次の依頼も、三人で
【前回までの人物】
・アルト:白鐘の迷宮を踏破した探索者。神剣を使い、町の依頼で稼いでいる。
・リゼ:鑑定と地図が得意な同行者。測距鏡は見える二点間を三十メートルまで測れる。左の掌は療養中。
・ミーナ:砂地の一部を短い間粘らせる術を使う。三人で工具箱を回収し、それぞれの報酬を受け取った。
皿の底が見えてから、言おうと決めた。
肉の脂が残った豆を、匙で最後まで集める。食堂の窓の外を荷車が通り、車輪が石の継ぎ目を越える音がした。
ミーナさんは空いた皿を卓の端へ寄せ、藍の外套へ腕を通しかけている。
今言わなければ、食事の礼だけで別れる。
「次の依頼も、俺と組んでもらえませんか」
外套の袖が、途中で止まった。
彼女は俺を見て、それからリゼさんへ目を向けた。
「次って、午後? それとも、これから全部?」
「……全部、とは、考えていませんでした」
「考えてないのに、全部って言わなくてよかった」
ミーナさんは袖へ手を通しきらず、もう一度椅子へ座った。
断るために長く座った顔ではなかった。それで少し楽になったが、俺は勢いで続きを決めないよう、膝の上で指を開いた。
「今朝の仕事、二人がいて、俺は斬る所へ行けました。次も一緒に、と思って。でも、次が何かまで、まだ決めていません」
「私は、帰りに持つ箱が小さければ、かなり前向き」
リゼさんが小さく吹き出した。
ミーナさんも笑ったが、そのあと、俺の目へ戻った。
「ちゃんとした話だとね。私は別の人からも仕事を受ける。その人と先に約束した日は、そっちへ行く。それでもいい?」
「はい。俺の剣が強いからって、待っていてもらう話には、したくないです」
「うん。あと、危ない時に帰るって、私からも言う」
彼女は外套を膝へ戻した。
快活な声のまま、そこだけは笑わなかった。
「斬れる物が多い人って、行ける場所も全部増えた気になりそうだから」
採石場で、俺が梁へ踏み込みかけた一瞬を思い出した。
剣は梁も切る。切ったあと、立てる床があるかまでは決めてくれない。
「言ってください。俺が見ている所と、違う所を見ていたら」
「じゃあ、私も。測れた距離だけで、歩ける道を決めないようにします」
リゼさんが、卓へ置いていた手帳を引き寄せた。
右手で角を揃え、包帯のある左手は膝に残す。
「次に何をするか、三人で札を見ませんか。私だけ、二人のあとについていく形には、したくありません」
その言葉が嬉しくて、俺はすぐ頷きかけた。
リゼさんは俺の顔を見て、ほんの少し口元を上げる。
「嬉しそうですけど。私、歩くのが嫌な日は、嫌と言いますよ」
「それは……先に聞ける方が、助かります」
「よし。じゃ、皿は置いていこう。次の仕事に持って行く物じゃない」
ミーナさんが立ち上がった。
俺は手帳ばかり見ていて、空の椀を無意識に端へ引いていた。
二人に笑われ、手を離す。
次の仕事の前に、食堂から出る所で、もう少し落ち着く必要がありそうだった。
*
午後の窓口には、午前と違う札が掛かっていた。
町の外周にある荷置場の、通路を開ける仕事。
崩れた石板が一枚、荷車の道へ落ちている。建物を支える柱ではなく、古い仕切りの板石だという。
大きいままでは、運ぶために広い道を塞ぐ。通常は石工を待って小さくする所を、切断できる人がいれば頼みたい。
窓口係は図の端へ指を置いた。
「三十銀です。切断だけでは完了になりません。通路から退け、荷車が通れることを現地で確認してもらいます。建物の内側へは入らない依頼です」
神剣へ目が行った。
大きい石を切れるかなら、俺には、もう答えがある。
