第58話 怖い
異形から意識を逸らさず、周囲を確認する。障害物になるような物はない。柵と高台、そして数本、端に植えられた木がある程度。戦うのに支障はない広さ。
”恋詩、いいんですね”
脳裏に影静の声が聞こえる。影静が言っているのは、横にいる朱里のことだろう。
朱里は、目の前の光景が理解できないとでも言うような表情で俺を見る。
”ああ”
”分かりました”
ヒトガタの異形。大きさも人間と変わらない。だが、肌は黒い鱗が覆っており、その背からは赤と黄色の蜘蛛のような脚。腕には鋭利な爪。その目は蜘蛛のような複眼なのに、爬虫類如き縦長の瞳孔。
”こいつも似てるな”
”ええ”
大きさこそ違うが、以前戦った志波竜次が変異した姿や、叛鬼衆のアジトで戦った馬型の異形の姿に似ていた。同系統の異形。あれらに比べると、小さいが、その圧は変わらない。
異形が腰を屈めた——瞬間。
目の前に異形の腕があった。
驚きはしない。影静を振るい、腕を弾く。
「恋詩っ!」朱里が叫ぶ声。
”速いですね”
以前戦った奴らに比べ、異様に”速い”。
「……」
集中しろ俺。上の奴も気になるが、今はこいつだ。
幸いにも、上のは攻撃をしてくる様子はない。まるで、試しているだけとでも言うようだ。
異形が左の腕を振るう。
世界が、ゆっくりになる感覚。
異形の鉤爪。それが迫る。
大丈夫。見える。
俺は影静を横に振るう。異形の左腕が切断され、宙に飛ぶ。
だが、その直後。白い触手が飛び出し、腕を繋ぎ合わせようとする。
やはり、再生型。
なら、”千剣”を使うしかない。
正体不明の上の奴もいるから、可能であれば使うべきじゃない。
だが、そうも言ってはいられない。
今の俺なら、数回は耐えられるはずだ。
”力”を全身に回そうとした瞬間。異形の右鉤爪があった。
「ッ」
こいつ。何か、変だ。
”力”を回すことをすぐ中断し、異形の鉤爪を受け止める。
異形は隙を与えないように、腕を、背の蜘蛛の脚を、振りかざす。
「やりにくいな」
千剣——無影。全身に膨大な量の”力”を一気に回し、一瞬で敵を切り裂く”技”。
極限の速さと影静の”力”によって生じる超高熱によって切り裂きながら炭化に近い現象を起こす。
その”技”は再生能力を持つ敵すら瞬時に絶命させる。
だが、それを使うには一瞬、力を”回す”時間が必要になる。
”敵は私たちを知っているようですね”
脳裏に聞こえる影静の声。
異形と切り合いながら、思考を共にする。
「対策済ってことか」
異形は俺に千剣を使わせないように、距離を常に詰める。
爬虫類のような目の複眼。それが、俺の動き一つ一つを捉えている。
背にある蜘蛛のような脚。それが奇妙な動きを見せた事に気づく。
何か、来る。
数本の脚が”閉じ”一つの大きな突起になる。
そして束ねられた凶器が振——
轟音と衝撃。
吹き飛ばされたことが分かる。
視界が血で染まる。異形の動きが急に速くなった。
クッソ、痛い。
だが、考えるな。今はこいつを倒すことだけ考えろ。
大丈夫。冷静に。俺は落ちついている。
”恋詩”
影静が俺に呼びかける。
すでに、二撃目が襲ってきていた。
影静を振るい、爪を防ぐ。
金属がぶつかり合うような音と火花。
見ろ。もっと。少しの動きも見逃すな。
”力”を意識的に腕に込め、振るう。
異形の右腕の鉤爪。それがバターのように切れる。
影静によって鉤爪が切断されていく動きがスローモーションに見える。
だが、即。鉤爪が形を変え、元の鋭利さを取り戻す。
「キリがない」
どうする? あれを使うか。
”黄金の輪” もっと意識を向ければ使うことができる……気がする。
影静を振るう。腕を、背の脚を、斬る。
異形は痛みを感じていないように、攻撃の手を止めない。
少しずつ、俺の身体に傷が付き始める。
ピッ、ピシっと、薄っすらと痛みが走る。
「そっちがッ、その気なら」
”少し無理やりですが、そうしましょう”
影静と思考が重なる。
そのときだった。
「恋詩ッ!!」
横から聞こえた。朱里の声。
その手には、太い枝を無理やり折ったような槍。
「なっ」口から驚きの声が漏れる。
今まで、異形と戦うとき、影静以外とは共に戦うことはなかった。
だから俺は朱里を意識していなかった。
「こっちを見ろッ!」朱里が異形に叫ぶ。
異形が朱里に目を向けた瞬間。
朱里の槍が異形の顔に迫る。
槍は異形の顔を貫——かなかった。
鈍い音と共に、頬にある鱗に弾かれる。
「ッ」朱里は顔を歪める。
「ギぃぃぃぃ」異形は邪魔されたことを苛立つように朱里に手を伸ばす。
”恋詩”と影静の声。
「ああ」
その一瞬で十分だった。
異形の右下側、身を低くしながら接近する。
異形の目がギョロリと動き、俺を捉える。
だが、遅い。
俺はただ全力で——
異形の腹部を、殴った。
衝撃音と共に、異形の身体が数メートル空中に浮く。
異形の複数の目が、内部の衝撃に耐えられず飛び出たように見えた。
鞘に収めていた影静を握る。
「空中なら、何もできないだろ」
”力”を全身に回す。指先から、足先全て。
熱い。身体が。膨大な”熱”が俺の中に渦巻く。
「千剣——無影」
そして振るった。
音が消え、赤に世界が染まる。
異形の身体が全て黒く染まる。
頭も、腕も、足も全て。
そしてボロボロと崩れ始めた。
風が黒い極小の欠片を運び、異形の身体はこの世から消えた。
「はぁぁ」
静寂。俺の身体が尋常じゃないほど赤く染まり、節々から蒸気が出ていた。
影静も、真紅に染まり未だ熱を発している。
夜空を見上げる。初め、空にいた人影は見えなくなっていた。
”……”
「恋詩」呼びかけられる。そこには幼馴染で元恋人であった少女の姿。
「どういうこと。本当に」
朱里は心の底から困惑した表情で俺に問いかけた。
”殺しますか?” 影静が心でとんでもないことを言う。
「殺さないって!」何を言っているんだ、この妖刀は。怖い。
”なら早く逃げ——”
影静の声が止まった。何かに気づいたようだった。
俺も気づいた。
近づいてくる。誰か。
右足に違和感を覚え、視線を向ける。
俺の足には半透明の藍色の”力”が巻き付いていた。
巨人に掴まれているかのように、巻き付く”力”
朱里の部隊の叛鬼師の力。
「朱里、そいつから離れろっ!」声に視線を向けると、あの金髪の男がいた。
「悠真っ、やめて、敵じゃない!」朱里が叫ぶ。
俺はすでに取り囲まれていた。
「あなたが無銘……なんですか?」
声の先には十文字槍を構えた朱里の姉の姿があった。




