第6話
騎士団長の第一声としては、これ以上ないほど正しい意見だった。もっとも、その発言を受けたルナ先輩だけは不満そうに頬を膨らませている。
「毒沼じゃないですよ。ちゃんとスープです」
「見た目の話をしてんだよ」
ゴーティエは鍋を覗き込みながら眉間を押さえた。普段なら豪快に笑い飛ばす人なのだが、流石に目の前で紫色の液体が泡を吹いている光景は想定外だったらしい。
「ロイゼ」
「はい」
「お前、これを飲んだのか?」
「まさか。口にしてたら生きていませんよ」
「そりゃそうか」
どこか安心したように頷く。まるで死刑執行直前で助かった囚人を見る目だった。
失礼な。まぁ、正しいかもしれないけど。
「ルナ」
「はい団長。なんですか?」
「それは後で医療班に回せ」
「何故です?料理の栄養分析ですか?」
「いや違う。毒物検査だ。意外と兵器として使えるかもしれんからな」
「ひどい!」
全然ひどくない。むしろ適切な判断である。昼食時にナハトが搬送された件を知れば、誰だって同じ結論へ辿り着くだろう。
ゴーティエのおっさんは大きくため息を吐くと、そのまま部屋の中央に置かれた長机へ腰を下ろした。すると先程まで騒がしかった三姉妹も、それぞれ自分の席へ戻る。なんだかんだ言って父親には逆らわない辺り、まだ理性は残っているらしい。
俺としてはその理性を普段から発揮してほしいのだが。
「さて」
緩んでいた空気を締めると、ゴーティエが指を組む。
「本題に入るぞ」
その一言で室内の空気が変わった。流石に騎士団長である。普段は酒好きの豪快なおっさんにしか見えないが、仕事中だけは別人だ。
「今回の再編で騎士団は十五個の部隊に分かれる。騎士一人につき百名から二百名の兵士を預け、それぞれが独立運用する形になる」
俺は黙って耳を傾けた。こういう話は重要だ。将来的に騎士を目指すなら尚更である。
「ヴィーナ」
「はい」
「お前には第一部隊を任せる。我が国で最高水準の誇る戦力だ。他の二人とは比にならない責任があることを自覚しろ」
「承知しました」
先ほどまでふざけていた彼女はそこにはなく。既に王国へ仕える騎士としてのヴィーナ・ヴィブロスの姿があった。
「セレナ」
「はーい」
「返事をちゃんとしろ」
「はーい」
「‥‥‥後で覚えとけ」
額に青筋を浮かばせる騎士団長であり、父親の姿を前にしてもセレナは平常運転。どれだけ気の抜けたプライベートの団長を前にしても、騎士団長モードの時はあのヴィーナでさえふざけることができないというのに大した胆力である。
「アナスタシア」
「はい」
「流れで予想がつくと思うが第三部隊だ」
「はい。承知しました」
三姉妹が上位から連番の部隊を与えられていく。やはりというべきか。王国最強戦力だけあって序列も高い。そんな中、俺は一つ気になることがあった。
「あの、団長」
「なんだロイゼ」
「ルナ先輩にも割り振りが?部屋には団長が呼んだんですよね?
