二つ目の前払いは、守るために
【前回までの人物】
・アルト:白鐘の迷宮を踏破して神剣を得た探索者。次の前受け枠は空いており、鉄牙回廊を次の候補にしている。
・リゼ:鑑定と地図が得意な同行者。左掌は療養中。可視の二点間を測る鏡と、右手で紙を留められる地図板を持つ。
・ミーナ:短期の仕事で二人と組んだ魔術師。次の同行は、日程と条件を改めて相談する約束。
翌朝の約束を書く時、俺は、集合の場所を二回書き直した。
四月十二日の午後。
宿の中庭で使った箒を返し、部屋へ戻ってからのことだ。
最初は、明日の朝、組合で、と書いた。
それだけでは、何時に行けばよいのか分からない。時刻を足すと、今度は、入口側なのか町の窓口なのか、自分でも曖昧になった。
前の人生でも、設備の前、とだけ言われて、違う棟の設備の前で待ったことがある。
俺は小さく笑い、紙を向け直した。
十三日の朝八時。町の組合窓口の前。そこで、鉄牙回廊へ行く条件の相談をする。
参加できるか、返事をください。
最後の一行を足すと、少し緊張した。
昨日も今朝も一緒だった人に、また会いたいと、もう一度頼む文だった。
町の取次ぎへ託す時には、三人で話した場所を指定した。ミーナさんの午後の仕事先へ、勝手に呼びに行くつもりはなかった。
夕方、了解、と短い返事が届いた。
リゼさんも、その時刻なら、と頷いてくれた。
まだ仕事の契約はできていない。
それでも、朝に空けておく場所が、一つ、三人で同じになった。
その夜の宿代二銀と夕食六十銅を払うと、財布には九十五銀五十三銅が残った。
朝食込み。翌朝、同じ分をもう一度数えないよう、俺は帳面の横へ小さく書いた。
買った灯りは、神剣と当たらない場所へ置いてある。
寝る前に覆いを開き、明るさを確かめてから閉じた。
明日、次の迷宮へ行く。
そう思うと、眠る前の天井まで、少し違って見えた。
それでも、眠れなくなるほどではなかった。
次の一日のために、ちゃんと寝ることも、もう一度生きる俺が選びたかったことだった。
十三日の朝、窓口の前には、ミーナさんが先に来ていた。
濃紫の髪を高くまとめ、藍の外套を肘へ掛けている。紙を見る緑の目が、こちらへ向いた。
「今日は、場所、間違えなかったね」
「間違えそうな文は、俺が先に書き直しました」
「いいね。待ってる方には、それ、見えないけど」
彼女は笑い、外套を羽織った。
リゼさんが、右手で地図板を持ち上げる。
「紙、ずれずに持って来られました」
「左の手は?」
ミーナさんに訊かれ、彼女は包帯を少し見る。
「まだ、荷物は持ちません。昨日の板が便利でも、治ったことにはしないで行きたいです」
「うん。そこは、そのまま」
俺は、相談する内容を書いた紙を出した。
剣を抜く前に、こっちを自分で出せたことが、少し嬉しかった。
「今日は、入口と、戻れる範囲の確認から始めたいです。最深部まで一度に行く約束ではなくて」
俺が言うと、ミーナさんは頷いた。
「私は、今日は昼過ぎまでなら組める。明日の分まで、先に取らないでほしい」
「分かりました。今日、進めた所を見て、次の相談をする形で」
「戻るって言った人がいたら、足を止めて聞く。それも、入れて」
「はい。剣を持っている俺だけが、進む方を決めません」
リゼさんが、空いた紙の端へ書いた。
「私は地図と鑑定をします。運ぶ荷の重い方は、お願いします。ただ、何を持ち帰るかは、私も見て決めたいです」
「もちろんです。全部を切って箱へ入れれば売れる、ではないので」
「箱まで切らないでね」
ミーナさんの一言で、俺の真面目な顔が少し崩れた。
「そこは、切らずに使います」
「昨日、板の角を切る時、楽しそうだったから」
