強い剣と、三人で帰る道
【前回までの人物】
・アルト:白鐘の迷宮を踏破した探索者。持ち帰った神剣で、町の依頼や鉄枠の加工をこなした。
・リゼ:鑑定と地図が得意な同行者。測距鏡は見える二点を三十メートルまで測れる。左の掌は療養中。
・ミーナ:二人と採石場の依頼をした術者。砂地の一部を短い間粘らせる術で、進む道を支える。
朝食のパンを、剣で切る必要はなかった。
宿の卓で、俺は手で半分に割った。まだ温かい中から湯気が出て、豆の汁を吸わせると、端がゆっくり柔らかくなる。
昨日払った一泊二銀には、今朝の分まで入っている。
もう一度金を出さずに、ちゃんと食べられる朝がある。何でもないことのようで、家を出てからの俺には、かなり嬉しい。
四月十一日。
寝台で起きて、腰へ掛けると、神剣は今日もそこにあった。
前払いでもらったからといって、踏破した翌日で消える貸し道具ではない。
昨日、鉄を六か所切った刃に、欠けは無かった。
思い出して、また鞘へ目が行く。
「パンまで真っ直ぐ切りたい顔ですか」
向かいのリゼさんが、自分の分を右手でちぎった。
「いえ。朝もあるな、と思って」
「パンが?」
「剣です。……パンも、あって嬉しいですけど」
彼女が笑う。
左の掌の包帯は、今朝もそのままだ。椀は机へ置き、右手で匙を使っている。
俺も食事へ戻った。
神剣を見るのが好きでも、熱い豆を冷ましてまで確かめ続けるのは、少し損だった。
*
組合の窓口へ行くと、ミーナさんが掲示の前で手を上げた。
濃い紫の髪を高く結び、藍の短い外套を腕へ掛けている。緑の目は、俺の剣より先に、リゼさんの手へ向いた。
「おはよう。左、今日も持つ方は休み?」
「はい。重い荷を持つ仕事なら、今日は、外してもらう方で」
「それなら、これ。運ぶ手は二人分。見る人は、一人分ほしい」
ミーナさんが示した札には、昨日の採石場の名があった。
資材庫の鎧蟹を退けた仕事とは別の、小さな回収依頼だ。
外側の保管小屋へ残った工具箱を二つ、管理人の所まで運ぶ。内側の作業区画へ入る契約ではない。
俺は札の戻る場所を見てから、ミーナさんへ顔を戻した。
「昨日と、同じ道ですか」
「途中まで。こっちは砂が深いって。あと、石背蜥蜴を二匹見た人がいる。追い回して全部狩る依頼じゃないけど、帰る道は空けたい」
町の窓口係が、札の横へ確認用の紙を置いた。
袖を留めた灰色の上衣。昨日、鎧蟹の確認欄を受け取ったのと同じ係だった。
「工具箱は、小屋の奥の二つです。鍵は現地の管理人が開けます。帰着と中身を確認して、十五銀。外の区画で、それ以上の異変があれば、先へ進まず戻ってください」
俺たちは、図と札を順に見た。
剣で道が開けても、依頼の外側まで勝手に仕事を増やす必要はない。
「私は五。砂を止める方と、大きい箱を持つ分。アルトが七、リゼが三で、どう?」
七銀、と聞いて、頭の中で肉の皿が並びかけた。
俺は、その前に、小屋からの距離へ目を戻す。
「俺は、その範囲で。箱を持つ前と、持ったあとで、剣を使う場所を分けたいです」
「私は、道と、見える距離を。小屋の中が見える道具ではありませんから、箱の中身は管理人さんと確かめます」
「うん。覗いてない箱を、三銀で全部知る人にはしない」
彼女が、すぐ笑った。
仕事の範囲を話す時にも、声が硬く閉じる人ではない。
俺も笑い、今日の十五銀の分け方を、三人で確認した。
*
採石場の外側は、朝の光でも白かった。
岩から削れた粉が靴の縫い目へ入る。歩くと、乾いた細かい音がした。
管理人は柵の手前で札を見て頷き、鍵の輪を持ち上げた。石粉の付いた前掛けは昨日と同じだが、今日は資材庫とは別の戸を開ける。
俺たちは、開いた戸から箱を見た。
一つは横長で、一つは少し小さい。どちらにも、管理人が控えていた印があった。
持ち手を確かめる前に、リゼさんが振り返った。
「先に、あそこまでの道を見たいです。帰りに箱を置くなら、砂の中より、平たい所へ」
右手の鏡が、白い光を返した。
彼女は小屋の戸口と、柵の内側の平石を、順に捉える。
「十八メートル六十二。どちらの点も、ここから見えています。間の砂の深さは、歩いて見ます」
数字を聞くと、全部の道が分かった気になる。
俺は、昨日ガレスさんに足元を指されたことを思い出し、鏡の先ではなく、自分の靴の前を見た。
小さな窪みに、粉より濃い砂が溜まっている。
ミーナさんが足の端で少し探り、その外へ回った。