ロイゼが尋ねると、ルナは少しだけ胸を張った。その仕草だけなら頼れる騎士そのものだ。
両手に持つ鍋さえなければ。
「ルナは第八部隊だ」
「思ったより下位だった」
「思ったよりってなによ!」
本人は不服そうだったが、ロイゼ自身としては正直驚いている。いや、騎士として優秀なのは知っている。知っているのだが。どうしても昼の弁当が脳裏をよぎるのである。
「ロイゼ兄様」
「なんだ?」
「失礼ですが今、料理のこと考えてましたよね」
「え、なんで分かったの?」
「顔に書いてあります」
便利だなその能力。回復魔法よりそっちを極めた方がいいんじゃないだろうか。
「それでだな」
一度咳払いして話に区切りをつけると、ゴーティエが話を戻す。
「問題はここからだ」
嫌な予感しかしない。この人がそう言う時、大抵ろくでもない。
「ロイゼ」
「はい」
「お前の配属先の話だ」
来た。部屋の空気が僅かに張り詰める。三姉妹の視線が一斉に俺へ向いた。
なんでだよ。ただの配属発表だろ。もっとこう、普通に聞いててくれないだろうか。まるで競売にかけられる家畜みたいな気分なんだが。
「まず結論から言う」
ゴーティエが笑った。その笑顔を見た瞬間、嫌な確信が生まれる。この人は今、面白がっている。
「ロイゼは特別任務付きだ」
「特別任務?」
「ああ」
俺は首を傾げた。聞いていない。そんな話は初耳だ。
「お前は一から三の部隊を巡回しろ」
数秒間、言葉の意味が理解できなかった。
「……はい?」
「だから三部隊兼任だ」
「意味が分からないんですが。そもそも俺はヴィーナ姉さん以外の配属になる話では?」
「そうなんだがな。それだと不公平だと思ってな」
「いや、考えたのは貴方でしょ!!」」
思わず立ち上がる。しかしゴーティエは悪びれもしない。
「ヴィーナはお前が欲しい」
「はい。当然」
「セレナも欲しい」
「当たり前でしょ」
「アナスタシアも欲しい」
「無論です」
三人とも当然みたいな顔をするな。そこに当然は一つも存在しない。
「だから公平にした」
「雑すぎるだろ!」
騎士団の未来が不安になる。こんな決め方で大丈夫なのか。
「安心しろ。死にはしない」
「それ安心材料になってないんだよ」
むしろ死亡ラインが最低条件になっている時点でおかしい。するとヴィーナが満足そうに頷いた。
「なるほど。悪くないわね」
「いや、よくないですよ」
「ロイゼ、週に二日は私のところへ来なさい」
「決定事項みたいに言わないでください」
「じゃあ三日にする?」
「話を聞いてくださいよ!」
譲歩じゃない。要求が大きくなっている。交渉として成立していなかった。
「私は毎日でいいと思うな」
セレナが呟く。
「駄目に決まってるだろ」
「じゃあ一緒に住む?」
「なんで話が飛ぶんだよ」
この人の思考回路だけは一生理解できる気がしない。
「ロイゼ兄様」
今度はアナスタシアが微笑む。
「副官室の隣に夫婦部屋を作っておきますね」
「作るな」
「まだ作ってません」
「作る気満々じゃねぇか」
もう嫌だった。配属発表のはずなのに未来の結婚計画ばかり進んでいる。騎士団はいつから婚活支援組織になったのだろう。そんな俺の苦悩をよそに、ゴーティエは豪快に笑った。
「よっしゃ、決まりだな!」
「いや、何がよっしゃだよ。全然決まってない!」
「まだ若けぇなぁ」
「歳で誤魔化すな!」
その日、俺の所属部隊は正式に決定した。
第一部隊。
第二部隊。
第三部隊。
まさかの兼任である。
前代未聞だと後で事務官が頭を抱えていたらしいが、その気持ちは痛いほど分かった。
そして俺はまだ知らない。この決定によって、今後一週間のうち六日間をヴィブロス三姉妹に振り回されることになるという事実を。
ちなみに残り一日は休日の予定だったが、その枠には既にルナ先輩の料理研究会なる予定が勝手に書き込まれていた。
その紙を発見した瞬間、俺が真っ先に軍病院の予約状況を確認しに行ったことは言うまでもない。
続きを考えてみた。ロイゼの被害者視点と、三重所属の理不尽さを強める方向で繋げる。
その紙を発見した瞬間、俺が真っ先に軍病院の予約状況を確認しに行ったことは言うまでもない。
◇◆◇
翌朝。
騎士団駐屯地の掲示板前は、普段では考えられないほどの人だかりができていた。
理由は単純。新たな部隊編成が正式に発表されたからだ。騎士団員たちは自分の所属先を確認し、喜んだり落ち込んだり、あるいは見覚えのない名前を見つけて首を傾げたりしている。
そんな中、俺は掲示板の前で現実逃避をしていた。
「見間違いだったりしないかな……」
小さく呟きながら何度も名簿へ視線を向けるだが何回確認しても結果は変わらない。