楽しかったので、否定はしなかった。
取り分は、持ち帰った物を換金し、その日の三人で合意した共通経費を引いた残りを、俺が二、リゼさんとミーナさんが一ずつとした。
俺が強い剣を持つこと。リゼさんが地図と鑑定を仕事にすること。ミーナさんが術と、進路を見ながら動ける役を引き受けること。
誰か一人が欠けても同じ額になる、と決めるのでなく、今日は、その役で組むと話した。
食べる物の好みや、個人の買物は、自分の財布から。
大きな出費は、買ってから残りの二人へ割り勘を頼まない。
ミーナさんは、書いた割合を見てから、俺を見た。
「私の術を使わないで終わる日があっても、同行した分は、この割合でいい?」
「はい。使わないで済んだら、仕事をしていなかったことにはならないと思うので」
「なら、私はこれで。ずっと同じ割合かは、次に組む前に、また話す」
リゼさんも頷いた。
「鑑定に時間が掛かる物が見つかった時は、その場で伝えます。何でも、すぐ値段が分かるとは言わないので」
「俺も、何でも切るとは言いません。切ってよい物か、先に聞きます」
「いい返事。昨日から、少しだけ上手くなった」
ミーナさんが、紙の隅を軽く指で叩いた。
褒められたのが剣ではないのも、悪くなかった。
鉄牙回廊の入口は、白鐘より低く見えた。
上へ伸びる石の飾りより、横に重なる暗い梁の方が目につく。風が通ると、奥から短い金属音が返った。
リゼさんは、入口の陰の手前で止まった。
「ここから先は、私の新しい頁です」
地図板に留めた紙は、まだ白かった。
俺は、その言い方が好きだと思った。
知らない道があることを、失敗ではなく、これから描く場所と言える人だった。
入口係に三人の名と、今日は短い範囲を見て戻る予定を伝える。
袖を留めた係員は、こちらの武器だけでなく、リゼさんの左手も見た。
「戻る時も、人数をお知らせください。入口側の広い区画は、通行路を塞がなければ、装備の確認に使えます」
「ありがとうございます。先に、そこで試したい物があります」
俺は核碑のある方を見る。
初めて白鐘で触れた時とは、違っていた。
仕組みを知っているからこそ、今度は、何を選びたいのかを考えて来られた。
核碑へ手を置くと、刻印板の空いた枠が、薄く光った。
鉄牙回廊。
まだ俺が踏破していない、次の迷宮の名前だった。
前受けできる報酬の説明が、その下に続く。
守護環。
前方三メートル以内へ、幅三メートル、高さ二メートルの障壁を一枚。
最長十秒。再使用まで三十秒。使う力は環自身の蓄えで、神剣の光刃に使う俺の魔力とは別に扱う。
俺は、まず、前方という字を見た。
背中も、頭の上も、同時に全部守るとは書いていない。
動けば勝手についてくる盾でもなかった。
それでも、幅三メートルの壁のこちら側に、仲間が立つところを想像した。
リゼさんが紙を描き、ミーナさんが足元を見る。その時間を、俺の剣だけで作らなくてもよくなる。
「何を選ぶの」
ミーナさんの声に、俺は顔を上げた。
「守る物です。一方向に、壁を置けます」
リゼさんの目が、俺の手元から、空いた腕へ移った。
「神剣は、なくならないんですよね」
「はい。白鐘を終えて、手元へ残った分は、そのままです。次の前受け枠は、鉄牙を終えるまで、これ一つになります」
最深部の報酬を、入口で借りる。
それは、今度も、攻略したことにはならなかった。
俺は、説明を読み返してから、守護環を選んだ。
手の上へ、輪が落ちてきた。
薄い銀の色をしていて、内側の細い筋に、光が静かに溜まっている。
重さは、思っていたより小さかった。
俺が目を寄せていると、ミーナさんが、隣で吹き出した。
