第59話 ”恋詩のやりたいように”
それは全てが黒い空間だった。
男がいた。普通の男性と変わらない体格に、やや彫りが深い顔。
人混みに紛れていても、誰も気にしないだろう存在。
「ああ、負けてしまった。お気に入りの女の子だったのに」
男は腕を動かす。
動かした部分から、灰色の裂け目が現れる。
男はゆっくりと、その中へ身体を入れる。
そこは、奇妙な空間だった。灰色の壁、灰色の空間。
男がその場所に入ると、至る所で叫びが聞こえる。
人間の言葉ではない。
「みんな元気だね、良いことだ」
そこには数十体の異形がいた。
蛸と人と爬虫類をただ乱雑に混ぜたような個体、巨大な蛇の体躯に節々から人の脚が生えている個体、巨人の身体とそれに見合う翼を持つ個体等。そこにいた全ての異形は身体のどこかに人の形のような特徴を残していた。異形達は男を攻撃する様子はない。
「それにしてもさすが爺様を殺しただけのことはある」
男は先程の光景を思いだす。刀を持った少年のことを。
改良が必要だ。あれを殺すにはまだ足りない。
「もう、そろそろだから、早く進めないとね」
このまま事を起こせば、あれに邪魔されるだろう。それにあいつらも邪魔だ。
完遂するためには、より大きな力が必要になる。
思い描くのは2つの世界に根を張る———
「ああ、楽しみだな」
未来を想像し、男は笑みを浮かべた。
*
俺は刀姿の影静と共に、取り調べ室みたいな場所にいた。
高台で異形を倒した後、俺は彼らに囲まれた。叛鬼衆、異形と戦う者たち。
囲まれた最初、俺は前みたいに無理やり逃げようかと考えた。だが、俺、佐藤恋詩という顔が露見してしまった。その事を考えると住所も、学校も家族関係もすぐにバレるだろう。なら、もう逃げても意味がない。
彼らも初め藍色の術で俺を拘束したものの、攻撃してくる様子はなく、すぐに武器を下ろし術を解除した。
そして、俺は近くに停めてあったらしい黒いバンに乗せられ今である。たぶん、ここは前に馬型の異形と戦った叛鬼衆のアジトだ。
”はあ、どうなるんだろこれ”
周りを薄っすらと確認する。
テーブルを挟んだ反対側には朱里の姉、確か椎名さんが座っている。
壁際にはあの金髪の男や、顔に傷を持つヤクザのような男、錫杖を持つ黒髪の女がこっちを見ている。
そして朱里。彼女は俺の近くにパイプ椅子を置き座っている。その手にはプラスチックで出来たような籠。
”どうせ彼らは碌な事要求してきません”
心に影静の声が響く。
「恋詩、頭見せて」
「ん? あぁ、うん」
朱里はテーブルに水の入ったボトルやガーゼを置いて立ち上がる。
先程の戦闘で負った頭部の傷の処置をしようとしているようだった。
「あれ……傷がない」
朱里が戸惑う声。
「……かすり傷だったっぽい」
「……そう、なんだ」
たぶん、俺の傷はすでに治っていた。それが見ないでも分かる。
あの日、腕のない武者を殺した日。俺は影静の力で鬼になった。
その後から、少し身体がおかしかった。より動体視力が向上したり、傷の治りが異様に早かったり。
”……”
「佐藤さん、それでは本題に入りましょう。あなたは——何者ですか? どこでその力を手に入れたんですか」
椎名さんが俺に聞く。
「恋詩……」朱里が俺の服を掴み、こっちを見る。困惑と心配。その感情が伝わってくる。
俺は正直に話したいと思った。彼女には、朱里には嘘をつきたくない。
「俺は——」
俺は話した。突然、狭間に飲み込まれたことを。
そして化物に襲われ、妖刀——影静を見つけたこと。
そして影静に助けてもらい、化物を倒し、この世界に帰ってきたこと。
*
「にわかには信じられません……」椎名さんが言う。
朱里は頭を抱え込んでいる。
とは言っても本当のことだ。少し端折ってはいるが。
「それを信じろと言うのか……」壁の金髪の男が呟く。
「……たぶん、恋詩が言っているのは本当のことだと思います」と朱里が顔を上げて言う。
「どうしてそう言い切れるの?」
「……嘘がとてもわかり易い人なので」と朱里。
「……」金髪の男は苦虫を噛み潰したような表情だ。
なんだ、その顔。
「刀が救ってくれた? 世界を渡る?」椎名さんが急に聞いてくる。
「はい」
「まるで刀に意思があるかのように話すんですね」
「まぁ、あるっすから」
椎名さんが何を言ってるんだみたいな目で俺を見る。やめて、美人にそんな目で見られるとなんか目覚めそうになる。
「……はじめまして、ではありませんね。叛鬼衆の方々」影静が刀のまま声を発した。
「「「ッ」」」声に全員が驚く様子を見せる。
俺は影静を全員が見えるように持つ。
「そんな。聞いたことがない。意思を持ち、言葉を話す神造物なんて……」椎名さんが言う。
「神造物?」と俺。知らない単語だ、なんかカッコいい。
「神造物とは、神術によって作られた武器の……総称です」
「神術ってのは皆さんが使う超能力みたいな奴ですか」
「ええ、その通りです」椎名さんは右腕を広げる。
そして次の瞬間、彼女の手には十文字の槍があった。
「これが、神造物です……ですが、もう分かりません。異なる世界? それがあるなら私たちの常識や考えは通用しないでしょう。あなたはあまりにもイレギュラーすぎる」
影静が神術によって作られた可能性がある?
