第57話 最後
「れん、じ?」
振り返った先には、薄っすらと赤い髪の少年がいた。
幼馴染で、大好きだった人。
「なん、で」
「今……何しようとしてた」
恋詩は唇を震わせ、朱里に問いかける。
(ああ、見られちゃった。どうしよう)
「ただ景色良かったから……見ようと……してただけ」
口が勝手に誤魔化そうとする。
柵の中へゆっくりと戻る。
「……わざわざ柵を超えて?」
「あはは……別に、恋詩が思っているような事じゃないよ。って、ホントになんでこんなとこいるの?」無理やり笑顔を作って、問いかける。
「……たまたま走ってたら見つけただけだ」
「……そっか」
運命。偶然。まるで神様が彼に、教えたように。
朱里はそんなことを思った。
「あ、私、もう行かないと」
話をしちゃ駄目だ。ここから離れないと。
今は駄目だ。縋ってしまう。また、心が戻ってしまう。
帰る理由もないのに、理由がある振りをする。
「じゃあね」
「……待てよ」
「……離して」
恋詩の手が、朱里の手を掴む。
「その顔はさすがに放っておけない。お前今にも死にそうな顔してるぞ」
「……そんなに?」
いま、自分がどんな表情をしているのか分からない。
ただ固まって、何かが内側から出てきそうな感覚。
駄目だ。もう。
耐えられない。
「話そう。これが最後になってもいい……一人で抱え込んじゃ駄目だ」
なんで、こんなときだけ。そんな真面目な顔して。
真っ直ぐに見てくるの。
*
高台の上にあるベンチ。前も二人で座ったことがある場所。
そこに朱里は恋詩と座ることにした。
夜天に曇り空がうっすらと見える。
「なんかあった? なんて野暮か」
「……別に、なんでも……ないよ。ただ、今まで出来たことが、できなくなっただけ」
「出来たこと?」
「うん」
本当のことは結局言えない。
言えるわけがない。彼を、巻き込んでしまう。
「……」
「……」
静寂が場を満たす。
「今更だけど……ごめんね、あんな別れ方しちゃって」
「今更だな。気にしてない……いや、嘘。普通に泣いた」
恋詩は、顔を顰めながら話を聞く。
「泣いたんだ」
「少しだけな」
「そっか」
(あぁ、良くないなぁ)
少しだけ、少しだけなら話してもいいかと思ってしまう。
「本当のこと言うとさ……」
「うん」
「あの金髪の人、あれ、許嫁……なんだよね」
「許嫁?」
「うん……今の時代に。面白いでしょ? 私の家ちょっと”変”でさ。私ね……許嫁がいるのに、二年前の恋詩の告白オッケーしたんだよね」
「……」
口が勝手に動く。ぺらぺらと、聞かれてもないのに、話してしまう。
「私あの時……恋詩のことが好きだった。いつか、別れないといけないって分かってて付き合ったの」
「……そっか」
「最初の頃はね、適当に理由つけて別れようって思ってた。中学生の恋愛なんて続く方が珍しいしね」
「……」
「でも、無理だった。自分から別れようって言うの。ずるずるいっちゃった」
「……うん」
「そしたらさ、家族関係の人にバレちゃって。完全に別れたことを証明しないといけなかったんだよね」
「それで、あれか。うわ、嫌な記憶が蘇ってきた」
恋詩は悲しげに顔を歪める。
「ごめん。キスまでするつもりなかったんだけど、あの人が……いや、それはズルいか」
「……」
「受け入れたのは自分だし……酷い別れ方をした方が、恋詩が私のことを嫌いになってキッパリ別れられるって思った……って言うのが建前」
「建前?」
「私ホントはさ、どうせ別れるなら恋詩のこと傷つけたいって思った、ごめん」
「……」
「このまま恋詩と別れてさ、私のこと忘れて誰かと幸せになるのが嫌だった」
「……」
「だから、あなたの心を傷つけたかった。嫌なことでもいいから、あなたの記憶に残りたかった」
心の奥底から何かが出かけていた。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ、ごめんなさい」
「……」
「謝っても、許されることじゃないと、思うけど」
もう朱里は恋詩の顔を見ることができなかった。
どんな反応をされるのかが怖かった。
「さっきも言ったけど、めちゃくちゃ悲しかった。キツかった。正直、ムカつく気持ちもある」
「……当然だよ」
でも、と恋詩は付け足す。
「朱里がいなきゃ、俺は今こうしていることはなかったと思う……ちょっと言葉がムズいな」
「……」
「朱里が傍にいてくれたから、今の俺がいる」
「私がいなくても……恋詩は変わらなかったよ」
「そんなことない。たぶん俺は1人だったら耐えられなかった」
恋詩の家族関係が良くないことを朱里は知っていた。
子供の頃に、母親を突然亡くし、父親も仕事を言い訳に恋詩の相手はほとんどしていなかった。
恋詩が父親とまともに喋っているのを見たことがない。
「朱里」恋詩が呼びかける。こっちを向いてと。
