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22 まな板の上の彼女 下

 私たちが抱擁を解くと、盛大な拍手の音が落ち着いていく。

 頃合いを見計らってから、兄が再び口を開いた。兄の瞳は、今まで意図的に無視し続けていた風可憐(フウカレン)をがっちりと捕らえて離さない。


「さて、これで上奏文の件はおおよそ片が付いたわけだが、風可憐、肝心のおまえの処分をどうしようなぁ」

「ひっ‼」


 兄に射殺さんばかりの目つきで睨み上げられた風可憐が、恐怖に怯えた顔で鋭い悲鳴を上げた。

 つい先ほどまで自分の勝利を確信していた女は、この短時間で一気に老け込んだように見えた。

 ハクレイが、私を安心させるようにそっと手を握り込んできた。気遣うように視線を送られ、私も「ありがとう」と目だけで答える。互いの指を静かに絡ませ合いながら、私はハクレイと共に身体ごと、風可憐の方を向いた。


「お、お許し下さい陛下‼ わたくしは本当に何も知らなくて、あ、あの子が公主だと知っていたら、あんなこと、絶対に……‼」


 風可憐はぶんぶんと必死で首を横に振り、己の罪から逃れようとしていたが、彼女は兄のことを何も理解していない。公主だと知っていたら、という言い訳は、火に油を注ぐだけだ。何故なら兄は、彼女と違って身分で人の扱いを変える人ではないから。


「――おまえは本当に馬鹿なんだな」


 兄が腹の底からふつふつと湧き上がってくる怒りを懸命に抑え込んで、できるだけ冷静でいようとしているのが、私とハクレイにはよくわかった。


「この後に及んでなお、何も理解していないとは。俺はな、公主が傷つけられたことに怒っているわけじゃない。俺はただ、俺の大事な妹が理不尽に精神と肉体を蹂躙されたことに激怒しているんだ。俺は俺の妹を傷つける人間を決して許さない。俺がたとえ何の権力を持たないただの一般人だったとしても、必ず復讐を遂げていたさ」

「ひぇっ‼」


 兄の迫力に押された風可憐が、とうとうその場にへたり込んでしまう。腰が抜けて動ける状態ではない風可憐を、兄の意を汲んだ兵たちが拘束しにかかる。呆然と立ちすくんでいた風可朗(フウカロウ)も、同様に捕縛されていた。


「迷っているふりをしてみせたがな。おまえへの罰は最初から決めていたんだ」


 そして兄は、風可憐をまっすぐに射抜いたまま、よく通る声で告げた。


「額に罪人であるという烙印を押したあと、鞭打ち百回。そして生涯幽閉だ」


(――――‼)


 その、予想外の内容に、私も周囲も息を呑んだ。予想よりもずっと、罰が重い。

 兄は器が大きい分、人よりもずっと寛大だから、だから風可憐に罰を与えるにしても処刑の線はないと踏んでいたが、まさか鞭打ちだけでなく、烙印までなんて。兄の性格を考えれば、信じられないほど重い罰だった。

 己の身分と同等に容姿を鼻にかけている彼女は身体に――それも見えるところに醜い痕が残るなど到底耐えられないと思ったのだろう。拘束されているにも関わらず、烙印と聞いてバタバタと暴れ狂いはじめた。


「いやッ‼ いやよ、焼き印なんて‼ どうして私が⁉ 陛下、陛下、いくらなんでもひどすぎます‼ 私はうら若き乙女ですのに――‼」

「黙れッ‼」


 とうとう我慢の限界を超えたらしい兄が、勢いよく玉座から立ち上がった。目にも留まらぬ速さで(きざはし)を駆け下りて、風可憐の目の前に来たかと思えば、容赦なくその頬を打擲(ちょうちゃく)した。成人男性の本気の平手打ちに、風可憐の口から絹を裂くような悲鳴が漏れる。


