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15/30

切った欠片が、次の一日に変わる

【前回までの人物】

・アルト:神剣と守護環を持つ探索者。鉄牙回廊から三人で戻り、二体分の欠片を持ち帰った。

・リゼ:地図と鑑定を仕事にする同行者。左掌は療養中で、地図板や鏡は右手で扱う。

・ミーナ:短期契約で同行した魔術師。足元と退路を確かめ、次の同行日時はまだ決めていない。

 銀貨が六枚、俺の前へ滑ってきた。

 欠片を持って帰った時より、ずっと小さな音だった。

 それなのに、その六つが一緒に光ると、朝の回廊まで明るくなった気がした。


 昼食を終えて、三人で組合の買取窓口へ来ていた。

 四月十三日。食堂の熱い皿はもう片づけてもらい、俺たちの手元には、油の染みていない地図と、二つの包みがある。

 組合に場所を借りている素材商のラウルさんは、灰の混じった顎髭を撫で、空いている台を指した。

「そっちで広げていい。欠けた所を布へ引っ掛けるなよ」

 爪に白い粉が残る手で、台の上の小石を払い落とす。

 俺は一つずつ包みを下ろした。リゼさんは、左掌を使わずに済む台の高さを見てから、板を鞄の脇へ置く。

「食べ終わってから見たかったんです。欠片の方へ、肉の汁を付けそうだったので」

「俺は、肉を冷ましそうでした」

「そっちは困るね。大事な順番がある」

 ミーナさんが笑い、壁の時計へ一度だけ目を向けた。

「私は、これを分けたら午後の用事に行く。まだ少しあるけど、奥の物まで全部調べ始めないでね」

「はい。今日持ってきた二つだけです」

 リゼさんは、図録を置く場所を自分で空けた。

 栗色の髪の左に編み込まれた細い束が、覗き込む頬の横へ落ちる。彼女は髪を耳へ戻し、俺に一つ目の布を開いてほしいと頼んだ。

 薄い板が何枚か、重なっていた。

 鉄牙回廊の獣の背にあった時は、もっと暗く見えた。窓から来た光で縁を透かすと、真っ黒ではない。鈍い茶色の層が、ほんの少し重なっている。

「これ、剣で切った端ですね」

 リゼさんが、右手の鉛筆の先を、触れない距離で止めた。

「はい。一体目の、角へ行く手前で倒した方です」

「では、こっちは二体目。混ぜずに持ってきてくれて、助かりました」

 彼女はもう一つの布を指した。

 俺は両方を開く。回廊ではひとまず包んだ物が、明るい机の上で、別々の形を持った。

 上の一体を倒した分はない。奥へ行かなかった分の宝もない。

 それでも、空の布を埋めるために引き返さなくてよかった、と、いまは思えた。


 ラウルさんは、俺たちが並べ終えるまで待っていた。

 リゼさんが図録の縁へ指を置くと、向こうから、薄い板を一つ取り出す。

「比較するなら、これも見とけ。こいつは、運ぶ途中で割れた分だ」

 店の見本だった。

 縁に白く筋が入り、そこから小さなひびが枝分かれしている。俺たちの持ち帰った板は、一方の端だけが不思議なくらい滑らかだった。

「切ったから、全部駄目だと思ってました」

 俺が言うと、ラウルさんは鼻で笑った。

「何に使うつもりで駄目なんだ。獣の背に戻すのか?」

「それは、戻したくないです」

「なら、買う方の使い道も聞け。あんたの剣の使い道だけで、こっちの台を決めるな」

 怒った声ではなかった。

 俺は、もう一度、板の切り口を見た。

 荷運びの時には、箱を開けずに運べればいい荷物もあった。中身を傷めずに開けてほしい荷物もあった。同じ箱だから、全部閉じたままが正しいわけではない。

 リゼさんが、見本と持ち帰った物を交互に見る。

「割れて層が剥がれた所より、使える面を取りやすいんですね」