けれど、運ぶ人まで剣から出てくるわけではない。
「退ける手は、荷置場で借りられますか」
「担当の二人が残っています。切る前に、運べる大きさをそちらで相談してください。下に荷物がないことも、現物を見てからです」
「私は、石を持つ方は外します。道幅を写して、荷車の通る所を見ます」
リゼさんが右手で図を示す。
「鏡が測れるのは、見えている端です。石の下へ別の物が挟まっているかは、分かりません」
「下は、俺たちで見る所ですね」
「はい。大きい石だからといって、見えない所まで大きく分かる道具には、なりません」
彼女は少しだけ楽しそうに言った。
自分の鏡が役に立つ場所を、狭めている顔ではない。使える所を、自分で選んでいる顔だった。
ミーナさんが、報酬の数字を指で隠して、図を先に見る。
「足場、石だね。私の砂の術は、ここでは役に立たないかも。でも、切ったあとの誘導と、道を空ける方は出来る」
「見張りと運びの相談で、七。俺が十八、リゼさんが五では、どうですか」
初めて、自分から、三人分の数字を口にした。
言ったあと、胸の辺りが落ち着かなかった。
剣を自慢するより、金額を相手へ渡す方が、今はずっと難しい。
ミーナさんは、すぐ安いとも高いとも言わなかった。
「私は、それで。重い石を抱える方まで入るなら、受ける前に変えたいけど」
「はい。実物を見て、思っていた仕事と違ったら、始めずに戻る方で」
リゼさんが、図の通路へ指を戻した。
「私は五銀で、現地の幅と動かしたあとの道を記録します。荷置場全体の地図まで頼まれたら、その時に、別に相談したいです」
リゼさんも、数字を選んでくれた。
俺一人が三十銀を受け取って、あとで礼を分ける仕事ではなくなった。
窓口係が、三人の分担を控えへ書く。
俺たちは札を受け取り、午後の明るい通りへ出た。
*
荷置場は、木箱より先に、乾いた藁の匂いがした。
積荷に使う敷物を、風の通る壁へ立て掛けてある。作業員の二人が荷車を止め、俺たちの札を見て、塞がれた道へ案内した。
板石は斜めに落ち、片方の端が古い敷石へ載っていた。
人の背より長い。厚みのある側面は砂色で、角だけが欠けて白い。
俺は抜く前に、石の向こうへ回った。
重ねた木箱は離れている。壁へ入る戸は別にあり、板石の背後へ人が挟まっているわけでもなかった。
それでも、剣を通したあとに落ちる場所は、今の端とは違う。
「これ、切れた瞬間、そっちへ倒れそう」
ミーナさんが左側の隙間を指した。
俺は頷き、作業員の二人へ、まだ切らない、と手で示す。
運ぶための台を持って来てくれた所だった。二人は台を置き、石から離れて、こちらが決めるのを待った。
邪魔だからと遠ざけられた人ではない。
切れた物をどこへ置けるかは、この荷置場で働いている二人の方が知っている。
置き場を一緒に見て、進める向きを決めた。
石を小さくする前に、通路の外へ、小さい石を受け入れる場所が出来た。
リゼさんが、右手の鏡を持ち上げる。
「向こうの柱と、ここの敷石。三メートル十四です。荷車の外側も、実際に合わせてみたいです」
測った数字を紙へ置いてから、彼女は鏡をしまった。
作業員が空の荷車を押し、今、開いている側の道幅へ寄せる。車輪の外へ出る車軸と、人が持つ柄も、一緒に場所を取った。
幅があるから、通れる。
その言葉の中に、荷を押す人の足まで入っていた方がいい。
俺は地面へ置かれた目印を見て、剣の向きを変えた。
「先に、この上の端だけ。切れた物が、足の方へ来ない所からやります」
ミーナさんが通路の向こうへ親指を向ける。