「私の術で、全部を床には出来ない。使うなら、あそこの狭い所。一か所ずつね」
「帰る時の分も、残しておきたいですね」
「そう。それを朝から言ってくれるなら、話が早い」
彼女が頷いた。
褒められたというより、同じ仕事の続きへ入れた気がした。
道を一度、荷なしで歩く。
リゼさんは鏡をしまい、右手で手帳を開いた。止まって書く時は、平らな石へ置く。傷のある掌を下敷きにして、無理に両手を使うことはしなかった。
俺は、手帳へ影を落とさない側へ立つ。
昨日は刃の先ばかり見ていた。その先へ行く足と、戻る人の手まで、今日は一緒に見ていたかった。
*
箱の中身は、管理人の控えと比べた。
大きい方に短い鉄の工具、小さい方に木の柄と細い道具が仕切って入っている。神剣で蓋を開ける仕事ではなく、鍵があれば、ちゃんと開く箱だった。
管理人が閉じる所を見て、ミーナさんが大きい方を両手で持ち上げた。
俺は小さい方を持つ。
思ったより重いが、前に倉庫で運んだ荷と、遠くない重さだった。
剣の補助が、箱まで軽くしてくれるわけではない。
「リゼ、道の先。私たち、下しか見なくなりそうだから」
「はい。曲がり角で一度止まってください。私が先に、柵の方を見ます」
戸を出て、砂の薄い方へ足を置く。
背後の鍵が鳴った。
その直後、前の石の陰で、別の硬い音がした。
リゼさんの足が止まる。
「右の石の横。背中が、動きました」
俺は箱を置ける場所を探した。
見つけてから、顔を上げる。
平たく張り出した石の下から、灰色の頭が出た。
背中の鱗が、石の粒を重ねたように盛り上がっている。札にあった石背蜥蜴だ。
もう一匹が、少し後ろで尾を擦った。
俺は口を開く前に、箱を平石へ載せた。
「二匹、見えます。俺が前へ。リゼさん、箱の後ろへ下がってください」
「私のも置く。一つ目は、右へ流すよ。そっち、足は?」
「空いています。左の梁は、切りません」
砂の端に、古い木の梁が半分埋まっていた。
白い刃なら、蜥蜴と一緒に、その下の物まで切れてしまう。
俺は梁の先を避け、剣を抜いた。
*
最初の蜥蜴は、石に似た背中のまま、思ったより速く来た。
低い頭と、開いた口。
その前の砂が、ミーナさんの指の動きに合わせ、鈍く湿ったような色になった。
細い足が、そこで一瞬、沈む。
魔物全部を閉じ込める壁ではない。勢いの向きを、わずかにずらす時間だった。
「今、右!」
俺は半歩、横へ出た。
神剣の柄が、手の中へ収まる。
大きく振りかぶる必要はなかった。
白い刃を、斜めに通す。
石を重ねたような硬い背中が、薄い布のように分かれた。
刃が抜けたあとで、ようやく、重い身体が砂へ落ちた。
手には、短い手応えだけが残っている。
昨日、鉄が切れた時と同じだった。
硬いから諦める、という考えが、剣を振る前に要らなくなっている。
けれど、二匹目は、その切り口を見て立ち止まってくれなかった。
倒れた方の背を避け、左へ回る。
俺の足も、そちらへ向きかけた。
「梁の外へ、回れます。後ろの平らな所まで、空いています!」
リゼさんの声が来た。
俺は無理に追わず、半歩、戻る。
蜥蜴が通りたい所へ、自分の足を残さない。
尾が、さっきの靴の場所を払った。
砂が頬へ当たる。
ミーナさんが、術を一度切った。
最初の砂が元へ戻ってから、二匹目の前で、別の小さな面が粘る。
同時に二つを作ったわけではない。彼女が切り替える、その短い間を、俺の足が作った。
「こっちも、長くは持たない!」
「足ります!」
今度は、横から振った。
腹を見せるまで待つ必要も、弱い鱗を探す必要もない。
分厚い背の端から、神剣が入る。
一振り。
二匹目の頭が下がり、尾が、砂を叩いて止まった。
俺は刃を引き、倒れた身体が動かないかを見る。
勝った、と声に出す前に、背後へ顔を向けた。
リゼさんが立っている。
ミーナさんも、肩を上下させながら、こちらへ手を上げた。
箱は、二つとも平石の上だった。
*
「……本当に、二回で済みました」
思わず、刃を見て言っていた。
ミーナさんが、額の汗を袖で拭く。
「うん。私は、二回でも汗かいたけどね」
「すみません。俺だけ、楽だったみたいな」
「謝る所じゃないよ。斬る方まで大変だったら、私の足止めが先に終わる。早くて、よかったの」
彼女は、砂が戻った所を靴先で確かめた。
自分の仕事を、小さくしてから褒めてくれる人ではなかった。
俺も、はい、と頷く。