「そういうことだ。こいつらは、小さな保護板の材料へ回せる。ただし、薄すぎる端まで同じ値じゃない」

 ラウルさんは、一つ目の包みから、二枚を横へ分けた。

 神剣で斬れば何でも高くなる、ではなかった。欠けた端は欠けた端だし、土を噛んだ所もある。大きな切り口が綺麗でも、全部を一つの値にしては売れない。

 その分け方を、リゼさんは自分の図にも残した。

「買わない分は、こちらで持ち帰れますか」

「いいぞ。引き取る分と混ぜなけりゃな」

 彼女は頷き、薄い端を示す小さな線を引いた。

「見本にしたいです。値段の付いた所だけ持っていると、次に、どこで違ったか分からなくなるので」

「見本まで全部売らねえのは、いいことだ」

 ラウルさんの顎髭が、少し動いた。

 褒められて、リゼさんの返事が一拍だけ遅れる。

「……はい。これは、持っておきます」

 俺は、自分が斬った面ばかり見ていたことに気づいた。

 リゼさんが欲しかったのは、売る物の名前を当てることだけではない。次に同じ物へ会った時、自分で比べられる物を、今日の中から選んでいた。


 値を出す時、ラウルさんは、二つの包みをまた別々に寄せた。

「こっちが五銀。こっちが七銀。両方買うなら、十二銀だ。いま見せた分を除いて、ここに載せた板だけ」

 俺は、銀貨より先に、台へ指された範囲を見た。

「この二つで、十二銀」

「ああ。次に持って来た物まで、その値になるとは言ってないぞ」

「はい。でも、今日の分が、ちゃんとあるんですね」

 自分で言って、少し変な言い方だと思った。

 倒せたのが二体だけだった、と、戻る時には思っていた。いま、俺の前には、宿へ何日も帰れる分の値段が付いている。

 ミーナさんが、台の横から俺を覗き込んだ。

「なくなると思ってたの?」

「剣が強すぎて、売れる所まで壊したかと」

「一振りで済ませたのは、よかったね」

「それ、褒めてます?」

「今のは、ちゃんと」

 彼女は笑ってから、ラウルさんへ向き直る。

「私は、その値なら売っていい。二人は?」

「私も。残す端は、この小さい包みへ入れました」

 リゼさんが、図録の横へ布を寄せた。

 俺も売ると答えた。ラウルさんは板を買い取る側の台へ移し、銭箱を開ける。

 薄い金属の音が、十二回した。

 神剣を売ったのでも、守護環を預けたのでもない。

 あの剣で倒して、三人で拾って、持って戻った物の値段だった。


 そこで、銀貨六枚が、俺の前へ来た。

 ミーナさんは自分の三枚を、指で一枚ずつ裏返して受け取る。

「術を一回も使わない日にも、三銀ある」

 嬉しそうな声だった。

 俺は顔を上げる。

「ミーナさん、使ってない所ばかり言いますね」

「私の稼ぎ方だからね。何を使うと、どれだけ疲れるかは知っておきたい。今日は、使わないで戻った分も、悪くない」

 彼女は銀貨を財布へ落とした。

 見張ったことも、床の欠けを見つけたことも、敵の数へ入れるより分かりにくい。それを俺が代わりに長く褒めなくても、彼女自身が、今日の仕事へ値段を付けて受け取れた。

 リゼさんも、右手で三枚を確かめた。

 俺は布の端が台から落ちそうになるのを押さえ、彼女がしまうのを待つ。

「今日、共通の買い物はありませんでしたから、十二銀を、そのまま二対一対一ですね」

「はい。飯は、別で払った分のまま」

 俺は答えた。

 食堂で払った七十銅を、もう一度皆の報酬から引かなかった。リゼさんの昼食も、ミーナさんの汁の皿も、それぞれが選んで払った物だ。

 俺の九十四銀八十三銅に、六銀が加わる。

 百銀八十三銅。

 百の所で、指が止まった。

「どうしたの、数え直す?」