「私は向こうを止める。術で石は支えられないから、来そうなら、下がる方ね」
ミーナさんの声が、はっきりした。
作業員の二人が、通る人を別の道へ向けている。
リゼさんは、俺の刃の延びる先へ立っていない。
全員の位置を見て、俺は柄を握った。
*
最初の一振りは、拍子抜けするほど軽かった。
白い刃を、石の端へ下ろす。
硬い表面が、柄へぶつかってくる感じがない。
刃が通り、遅れて、角の一片が落ちた。
乾いた音。
敷石へ細かな粉が広がる。
俺はそこで剣を止め、切り離れた所が動ききるのを見た。
持ち上げた刃の先には、欠け一つない。
「……切れてる」
自分で切ったのに、また言っていた。
「切れたね。今、持つ人を近づけていい?」
ミーナさんの問いで、刃を鞘へ戻す。
俺が剣を出したまま、すごい、と見惚れていたら、二人は運びに来られない。
「はい。この一片を運び終わるまで、抜きません。持てるか、そこから確かめてもらって」
作業員の一人が、切った石へ指を掛けた。
もう一人と息を合わせ、台へ載せる。
持ち方が決まると、二人は石置き場へ運んでいった。
大きな物を、俺だけで消したわけではない。
けれど、今まで動かせなかった形を、二人の手が使える大きさへ変えた。
神剣の強さが、刃の通った所から、少し先へ伸びていくようだった。
次に切る所を、リゼさんが紙と現物で比べた。
「下の隙間、さっきより広がっています。今の端が減って、傾きが変わったのかもしれません」
俺は、最初に決めた線へ刃を寄せるのをやめた。
石板は、切るたびに、同じ姿のまま待つ物ではなかった。
「一度、横から見直します」
「うん。見直す間も、道は止めてある」
ミーナさんが通路へ顔を向けた。
急かす人の声はない。止めたまま待ってくれている時間を、俺が勝手に短くする必要もなかった。
横へ回り、足の位置を変える。
今度は、地面へ寝る方へ落ちる端を切った。
石が傾いて、低い所へ収まる。
それを見てから、次の一振りを選んだ。
五回目に剣を収めた時、大きな板石は、通路から無くなっていた。
最後の一片は、俺も台を支えて運んだ。
重い。
刃で分けた時の軽さが嘘のように、腕へちゃんと石の重さが来る。
ミーナさんが笑い、置き場の手前を指した。
「そこで一回、下ろそう。強い剣の人の足へ落とすと、あとが面倒」
「面倒、で済ませてもらえるなら、まだいい方です」
「済ませないよ。だから、今、下ろす方」
俺も笑って、台を置いた。
切る時とは違う汗が、顎の先へ出ていた。
*
荷車が、開いた道を通った。
まず、空のまま。
次に、作業員が普段の荷を載せて、もう一度。
車軸の端は柱へ触れず、柄を持つ人も、切り粉の上を避けて歩けた。
リゼさんが、紙の横へ短い線を足す。
見えない所を描き足した線ではない。
いま、車輪が通った場所だった。
その向こうから、今度は別の荷車が来る。
荷置場の二人は、俺たちを見る仕事から、本来の荷を渡す仕事へ戻っていった。
俺は神剣の鞘を押さえた。
魔物を倒した時と違って、勝った相手は、もう目の前にいない。
その代わり、さっきまで止まっていた車輪が、普通の速さで回っている。
「明日も、ここを通るんですよね」
「間に合うといいね。明日の私は、別の荷の方で働いてるかも」
ミーナさんが、確認の紙を折った。
俺は頷く。
全部を良くした、と言うより、今日は通れるようにした、と言える方が、嬉しさが手の届く場所に残る。
リゼさんは地図を閉じる前に、道の角をもう一度見た。
「今度、通りかかったら、ここを知っている道として歩けますね」
「剣を抜かずに、ですか」
「はい。毎回、石が落ちていては困ります」