「また、いちばん驚いてる」
「嬉しいです。まだ、喜び方に慣れてなくて」
「慣れなくても、そのままでいいと思います」
リゼさんは、俺より輪の縁をよく見ていた。
「でも、着ける前に、こちらの光っている所、見ておきたいです。使った後、変わるかもしれないので」
俺は頷き、彼女へ見えるように向けた。
石の中に隠れた真相を、鏡で覗いたのではない。目の前に出てきた装備を、いまの状態から記録する。
白い紙へ、輪の小さな形が一つ増えた。
俺は腕へ収め、袖の当たり方を確かめた。
腰には神剣。腕には、まだ一度も使っていない守護環。
どちらも、これから進むために、自分で選んだ力だった。
最初の障壁は、置く位置を間違えた。
広い確認区画で、通る人のいない方へ向けたつもりだった。
青白い面が、音もなく、俺の一歩前へ立つ。
光は薄いのに、その向こうの石目が、細かく揺れて見えた。
「……出た」
俺が言うと、ミーナさんが、自分の足元を指した。
「出たね。私、そっち側なんだけど」
彼女は、壁の外にいた。
俺は慌てて手を伸ばしかける。
「消します」
「うん。まず、消してから。押して寄せなくていい」
障壁を閉じると、空いた所へ、普通の空気が戻った。
三秒ほど。
十秒使い切らなくても、次に使えるまでの待ち時間は、なくならなかった。
俺の魔力は、八十のまま。光刃は使っていない。
けれど、環の内側にあった光の張りは、少し変わった。
三十秒待てば、何度でも無制限に使ってよい、と読み替えてはいけない。再使用の間隔と、環の蓄えは、別に見る必要があった。
リゼさんが、その違いを紙へ残す。
「壁の高さより、誰がどちら側にいるかを、先に見ないといけないんですね」
「はい。俺が守ってる顔で、置いていく所でした」
「顔は、すごく嬉しそうだったよ」
ミーナさんは、怒ってはいなかった。
今、ここで言ってもらえてよかった。
待っているあいだに、三人の立つ場所を動かした。
ミーナさんは、壁を出すと決めた時、短い合図を先に出してほしいと言った。
リゼさんは、自分が後ろへ戻る道を、荷物で塞がないようにしたいと言った。
俺は、剣を抜く側と、輪を着けた腕を見比べた。
強い装備が二つになっても、腕が四本に増えたわけではない。
「この辺なら、私が足元を見られる。リゼ、板を持ったまま、そこへ動ける?」
ミーナさんが、石の継ぎ目を指す。
リゼさんは左の手を使わず、鞄の位置を少し変えた。
「はい。ただ、急いで一度に二歩より、先に一歩寄っておきたいです」
「じゃあ、先に寄って。そこからでいい」
俺は、その一歩が終わるのを待った。
言われるまで、自分がすぐ壁を出したい顔をしていたと気づかなかった。
今度は、二人の場所を見てから、前を向いた。
まだ使わずに、どこへ置くかだけを指で示す。
ミーナさんが頷く。
「うん。いまなら、私も守られる方にいる」
その返事が、輪の光より、はっきり見えた。
確認区画を出て、入口側の回廊へ進んだ。
装備を出してから、もう何分か経っていた。次に出せる間隔は過ぎているが、俺はそれだけを理由に、壁を出したまま歩こうとはしなかった。
リゼさんが最初の角までを描く。鏡で測るのは、見えている二点の間だけだった。
ミーナさんは、床の固さを靴で確かめた。
「ここ、石。私の砂の術を、何でも同じようには使えないからね」
「はい。剣と壁の方で、道を作ります」
「道を作る前に、どっちが戻る方かも覚えて」
言われて、俺は振り返った。
入口の光が、まだ見える。
その明るさを、地図の中だけの物にしないよう、目で確かめた。
角の先で、鉄が石を引っ掻いた。
低い影が、床から浮いたように見えた。
