倒さなかった守護者が、次の前払いになります
【前回までの人物】
・アルト:神剣と守護環を持つ探索者。広間の守護者を前に、戦わず帰る道を選んだ。
・リゼ:地図と鑑定を担う同行者。左掌を使わず、境の線と柱の死角を右手で記録した。
・ミーナ:午前限定で同行する魔術師。砂術を追加で使わず、正午までの契約を守って戻った。
守護者を倒さなかった報告に、受付の男は笑わなかった。
「広間へ入る前に戻った。境の線、柱、槌の一撃。三人とも無傷」
俺が順に言うと、彼は帳面の欄を一つずつ埋めた。
「戦闘回避。大型機構一体。追跡なし。未踏破継続」
「はい」
「前受けの踏破報酬は、まだ精算しない」
「それも分かっています」
神剣と守護環を前払いでもらった依頼は、回廊の踏破まで終わっていない。守護者を見つけたから追加の前払いが自動で出るわけでもない。
入口の休憩台で、リゼさんは右手だけで地図板を置いた。左掌は布の中にある。ミーナさんは杖を壁へ預ける前に、受付へ時間を聞いた。
「正午まで、どれくらい?」
「鐘まで半刻弱」
「なら、報告を終えて町へ戻れる」
午前限定の仕事を、休憩台で午後まで延ばさない。
受付は地図を取り上げず、別の紙へ報告範囲だけを写した。
「境の線へ近づくと、槌が動いた?」
「線の一歩手前で床へ振動が出ました」
リゼさんが答える。
「守護者の足が境を越えたかは、柱で一部見えません。槌の先は線の外側へ届いていないように見えましたが、測っていません」
「ように見えた、で記録する」
受付は言葉を小さくしない。
「赤い線の材質は?」
「鉄色の溝です。赤く光ったわけではありません。私たちが目印として赤で描きました」
「そこ、大事だな」
地図の色と、迷宮の色を混ぜない。
俺は守護者の左腕らしい盾と、右の槌の形を話した。
「形は見えた範囲です。人型だと思いましたが、脚は全部見ていません」
「大きさ」
「俺の二倍くらい」
リゼさんが鉛筆を止める。
「高さは、入口の柱と比べて測り直します。アルトさんの二倍は、姿勢で変わります」
「強そうだったのは変わりません」
「それは記録の単位になりません」
「でも、次に斬る場所を考えるには」
「考えるのは、報告を終えてから」
ミーナさんが笑った。
「アルト、受付の台で戦い始めない」
新しい包みも台へ出した。
上道で倒した板獣から切り出した物だ。昨日売った二体分の欠片と同じに見えるが、まだ開けて鑑定していない。
「戦利品は別の査定?」
受付が聞く。
「はい。踏破の報酬と混ぜません」
「持込み札だけ出す。売るなら町の店へ」
俺は札を受け取り、包みの紐へ結んだ。
今日の入口で、新しい銀貨は一枚も動かない。前受けの追加も、午前契約の精算も、ここで金額を作らない。
「報告は以上です」
受付が帳面を閉じかけた時、隣の窓口から女性が来た。
濃い青の腕章に、迷宮管理の印がある。昨日まで見た受付係とは違う。
「守護機構を見た三人?」
「見た範囲だけです」
リゼさんが先に答えた。
女性は頷き、受付の紙へ手を伸ばさず、自分の控えを開いた。
「別件の相談です。回廊の踏破依頼はそのまま。管理側から、境の外だけを測る調査を頼みたい」
「倒す依頼ではない?」
俺が聞く。
「倒さない。境の幅、槌が届く範囲、帰還点までの所要時間。守護者へ攻撃した時点で調査は終了扱いにしない。契約違反になる」
神剣を持っている俺へ、斬るなという依頼が来た。
胸の中で、少しだけ残念な音がする。
「報酬は?」
ミーナさんがまっすぐ聞いた。
「前払いで一人銀貨一枚。報告が三項目揃えば追加で一人銀貨一枚。負傷補償は通常規定。期間は三日以内、明日からではなく、三人の都合が合う日」