 ミーナさんに聞かれ、俺は首を振った。

「百銀、超えました。装備を買って、泊まって、食べても」

 いま持っている金だけを言った。先に数えた銀貨を、もう一度足したのでも、まだ手に入れていない奥の宝を数えたのでもない。

 リゼさんが、少し笑う。

「今日は、食べた後に超えましたね」

「そこが、かなり嬉しいです」

「うん。次は、肉を我慢しなくても歩ける」

 ミーナさんの声に、俺も笑った。

 札や勘定だけで生活が変わるとは、前は思っていなかった。けれど、次の食事のために今日の角を無理に越えなくてもいいことは、確かに、俺の足を軽くした。


 窓口を離れる前、リゼさんは残した板の端をもう一度見た。

「これ、私が預かってもいいですか。地図に、見本の番号も付けたいので」

「はい。あの二つを持って歩くより、小さくなりましたね」

「でも、見本は増えました」

 弾んだ声だった。

 全部を知ってからでないと人へ渡せない、という顔ではなかった。知らなかった物を、次に調べるために持って帰る顔だった。

 小さな見本は、リゼさんの鞄へ入った。売った板はラウルさんの台に残る。白鐘から持つ刻印板は、俺の荷の中だ。

 値が付いたからといって、持っている物を全部売ったわけではない。


 宿へ戻る道で、俺は腕を見た。

 守護環の内側は、朝より薄い光のままだった。明るい通りで見ると、回廊の中で見た時とまた違う。

 食事をして、買取を待った。時間は過ぎたが、それだけで満タンへ戻ったと言える印は見つからなかった。

 俺は、ミーナさんへ声をかける。

「行く前に、壁の位置だけ、もう一回見てもらえますか。敵のいない所で」

「いまから鉄牙へ戻る、じゃなくて?」

「戻りません。足を置く所を、俺も横から見たいです。前を向いたままだと、二人の足が見えないので」

 ミーナさんの歩みが、少し緩んだ。

「それなら、短く。場所を借りられたらね」

 リゼさんも、右手で鞄の帯を直した。

「私も、紙を動かす時にどこへ寄ったか、見てほしいです。剣の幅まで、後ろからは見えなかったので」

 誰か一人が正しい位置を全部教えるのではない。

 朝、三人で帰った時の、三人に違って見えていた所を合わせたかった。


 宿の女主人は、中庭の桶を二つ重ねながら、俺たちの頼みを聞いた。

 白の混じった黒髪を押さえ、乾いた洗濯物と、土の端を見比べる。

「剣を振るなら、洗濯物は相手にしないでおくれよ」

「今日は、抜く前に止めます。壁を一回だけ、出したいんです」

「なら、あの端。戸から井戸までの間は空けといて。最後に、そこへ置いた物を戻す。それでいいなら」

 女主人が指した端へ、俺は鞄を運んだ。

 通り道へ何も置かず、三人で場所を見る。踏んで滑る土も、背中の壁も、朝の回廊とは違う。ここでできたから、向こうの角まで同じように歩けるとは思わなかった。

 ミーナさんは地面へ枝を一本、置いた。

「これは壁の場所。まだ、光は出さないで」

 俺は腕を上げかけて、下ろした。

「はい。先に、立ちます」

 リゼさんが、枝の手前から横へ一歩ずれた。

 俺も二人の側へ立つ。そうすると、朝は広いと思った自分の肘の脇が、思ったほど空いていなかった。

「俺がここで抜くと、リゼさんの板へ、柄が当たりそうです」

「私は、こちらの足から動いた方がいいですね。左側を、急に空けようとしていました」

 リゼさんは地図板を右脇へ抱え直す。左掌では何も押さえない。

 ミーナさんが、枝の端の外へ回った。

「私なら、ここまで来る。でも、壁の外に出たら守ってもらえない。いまのは、近くへ寄った方が見やすいだけ」

 俺は彼女を見て頷いた。