”どうなんでしょうね”影静が心の中で呟く。
影静は記憶を失っている。本当の所はどうか分からない。
だが、手がかりが殆ど無かった影静の記憶のヒントになるような気がする。
「……確認しますが……刀さんとお呼びします。刀さんは狭間——私たちが言う鬼道を自由に開くことが可能なんですね?」
「……はい、それで間違いありません」と影静。
「なんていうこと」もはや椎名さんの顔は真っ青になっていた。
「……」
やっぱ言わない方が良かったかなあと俺は少し後悔した。
でも、嘘ついたところで、いずれボロが出る気がする。
「恋詩は……あの日に、鬼道に飲み込まれたの?」朱里が俺の方を向き、恐る恐るという感じで聞く。
あの日。朱里にフラレた日。
「まあ、そう……だな」
「っ、そっか」今にも泣き出しそうになる朱里。
今考えたら、あの日に死んでる可能性も全然あったんだよな俺。
たまたま影静がいてくれたけど。
「「……」」
静寂が場を満たす。皆、何かを考えているようだった。
その時、コンコンとノックの音がした。
壁にいた金髪の男が扉を開ける。
そこにはスーツ姿の男。
「準備が整いました」男が椎名さんに言う。
「……分かりました」と言いながら椎名さんは、椅子から立ち上がる。
なんの準備だろ。
”……”
「佐藤さん、場所を変えましょう。私たちの上司が待っています」
何も根拠もないが、嫌な予感がする。
”当たりそうですね、その予感”
影静は少し笑いながら言った。
*
数分後。俺は彼らに連れられ移動した。
「ここです」案内をしているスーツの男が言う。
そこは室内にある巨大な広場だった。
訓練場のような場所。
中には数十人の叛鬼師の姿。
壁に凭れている者。数人で固まっている者。
皆、入ってきた俺を見ている。
そして奥にある舞台のような場所に、数人。男が二人、女が一人。
立ち姿では分からなかったが、皆顔を見ると年齢を重ねている事がわかる。
明らかに偉い感じの人たち。
「佐藤さん、あの奥にいる背の高い人が私と朱里の祖父であり、御堂家当主の御堂十二郎になります」と椎名さんが言った。朱里の祖父もいるのか。どこか、鋭い目つきだ。
「来ましたか」と、奥にいた女が俺達に近づいてくる
50代~60代くらいの女性。
厚手の化粧。影静の力で嗅覚も強化されてるからか香水の匂いを強く感じる。
「はい、鞠子さま」と椎名さん。
「彼女はここ東部の管理者と呼ばれる方です」と椎名さんは小声で俺に伝えてくる。
鞠子と呼ばれた女性は、ゆっくりと俺に近づき言った。
「少年。あなたが無銘ですね」
無銘。叛鬼衆が俺を呼ぶ時の名前。
「まず、礼を言いましょう。先日は助かりました」
きっと馬型の異形がここを襲った時のことだ。
「いえ」
「あなたが居なければ、もっと怪我人は増えていたでしょう。感謝しています」
「……」
感謝。全然そんな雰囲気じゃないが。
「そして、お願いしたいことがあるのですが」
「お願い……ですか」
「はい、結論から言いますとその刀を渡して下さい。それは、あなたが持っていてはいけないものです」
「嫌です」
何言ってるんだこのババア。