「私たち三人を指定?」
「最初の観測者だから、まず相談した。別の人員へ替えるなら、引継ぎ料と時間を組み直す」
ミーナさんはすぐに受け取らない。
「私は明日空いてない。明後日の午前なら、内容を聞いてから」
「今日の報告から、そのまま契約開始にはしない。書面を持ち帰っていい」
女性は封をしていない三枚の契約案を出した。
俺は一枚を読んだ。
調査範囲は、鉄牙回廊上道の広間手前。攻撃禁止。境を越えない。守護者を誘導する行為は禁止。槌が自然に動く時だけ、線の外から届く距離を観測する。
「自然に動く、って、俺たちが近づいたら自然ですか」
「そこが曖昧です」
リゼさんが紙を指す。
「人が線の手前へ近づくこと自体、誘導と区別できません」
管理の女性は鉛筆を出した。
「では、境の線から三歩以上離れた既知の観測点まで。そこから守護者が自発的に動かなければ、距離は未測定として戻る」
「三歩は誰の歩幅?」
「床の石目三枚に直します」
「石目が欠けていたら?」
「入口側から数え、欠けも一枚として図へ残す」
契約の言葉が、実際の床へ近づいていく。
「槌が動かなかったら、追加報酬は?」
俺が尋ねる。
「境幅、所要時間、動かなかった事実の三項目でよい。槌を動かすことは成果条件にしない」
「斬らなくても?」
「斬ったら、その時点で別の踏破行動だ。調査契約の追加は出ない」
俺は契約案をもう一度見た。
倒さなかった守護者が、次の前払いになる。
強い敵を見つけたこと自体が、戦う以外の仕事へ変わった。
「守護環を使うのは?」
リゼさんが聞く。
「防御目的なら禁止しない。ただし、使用可能回数が分からない装備を、報酬条件へ含めない」
「今日までに、朝三秒、上道八秒。二回使いました。残量は不明です」
俺が告げる。
「記録する。調査のために使え、とは書かない」
「光刃は?」
「攻撃だから禁止」
「通常の神剣も?」
「抜刀は退路確保の防御に限る。ただし、守護者へ当てた時点で調査終了」
「厳しい」
「斬る依頼ではないから」
言い方は冷たいが、筋は通っている。
リゼさんは契約案を右手でめくる。
「私の左掌は療養中です。測定板を置く台か、右手だけで固定できる支えが要ります」
「管理側から簡易台を貸せる。持込み重量と返却状態を記録する」
「借りた台を、迷宮へ置いて帰る可能性は?」
「危険時は置いて帰ってよい。代金は請求しない。ただし、回収できなかった位置を報告」
「それなら、仕事にできます」
彼女は自分の怪我を隠して選ばれようとしなかった。
ミーナさんは時刻の欄を見る。
「午前の鐘二つ分。入口へ戻る時間を含む?」
「含む。広間で鐘二つではない」
「前払いの銀貨一枚は、契約した日に受け取る?」
「署名した時。今日持ち帰るだけなら、今日は動かない」
「なら、今日は受け取らない」
彼女は紙を畳まない。折り目も契約の写しへ残るから、管理側の筒へそのまま戻した。
「明後日の朝、三人で読み直して、受けるなら署名する」
「俺は受けたいです」
即答すると、リゼさんが俺を見る。
「一人では?」
「受けません」
「神剣を使わなくても?」
「使わない仕事も、次に斬るための情報になります」
「最後がアルトさんですね」
「俺の剣は強いので」
管理の女性が初めて少し笑った。
「強い剣を抜かずに帰れる人へ頼みたい仕事です」
その言葉は、褒め言葉に聞こえた。
でも、前払いを貰う前に成功したことにはしない。
相談を終え、俺たちは町へ戻った。
ミーナさんの午前契約は入口で終了している。ここから一緒に歩くのは、帰り道が同じだからだ。午後の予定へ付いていく依頼ではない。
「一銀、先にもらえる」