第一部隊所属。第二部隊所属。第三部隊所属。
ロイゼ・ホーシン。
三回書かれていた。事務官の書き間違いではない。夢でもない。俺は本当に三重所属らしい。
「なんだその顔」
背後から声を掛けられる。振り返ると、そこには見慣れた金髪の男が立っていた。
「ナハトか」
「おう」
掲示板を眺めたナハトは、すぐに俺の名前を見つけたらしい。
数秒後。腹を抱えて笑い始めた。
「ぶはっ!」
「おい、殴るぞ」
「いや待てって!無理だろこれ!」
「それは、俺もそう思う」
「てかなんで掛け持ちなんだよ!」
「それは俺が聞きたい」
むしろ昨日から聞き続けている。納得できる答えはまだ一度も返ってきていない。
「ちなみにお前どこ?」
「第十二部隊」
「普通だな」
「お前が異常なんだよ」
その通りだった。正論すぎて反論できない。すると今度は別の場所から歓声が上がった。
「うおぉぉぉぉ!」
「やったぞ!」
「ヴィーナ様の部隊だ!」
掲示板の一角で男たちが抱き合っている。どうやら第一部隊へ配属されたらしい。
気持ちは分かる。第一部隊は数ある部隊の中でも花形でもあるし、ヴィーナは騎士としての人気が凄まじい。部下になりたい騎士ランキングが存在したら間違いなく一位だろう。
実力も人格も申し分ない。怒らなければ。
「羨ましいなぁ」
兵士の一人が呟く。
「ヴィーナ様直属とか勝ち組じゃん」
違う。それは違う。その人たちは知らないだけだ。ヴィーナ姉さんが屋敷でどんな生き物になるのかを。
そして何より。
「ロイ君!」
聞きたくない声が聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは予想通りの人物だった。
そう、セレナがいた。満面の笑みだった。
嫌な予感しかしない。いや、予感ではない。
確信だ。この人が笑顔で近付いてくる時に良いことが起きた試しがない。
「おはよ!」
「おはよう」
「今日から私の部隊だね!」
「違う」
「え?」
「違わないけど違う」
「なにそれ」
俺も分からない。だが少なくともセレナの部隊だけではない。
「ロイ君は今日から第二部隊所属でしょ?」
「第一も第三も所属だよ」
「細かいこと気にしない」
「細かくない」
むしろ人生を左右する。所属部隊は兵士にとって家みたいなものだ。三つある奴は聞いたことがない。
「それよりさ」
セレナが俺の腕を掴む。
「朝ご飯食べた?」
「食べた」
「じゃあデザート食べよう」
「朝から?」
「恋人なら普通だよ?」
「だから違うんだって」
周囲の兵士たちがざわつく。やめてほしい。誤解が加速する。というか何故この人は公衆の面前で爆弾を投下するのだろう。
「ロイゼ兄様」
さらに別方向から声が聞こえた。逃げ場が塞がっていく。アナスタシアだった。白衣姿のまま歩いてくる。軍病院での勤務を終えた帰りらしい。
「今日の午後から第三部隊の顔合わせがありますので」
「え?お、おう」
「その前に婚姻届の記述はすみましたか?」
「済んでるわけあるか」
「まだ言い終わってません」
「最後まで聞いてもない」
聞く必要もない。どうせろくでもない。そんな俺たちのやり取りを遠巻きに眺めていた兵士たちが、何やらひそひそ話を始めている。
「やっぱり本当だったんだ」
「あぁ」
「羨ましい」
「殺意しか湧かない」
意見が真っ二つだった。俺としては後者へ一票入れたい。
すると突然、人混みが左右へ割れた。まるで大物が現れたかのように。
そしてその中心を歩いてきたのは、
「おはよう」
ヴィーナだった。周囲の兵士たちが一斉に背筋を伸ばす。空気が変わる。やはりこの人だけ格が違う。
「ロイゼ」
「はい」
「第一部隊の朝会議があるわ。遅れずに来なさいよね」
「‥‥‥はい」
断れなかった。というか断れる雰囲気ではなかった。するとセレナが頬を膨らませる。
「ずるい」
「順番よ」
「私の方が先に見つけたのに」
「狩猟じゃないんだから」
思わずツッコむ。
だが誰も聞いていない。ヴィーナとセレナが睨み合いを始め、アナスタシアは何故か手帳へ何かを書き込んでいる。
絶対ろくでもない内容だろう。俺は知っている。
そしてその時、
「ロイゼ君!」
聞こえてはいけない声が聞こえた。
そしてまた、全員が振り返る。
第八部隊騎士団長のルナ先輩だった。
それはもう満面な笑みを浮かべていた。
両手には弁当箱を抱えており、しかもそれが昨日より大きい。
「今日のお昼できたよ!」
周囲の兵士たちが一斉に後退するが、いつもと違って一部のものたちは微動だにしない。
第八部隊に所属している兵士は上官から逃げるわけにはいかない。固唾を飲んで自らの運命を受け入れる英雄たちに対して、俺たちは静かに敬礼したのだった。