四本の脚。背へ重なる硬い板。岩と同じ所へ丸まっていた獣が、音へ反応して身体を伸ばす。
ミーナさんが、先に止まった。
「前。あの継ぎ目の横」
「見えました」
俺は二人の位置を確かめた。
リゼさんが地図板を抱え直し、決めていた一歩を下がる。
獣が、石の上を跳ねた。
「前へ壁、出します」
声を置いてから、輪へ意識を向けた。
青白い面が、三人と獣の間へ立つ。
次の瞬間、硬い音が回廊に返った。
獣の爪が光を滑り、こちらへ届かず、身体ごと横へずれる。
俺の足元は動かなかった。
ミーナさんが、短く笑った。
「止まった。アルト、まだ、こっちは見なくていい」
俺は正面を見た。
獣は、自分が弾かれた所へもう一度飛び込まず、光の端へ回ろうとしていた。
ただの的ではない。通れる幅を見つける、相手の動きだった。
だから、俺も、壁だけが勝ってくれるのを待たなかった。
リゼさんの声が、後ろから届く。
「右の床、奥で欠けています。そこまでは、追わないでください」
「分かりました」
壁を閉じる。
獣が次の一歩を選ぶ間に、俺は神剣を抜いた。
白鐘の最深部を切った刃は、鉄に似た背板でも止まらなかった。
一度。
硬い板が二つに分かれ、獣の影がほどけるように床へ落ちた。
光刃は出していない。
肩へ返ってきたのは、剣を振った自分の重さだけだった。
終わってから、俺は二人を見た。
リゼさんは、さっきと同じ場所にいた。
ミーナさんも、まだ、俺が確認した側にいた。
「二人とも、大丈夫ですか」
「はい。手も、板も」
リゼさんが答え、ミーナさんは自分の外套を見下ろした。
「こっちへ爪は来てない。今回は、砂も使わずに済んだ」
俺の腕の輪が、少しだけ温かかった。
実際に出した壁は、四秒ほど。最初の三秒と合わせても、二度の短い使用だった。
魔力は八十のまま。環の蓄えは、別に減っている。
次をすぐ出せると、決めて進む気にはならなかった。
けれど、さっき、二人へ届かなかった爪の音は、まだ耳へ残っていた。
「これ、選んでよかった」
独り言のつもりだったのに、ミーナさんが聞きつけた。
「私も。最初に、私を外へ置いた所だけ、次から減らしてね」
「あれは、ちゃんと覚えてます」
「じゃあ、半分くらい信じとく。残りは、次に壁の内側へ入ってから」
リゼさんが笑い、紙へ新しい印をつけた。
獣が出た角。床が欠けた所。戻れる道。
誰も、最深部まで分かった図にはしなかった。
持ち帰る物があるかは、触る前にリゼさんと見た。
すぐ売れる物だ、と決めたわけではない。獣の残した硬い欠片を、彼女は右手で示し、包むなら角を隠すようにと言った。
俺は自分の荷から包みを出し、彼女の言った面へ当てた。
今日の収入は、まだ零。
取り分の紙があるからといって、財布に銀貨が増えたことにはならない。
それでも、先へ進む道と、持ち帰って確かめたい物が、一つずつできた。
ミーナさんが、入口の光と、自分の時刻を見比べる。
「今日は、次の角を見たら、一度戻ろう。環も、あなたの身体も、最初の日だから」
俺は、少しだけ先を見た。
もっと行きたい気持ちは、ちゃんとあった。
だから、その気持ちも消さずに、頷いた。
「はい。俺、続きも来たいので、今日の帰りを、ちゃんと残します」
「いい返事」
ミーナさんが前を向く。
リゼさんは、白い頁の次の行へ、鉛筆を置いた。
神剣は、腰に残っている。
新しい守護環は、腕にある。
最深部でもらうはずの二つ目の報酬を、俺は、入口から使っていた。
そして、その向こう側には、もう一人で走り込むのでなく、同じ光を見ながら進む二人がいた。
俺は次の角の手前で、もう一度、戻る方を確かめた。