俺が言うと、彼女は横目で見る。
「まだ受けてない」
「受けたら、携帯食を」
「アルトの分は自分で買う。私の一銀を、隊の食費に自動で入れないで」
「分かっています。共通経費にするなら、三人で決める」
「うん。前より早く言える」
リゼさんは地図筒を右肩へ掛け直した。
「今日の板獣の欠片は、鑑定しますか」
「昼食のあと、ラウルさんの店が開いていれば」
「左手を診てもらうのが先です」
「はい」
「アルトさんの返事、いま少し遅かった」
「肉への道が遠くなったので」
「欠片が売れるとも、肉を買うとも決まっていません」
「夢は持っていいはずです」
ミーナさんが笑う。
「夢と財布を分けて持って」
町の施療所で、リゼさんは左掌を診てもらった。
俺とミーナさんは診察台へ付いていかない。待合で、自分たちの装備を点検する。
守護環には、朝より増えた光も減った印もない。残量は見た目で分からない。神剣の刃には欠けがない。MPは八十のまま。光刃は今日一度も使っていない。
ミーナさんは砂術を追加で使っていない。杖の石も割れていない。
「明後日、砂は使わないつもり」
「調査だから?」
「境の前の床が固い粉だった。術で変わるか試したら、誘導になるかもしれない。使わない前提で、退路だけ見る」
「守護者が追ってきたら?」
「その時は、契約より帰る。必要なら使う。でも、使ったら理由を報告」
「俺も、環は帰るためだけにします」
「使えるか分からないけどね」
「はい」
強い装備を持っていることと、使えると保証されていることを分ける。
リゼさんが戻ってくる。
「傷は開いていません。明日まで荷重なし。明後日の朝にもう一度、腫れを見て、痛みが増えていなければ右手作業だけ」
「契約、受けられそう?」
「痛みが増えなければ。今は、受ける候補です」
「候補」
「明日を飛ばさないでください」
「分かりました」
今日の地図があるからといって、明後日の体まで決まらない。
施療所を出た時、ミーナさんは午後の予定へ向かう道を指した。
「私はこっち。明日、空いてない。契約の返事は明後日の入口で」
「写しを持って帰らなくていいですか」
「管理側に三部ある。私は読んだ。勝手に署名される心配もない」
「では、明後日」
「リゼの手が悪かったら、二人で受けないこと」
「俺一人では行きません」
「よし」
彼女は手を振り、自分の午後へ曲がった。
永久の仲間になったからではない。次の契約を自分で選べる関係だから、別の道へ行ける。
俺とリゼさんは、板獣の包みを鑑定店へ持って行った。
ラウルさんは店先の札を裏返しかけていた。
「昼休みですか」
「これからだ。急ぎか」
「急ぎではありません。午後に戻ります」
俺が引くと、彼は包みの札を見た。
「入口の持込み札があるなら、預からん。本人が持って戻れ。置いていけば、俺の責任になる」
「分かりました」
「ただ、紐の色は昨日と違うな」
「上道の板獣です。同じ材質かは未確認です」
「未確認なら、同じ値段を期待するな」
「はい」
十二銀の再来を、包みの見た目だけで財布へ足さない。
昼食は宿の通常の食事を頼んだ。
新しい調査の一銀はまだ受け取っていない。欠片も未査定。俺の所持金は、前話までに確定した分から今日ここで新しい支払い額を作り足さない。三人の共通財布も作らない。
肉は少なかったが、豆と焼いた根菜があった。
「守護者を倒さず、前払いの話を持って帰った」
俺が皿を見ながら言う。
「契約案です。前払いはまだ」
リゼさんが訂正する。
「でも、倒さなかったから、管理側が観測を頼んだんですよね」
「たぶん。受付の女性は、抜かずに帰れる人へ、と言いました」
「それは、いい評価です」
