ記した。
帰りの角で、白札を置いた石蜥蜴が残っていた。
「持ち帰る?」
俺が訊く。
「左手が痛い人と、午後予定のある人がいる」
ミーナさんは短く答えた。
「位置を報告。素材は管理の判断」
「分かりました」
強い剣で倒した物を、必ず自分の報酬へする必要はない。
入口へ戻った時、午前の二つ目の鐘までまだ四分あった。
管理担当が人数を数える。
「アルト、リゼ、ミーナ。三人帰着。貸台一台」
「番号四、返却」
俺は三脚を机へ置く。
「途中、石蜥蜴一頭を通常斬撃で排除。素材未回収、白札位置を地図へ。守護者への攻撃なし」
リゼさんは椅子へ座り、左掌を台へ載せない。
「痛みは開始時より強い。出血なし。右手作業は終了します」
「施療担当を呼びます」
管理担当は報告より先に人を呼んだ。
施療所の係が布を確認し、今日は再作業なし、冷やして休むよう言う。
「次の調査を約束しても?」
俺が訊くと、リゼさんがこちらを見る。
「今はしません。今日の結果を出してから」
「はい」
三項目を報告する。
境界幅、石幅八枚と半分。入口から観測点まで十八分、石蜥蜴対応込み。守護者は観測中動かず。槌も動かず、最遠点なし。
「契約条件を満たしています」
管理担当が二人目の責任者を呼ぶ。
二人が地図と時刻、貸台返却、三人の署名を照合する。
「追加報酬、一人銀貨一枚」
銀貨は共同で三枚置かれなかった。
一人ずつ名を呼ばれ、一枚ずつ袋へ入る。
「アルト」
「受け取ります」
財布は九十九銀十六銅から、百銀十六銅になった。
「携帯食の六十銅は?」
ミーナさんが訊く。
「俺が払ったままです。三人へ割るなら一人二十銅」
「払う」
ミーナさんは二十銅を出す。
リゼさんも右手で二十銅を数えた。
「受け取ります」
俺の財布は百銀五十六銅。二人の支出は各二十銅。別封筒の用途未定一銅は動かさない。
「肉は?」
ミーナさんが笑う。
「帰ってから買います」
「もう帰ってる」
「リゼさんが休んで、報告の写しを受け取ってから」
「今日は慎重」
「前払いを受けた分、終わりまでが仕事です」
管理担当は、石蜥蜴の素材についても分けて記録した。
「白札の位置は回収班へ渡します。討伐者の権利は?」
「素材が残っていて、回収できた時に相談します。今日の財布へ入れません」
「回収不能なら零」
「はい」
通常斬撃で倒した事実と、売却益を得た事実を同じにしない。
報告書の写しには、守護者を倒したとは一行もない。
境界を測り、十八分で着き、動かなかった守護者を動かなかったと持ち帰った。
それで追加の銀貨一枚が払われた。
俺は神剣を鞘ごと机へ置く。
「今日も強かったです」
「守護者に抜いてないのに?」
リゼさんが訊く。
「帰り道へ出た石蜥蜴を一太刀で止めました。契約を破らず、調査を続けられた」
「それなら、剣の仕事ですね」
「はい」
守護環は一度も使わなかった。表面の光も、残量の数字にはならない。MPは八十、光刃は零。新しい傷はなし。リゼさんの左掌は痛み増加、出血なし、今日は作業終了。ミーナさんの砂術は零。午後の予定へ間に合う。
管理担当は、次の仕事をその場で契約させなかった。
「守護者が動かなかった時の記録が取れました。次は管理側で比較します」
「倒す依頼は?」
俺が聞く。
「まだ出しません」
「少し残念です」
「残念と言える範囲で帰ったのが、今日の成果です」
宿へ戻り、女主人へ報告した。
「銀貨、増えたかい」
「追加一枚。携帯食の精算で四十銅戻って、百銀五十六銅です」
「肉は」
「三人が次に揃う時にします。今日は豆と焼き肉を一皿。俺の分だけ」
「成功後の肉だね」
「はい。倒さなかった成功です」
皿の肉は、守護者の素材よりずっと小さかった。
それでも、契約書を破らず帰ったあとの匂いは、前払いを受けた夜に想像した物よりうまそうだった。
最深部の神剣は、敵を倒すための剣だ。
けれど今日は、倒してはいけない敵へ近づく途中で、帰り道だけを一太刀で守った。
強い剣を持っているからこそ、どこで抜かないかを選べる。
俺は追加報酬の銀貨を財布へ入れ、契約の写しを同じ箱へ戻した。
前払い一枚。追加一枚。守護者撃破報酬は零。踏破依頼は未完。
倒さなかった報酬も、神剣で守って持ち帰った。