強い剣で勝てる。それが分かっていても、俺の前へ来るまでの一歩を、二人が作ってくれた。
「二匹目、最初の方へ戻そうとしていたら、箱の近くへ来たかもしれません」
「そう。リゼの空いてる方、助かった。私も、荷を置いた所ばかり気にしてた」
リゼさんは、少し目を丸くしてから、平石の方を見た。
「鏡がなくても、見えた所だったので。数字を出すまで、待たなくてよかったです」
「俺は、声が来た時に、足が動きました。ありがとうございます」
言うと、彼女は右手で手帳を押さえた。
包帯のある左手を振って喜ぶのでなく、少し頬を上げて頷く。その小さな反応が、俺には妙に嬉しかった。
遠くで、管理人が合図を返した。
柵の外から、戦いが終わるのを見ていたらしい。中へ走り込まず、帰る道の先を空けてくれている。
俺たちはその場で、魔物の素材を漁る方へは移らなかった。
先に、持ち帰ると頼まれた箱がある。
倒れた二匹の位置は管理人へ示し、その後の扱いを引き継ぐ。依頼にない売上を、まだ財布へ足すこともしなかった。
*
少し休んでから、ミーナさんが大きい箱の持ち手を確かめ直した。
俺も剣を鞘へ収め、小さい方へ手を掛ける。
今度は、リゼさんが先に、ここで一度止まる、と平石を指した。
剣の強さで、箱の重さまでは消えない。
歩く途中、腕が少し張ってきた。俺は持ち直す前に、荷を一度置いた。
「いいね。そこで片手ずつ持ち替えると、次に落としそうだから」
「前の倉庫で、一度やりました。中身より先に、足を引いた方で」
「足を引けた方を、覚えてるのは偉い。次は、置く方まで先にね」
軽く笑って、彼女も箱を下ろす。
少し休めば、また持てる。
その間、後ろを見てもらえる。
強い剣を手にしても、全部一人で出来る人へ変わらなくてよかったと、俺は思った。
管理人は、二つの箱を控えと見比べた。
鍵を開け、中身を確かめ、確認の欄へ印を入れる。
俺たちは三人とも、柵の外へ戻った。
リゼさんの左手は、来た時と同じ包帯のまま。誰も、新しい傷を増やしていない。
ミーナさんが、外套を肩へ戻す。
「じゃ、町まで。今度は、箱を持たずに歩ける方」
「帰りの方が、もう少し軽くてよかったです」
「銀貨は、まだ増えていませんよ。窓口まで、なくさないでください。確認の紙の方を」
俺は胸の紙を確かめた。
二人が、揃って笑った。
*
窓口係は、十五枚を三つに分けた。
七、五、三。
最初に決めた通りの枚数が、自分の前へ来る。
「二箱と、皆さんの帰着を確認しました。蜥蜴二頭の件も、管理人の欄へあります。こちらで完了です」
俺は七銀を受け取った。
七十七銀五十八銅から、八十四銀五十八銅。
紙へ書かれた予定の額ではなく、今、自分の袋へ入る物だった。
ミーナさんも五枚を重ね、リゼさんも三枚を、自分の手帳と一緒にしまった。
「次も、三人でやるなら、同じ分け方ってわけじゃないからね。荷が違えば、私も違う値を言う」
「はい。次は運ぶ距離も違いますし、受ける前に、また話しましょう」
「私も、地図を描く範囲が広ければ、先に相談します」
彼女の返事へ、ミーナさんが嬉しそうに頷いた。
何でも一緒にする、という約束より、次も自分の希望を言える返事の方が、長く使えそうだった。
鉄牙回廊の名が、別の掲示に見える。
俺は目を向けたが、そのまま前受けを選ぶ方へは行かなかった。
前受けの枠は空いている。だからこそ、次に何を持って行くかを、仲間と話してから選べる。
昼は、三十五銅の皿をそれぞれ頼んだ。
焼いた肉の端と、香草の利いた豆。昨日より薄い肉でも、今日、三人で席へ置かれると、また違う匂いがした。
俺の残りは、八十四銀二十三銅。
飛ばす光刃は、今日も使っていない。普通の二振りで終えたので、魔力は八十のままだ。
家への便りが届いたかは、まだ分からない。
リゼさんの手も、一食で治る物ではなかった。
それでも、神剣で出来ることを、昨日より一つ、広く知った。
切る強さだけではない。
二人が教えてくれた場所へ、その強さを持って行ける。
俺は皿へ匙を入れ、口へ運ぶ前に、二人を見た。
「今日の帰り方、俺、また使いたいです」
「私は、もうちょっと軽い箱がいい」
「私は、箱がない日に、あの道を描きたいです。実際に歩いた分を、ちゃんと」
欲しい物が、三人とも違った。
それが可笑しくて、俺は笑った。
神剣は、今日も、椅子の横にある。
次に誰と、どんな道を帰るかまで、自分で選べる剣だった。