「神剣を抜かない評価」
「不満ですか」
俺は少し考えた。
「半分。斬りたいです」
「残り半分は?」
「前払いで肉を買いたい」
リゼさんは、呆れたあとで笑った。
「そこは変わりませんね」
午後、ラウルさんの店で包みを開けた。
彼は前回の見本を出し、新しい欠片を隣へ置く。色は似ている。だが、端の層が一枚多い。
「昨日の二体と、同じ板じゃない」
「値段は?」
「まだだ。中の層を一か所、削っていいなら見る。嫌なら持ち帰れ」
リゼさんは右手で欠片を返し、俺へ確認する。
「全部売る前提ではありません。見本として一片残しますか」
「残します。削るのは、売る候補の方だけ」
ラウルさんは二つに分け、細い方を俺たちの見本として返した。太い方の端を削る。
内側から、灰色の細い繊維が出た。
「衝撃を散らす層だ。昨日の板より、曲げに強いかもしれん。だが一枚だけじゃ、用途は限られる」
「買えますか」
「三銀。昨日より安い」
強そうな相手の欠片が、高いとは限らない。
「理由は?」
「量が少ない。層は面白いが、試す分を取れば使える幅が減る。昨日の板は二包みあった」
俺はリゼさんを見る。
「売りますか」
「見本は残る。私は賛成です」
「ミーナさんの取り分は?」
「今日の上道は三人の仕事です。本人がいない所で配分を決めない」
売却を急げば、銀貨三枚は今すぐ手に入る。だが、誰の物かを決めずに売ることになる。
「今日は売りません」
俺は答えた。
「明後日、ミーナさんへ聞きます」
ラウルさんは肩をすくめた。
「その時、値が同じとは約束せん。相場じゃなく、俺の試す予定も変わる」
「分かりました。三銀は今日の提示額として記録します」
前払いを急ぐ話のあとで、目の前の現金を持ち帰る選択をした。
宿へ戻り、俺たちは三つの紙を別に置いた。
未完の踏破依頼。管理側の調査契約案。未売却の板獣欠片。
どれも鉄牙回廊の続きだが、報酬も条件も別だ。
「調査で境幅が分かったら、そのまま守護者を倒す?」
俺が聞く。
「同じ日に契約を切り替えません」
リゼさんが答える。
「入口へ戻って報告。前払いの調査を終えてから、踏破の準備を別にします」
「目の前に守護者がいるのに」
「アルトさんが斬りたい顔でも」
「厳しい」
「帰れたから、次があります」
その言葉には、今日の広間の冷たい空気が残っていた。
俺は神剣を鞘ごと膝へ置いた。
MP八十。光刃使用零。守護環は今日までに二回、朝三秒と上道八秒。残量不明。板獣欠片は未売却、提示三銀。調査契約は未署名、前払い未受領。踏破依頼は未完。
数字を並べると、今日の成果が小さく見えるかもしれない。
守護者を倒していない。新しい銀貨も受け取っていない。
それでも、俺は満足していた。
強い敵の前から、自分たちで戻った。その報告が、境の外を測る新しい仕事になった。前払いの条件は、戦うことではなく、斬らずに観測して帰ることだ。
神剣で一階から無双する俺が、神剣を抜かないことで次の報酬へ近づく。
「変な依頼ですね」
「嫌ですか」
「いいえ。面白いです」
リゼさんは地図へ、未契約、と書いた。
「ただし、明日ではありません」
「はい。明後日、手を見て、三人で契約を読んでから」
「そのあと前払い」
「そのあと携帯食」
「そこまで決めない」
二人で笑う。
倒さなかった守護者は、逃した報酬ではなかった。
まだ斬っていないから測れる境がある。まだ受け取っていないから選べる契約がある。まだ売っていないから三人で分けられる欠片がある。
俺は神剣の柄へ手を置き、抜かなかった。
次に抜く日を遅らせるためではない。
次に一太刀で終わらせる場所を、自分たちで選ぶためだった。