 守護環を出せることと、みんなを守れることの間に、こんなに足の置き方があった。

 それでも、朝より面倒になったとは思わなかった。

 どこへ立てば一緒に使えるかを、今度は、三人で選べている。


 枝を片づけ、二人がこちら側へ揃ってから、俺は環へ意識を向けた。

「前へ出します。四秒で消します」

「いるよ。リゼも、こっち」

 ミーナさんが答える。

 青白い一枚が、中庭の端へ立った。

 向こうの景色が、薄い光を一枚隔てて見える。リゼさんが右へ板を寄せ、ミーナさんは、俺の靴の横を空けた。

 俺は、神剣の柄へ手を置く。

 抜かない。

 柄を持った肘が、誰の持ち物にも触れていないことを見て、手を離す。

 四秒で、壁を消した。

 何も斬らなかったのに、今度あの獣へ向かう時の自分の姿が、少し変わった気がした。

「いま、私、先にアルトへ寄りすぎた」

 ミーナさんが自分の足を見下ろした。

「避けてくれたから、気づきました。次は、こっちを空けます」

 俺は土を靴で軽く指す。

「壁が消える前に、二人がもう一歩、戻れる方ですね」

 リゼさんが言った。

 彼女の声を聞き、俺は、朝、前ばかり見た自分の目を思い出す。

 次に見たい物が、いまは前だけでなかった。

 輪の光は、試す前よりわずかに薄くなった。残りの回数は、まだ言えない。四度目を使えたことだけを、リゼさんに書いてもらった。

 朝の三秒、四秒、五秒に、いまの四秒。一回ずつの間は、三十秒よりずっと長い。俺の魔力は八十のまま、光刃も使っていない。

 今日は、ここで終わりにした。

 同じことを何度も繰り返して輪を空にするより、いま見えた足の位置を、次の回廊へ持っていきたかった。


 枝と鞄を戻すと、女主人が、井戸への道を歩いて通った。

「うん。桶の通る所は、前より広いね」

「最後だけ、上手くなりました」

 俺が答えると、彼女は短く笑って、桶を持っていった。

 ミーナさんは、外套の紐を結び直した。

「じゃあ、私は行く。今日の三銀、全部食べないようにはする」

「それ、俺へ言ってます?」

「半分、自分。半分は、顔に書いてある人」

 俺は財布へ触れかけ、やめた。

「次は、明日の朝から、正午に町へ戻る目安で考えています。ミーナさん、空いていますか」

 初めて、その形で頼めた。

 彼女は、少しだけ考えてから頷いた。

「明日の午前なら、取れる。今日見た二つ目の角から先を、いきなり全部回る話にはしないでね」

「はい。上の道と、残った一体は、位置もまだ分かりません。輪も、朝、同じ場所で見てからにします」

「私は、今日の地図と見本を持っていきます。左手は、まだ休ませたままで」

 リゼさんが自分の希望を足した。

 俺は二人を見る。

「取り分は、今日と同じ二対一対一。共通に買う物があれば、買う前に決めたいです」

「うん。その午前の依頼なら、私は受ける」

 ミーナさんが、はっきりと答えた。

 明日の全てでも、この先ずっとでもない。

 それでも、次の一回が、自分たちの言葉で決まった。


 彼女を送り、俺たちは中庭の荷を持ち上げた。

 リゼさんの鞄の中で、小さな板の見本が、布越しにかすかに触れ合った。

「明日は、もう少し先が描けるといいですね」

「はい。今日、帰ってきた所から」

 俺の財布には、百銀八十三銅がある。

 腰には神剣があり、腕には、まだ使い方を覚えている途中の守護環がある。

 切った欠片を、ただの欠片で終わらせなかった人たちと、明日も同じ入口へ行く。

 次に何を見たいかを考える時間まで、今日の報酬に入っている気がした。

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