彼女が笑った。
知っている道が増えた、と言う声まで、少し明るくなっていた。
*
窓口で受け取った三十銀は、約束した三つの山になった。
俺に十八枚。ミーナさんへ七枚。リゼさんへ五枚。
「現地の確認と、通路の再開を受け取りました。石の処分は荷置場側ですので、皆さんの素材としての持帰りはありません」
窓口係は、確認の紙を控えと重ねた。
俺も、石を切った回数と、光刃を使っていないことを、自分の手帳へ短く残す。
普通の五振り。魔力は八十のまま。
懐の銀貨は、八十四銀二十三銅から、百二銀二十三銅になった。
声に出して数えると、少し笑ってしまった。
「百を越えた?」
ミーナさんが、しまう前の袋を見る。
「はい。でも、次の宿と食事で、また下がります」
「それで下がるのは、いい金の使い方だと思う」
リゼさんが、右手で自分の袋を結んだ。
「私も、手帳の紙を買いたいです。あと、今の左手でも使いやすいように、置く板を見たい」
「二人とも、次の仕事の金ばっかり」
ミーナさんが少し呆れた顔をする。
俺は首を振った。
「俺は、夕飯の肉も考えていました」
「じゃあ、よし」
何がよかったのか、彼女はそれ以上説明せず、鉄牙回廊の札へ顔を向けた。
俺も、そちらを見る。
まだ選んでいない前受けがある。持って行く物も、入口へ行く日も、今ここでは決めていない。
けれど、次は何をする、と訊く時、二人の顔が、自然に思い浮かぶようになっていた。
「明日の朝、ここで、鉄牙へ行く準備も相談しませんか」
「私の掌の具合も、見てからにしてください。見に行く日と、中へ入る日は、分けたいです」
「私は午前なら空いてる。午後は、先に聞いてる別の仕事があるから、長引くなら、また日を変えよう」
違う返事が、二つ来た。
それでも、断られた感じはしなかった。
俺は、明日の午前、と手帳へ書く。
そこに、三人とも一緒に来る約束だけが出来た。
知らない迷宮へ無条件に付き合う約束ではない。
今日、欲しかった次の一歩には、それで十分だった。
*
夕方、宿の階段を上がる前に、一泊分を払った。
朝食込みで二銀。夕食は六十銅。
袋に残ったのは、九十九銀六十三銅だった。
百銀の山は、一晩の寝床と湯気の立つ皿へ形を変える。
それを少しも損だと思わずに済むことが、今の俺には、神剣を持った実感の一つだった。
明日の自分が眠って起きられる場所を、自分で払える。
椅子へ腰を下ろすと、前腕に疲れが残っていた。石を運んだ時の分だ。剣を振れたからといって、倉庫で荷を持った時の身体まで、別の物にはならない。
痛みになる前に匙を置き、水を飲んだ。
焼いた肉の匂いが、湯気の向こうにある。
家へ出した便りは、もう届いただろうか。
答えは、まだ来ていない。
俺は届いたはずだと決めず、帰ったら話したいことだけを、手帳の余白へ足した。
石を切って、道が開いた。
強い剣を見せびらかして勝った話より、母には、そう言う方が伝わる気がする。
父なら、どれくらいの石だった、と訊くだろう。
その時、リゼさんが測った数字と、実際に通った荷車の話もしたい。
俺一人の記憶より、今日の仕事が、ちゃんと大きくなる。
手帳を閉じ、隣の鞘を見る。
神剣も、持ち帰った刻印板も、ここにある。新しい報酬を選んだわけではなく、前受けの枠は空いたままだ。
それでも、明日が空っぽなわけではなかった。
二人に、次も、と言えた。
二人は、それぞれの望みを付けて、返してくれた。
俺は肉を一口食べ、明日の朝、少し早く起きようと決めた。
待っていてもらうのではなく、俺も、そこへ行くために。