「だから……ありがとう。今まで一緒にいてくれて」
恋詩は穏やかな表情で、色んな感情を詰めたような表情で朱里に伝えた。
「……っやめてよっ、なんでありがとうなんて言うの……私がっ酷い事したのに」
(やめろ、泣くな……私に泣く資格なんてない)
心の奥から何かが出てくるのが止められない。目頭が熱くなる。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ、私はっ、あなたをっ、傷つけたっ」
朱里は涙を止めようとしても出来なかった。
(私はっクズだ、本当に、あぁ)
「気にすんな」
「うぁ、あぁぁ、っあぁあ」
涙が頬を伝い、首まで流れ落ちていく。
視界がぼやけて、何も見えない。
「ごめん、ごめんっ」
「……よし、これでこの話は終わり! 終了!」
恋詩は重苦しい空気を一新するように手を叩いて、ベンチから立ち上がる。
「ずっと、座ってると身体が」と恋詩は身体を動かす。
「っうぁ、ぁぁぁ」
朱里は自分でもこんなに涙が出るとは思わなかった。
ダムが決壊したように、涙は流れ落ちた。
「……」
「……落ち着いたか?」
「……うん」
数分後。涙は落ち着き、その跡が顔に張り付いたような感覚があった。
「これからどうするんだ?」
「お家のこと?」
「うん」
「っぐす、許嫁いるしね。たぶん、結婚はしないといけないと思う」
叛鬼衆の中で一、二番を争う御堂家と叉堂家の直系同士の結婚。
おそらく、ほぼ何があっても覆す方法はないだろう。
たとえ、逃げたところで碌なことにはならない。
「……」
「たぶん、高校卒業したら子供産むと思う」
「そっか」
「嫉妬する?」
「……まぁ、する」
(まだ嫉妬……してくれるんだ)
嬉しい。そう思ってしまう。
「恋詩……最後にさハグしていい?」
「ハグ? いいけど」
立ち上がって、恋詩を抱きしめる。
恋詩の手が、朱里の背中に回される。
「鍛えてる? 前より、ガッチリしてる」
「まぁな」
恋詩の身体は明らかに一回り大きくなっていた。
足も、腕も、厚い筋肉が覆っている。
(温かいなぁ)
少年の熱が伝わる。その熱が、心を包み込んでいくような感覚がある。
(あぁ、私。やっぱりこの人のこと愛してるんだなぁ)
このまま一緒に消えたい。誰も知らない場所に。
でも、現実はそうはできない。
(これが……最後なんだ)
恋詩と触れ合うことは、もうない。
この温もりを感じられるのは、きっと今日が最後。
「……」
「……」
(でも大丈夫、もう。私は)
この思い出があれば、生きていける。
身体に残る、この暖かさを思い出せば、ずっと。
ゆっくりと恋詩の身体から手を離す。
「恋詩」
「ん?」
「ありがとう……私と出会ってくれて」
「……俺も、ありがとう。ずっと傍にいてくれて」
「……うん」
恋詩と高台を一緒に降りる。
話をしている間にどんよりとした雲が晴れ、月が町を照らしている。
「じゃあ、また……学校で」
朱里は恋詩に声をかける。
だが、恋詩からの返事はなかった。
「れんじ?」
振り返ると、恋詩は何もないところで止まって、空を見ていた。
「……なんか、いる」
空。月が輝く夜空。目を凝らす。
月光がないと見えなかったであろう”何か”。
人? 人のように見える黒点。
「あれは……なに?」
ドローン? いや機械的なものじゃない。
何十か、何百メートルか上空に浮いている”人のような何か”。
それが朱里の目には——腕を振るったかのように見えた。
次の瞬間。
朱里と恋詩の前が円状に黒く染まった。
まるで闇そのものが世界を塗りつぶすように現れた黒。
鬼道。それは”鬼”が出てくる道そのもの。
腕。
まず腕が鬼道から飛び出ていた。
人と爬虫類を混ぜたような腕。
それはゆっくりと姿を現す。
人に近い二足歩行。だが、その皮膚は鱗に覆われ、背中からは黄色と赤が交じる蜘蛛のような脚。
胸部が微かに膨らんでいる。まるで人間の女が”鬼”と混ぜられたような姿。
”鬼”は複数の目を、ギョロギョロと動かし、こちらを認識した。
(なんで? なんで? なんで!)
なんで、よりにもよってこのタイミングで鬼道が開く。
あれ、空にいた”何か”。あれが何かをした?
違う。こんなこと考えている場合じゃない。
恋詩を。恋詩を逃さないと。
自分はどうなってもいい。彼だけは——
彼だけは何があっても助ける。
「れ——」
意識を向ける。そこで朱里は気づいた。
なぜ、恋詩は普通に立っている?
「れん——じ?」
鬼道の影響で、普通の人間は意識を失う。
恋詩は、”普通に”立ったまま、”鬼”を見ていた。
こちらの視線に気づいたのか、少しだけ困ったような表情だ。
「これは……仕方ねぇって奴だよな、影静」
恋詩がそう呟いた瞬間。
その左手には、朱い柄の刀があった。
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