「この罰の意味がわからないのかっ⁉ おまえはアンズを散々鞭で叩いて傷つけた挙げ句、火かき棒まで押し当てただろう‼ それも二回も‼」

「兄さ、」


 思わず声が漏れ出たが、到底口を挟めない剣幕だった。兄の怒気で、大広間中の空気がビリビリと震えている。


「アンズがどれだけおまえにつけられた傷に苦しめられたと思っている⁉ 相思相愛の婚約者であったハクレイにさえ自分の正体を素直に明かすことができなかったのは、傷のある自分は醜いと恥じていたからでもあるんだぞ‼ 年頃の娘に永久に残る傷をつけて、一人だけ無事でいられると思うなよ‼」


 兄が言い終わった直後、パンッ、と乾いた音が響いた。私も周囲もその光景をちゃんと見ていたはずなのに、一瞬、何の音だか呑み込めなかった。

 皇帝が叩かれるなんてありえないことだったから。


(……嘘でしょう? まさか、兄さんをぶったの?)


 頬を叩かれた兄も驚いていたが、反射的に兄を打ち叩いた風可憐こそが、自分の咄嗟の行いに激しく狼狽していた。


「あ、あ、も、申し訳ありません陛下……‼」


 風可憐は昔から気に入らないことがあると、むやみに人をぶつ癖があった。その癖が今、無意識に出てしまったのだろう。

 しかしたとえ無意識であっても、私のかけがえのない兄をぶったという事実を、私が許せるはずもなかった。

 頭に血の上った私は反射的にハクレイの手を離し、急いで兄の元へ走り寄った。


「兄さん、大丈夫?」

「ん、ああ、アンズ。大丈夫だ」


 叩かれた部分がわずかに赤くなってはいたものの、大した痛みはないのか、けろりとした様子で兄が答える。それでもやはり、私の怒りは収まらない。


「――ね、兄さん。少し彼女を借りていい? 一言、言ってやりたいことがあるの」

「? ああ、いいぞ」


 急にどうしたのだろう、と怪訝な顔をしながらも、兄は私の頼みを断らない。私のために、さっと彼女の正面を開けてくれる。

 彼女は私を前にすると、激しい憎悪を燃えたぎらせた。本心ではまだ私が公主だったことに納得がいっていない――信じられないでいるのだろう。自分の身体を拘束する兵の腕に、綺麗に赤く塗られた爪をギリギリと立て、溜め込んでいた怒りを爆発させる。


「あんたのせいよ‼ あんたの、あんたの、」

「こらっ、無礼だぞ、黙れ‼」


 兵士の一人が慌てて彼女の口を手で塞いでも、彼女は血走った()で私を睨み続けながら何事かを叫び続けていた。

 けれど私の目だって据わっている。兄にまで手を出したのだから、それ相応の報復はしてやる。

 万が一にもハクレイには聞かれたくないから――うっかり聞かれて失望されてはたまらないから――、私はハクレイに背を向けて、そっと彼女の耳元にくちびるを寄せ、わざと勝ち誇ったように微笑みながら囁いた。彼女の知らない、公主時代の私の口調で。


「ねぇ、風可憐。私はずっとあなたに言いたいことがあったの。あなたは私のことを下賤な女、下賤な女と何百回も繰り返してくれたけれど。



――――私からすれば、あなたの方が下賤だわ。



本当はずっと、私に対してよくそんな口が利けるものね、って、思っていたのよ。身分知らずにもほどがあると」


 私の言葉に、風可憐が凍りついた。彼女の心が砕けて壊れていくのが、手に取るようにわかった。

 反対に、彼女の心を上手に射殺できた私の口角は、その充足感によって綺麗な弧を描いていく。

 そう、彼女の心を殺すには、()()が一番効果的だ。

 彼女は気位の高い地方の名門貴族令嬢。身分が高いことこそ、彼女の一番の誇り。


(――でもね、それは私の生来の身分の前では、何の意味も持たないの)


 下賤な女と馬鹿にされるたび、私のはらわたが煮えくりかえっていたこと、あなたは気づいていなかったでしょう?

 私だっていつか機会があれば、言い返してやろうと思っていた。


「風可憐。あなたは所詮井の中の蛙。世の中には自分より上の立場の人間がいるということを知らなかったのね。だから絶対に手を出してはいけない人間()に手を出してしまった。……以前あなたは結婚がうまくいかなかったら転落する可能性がある……と言っていたけれど、私を玩具(おもちゃ)に選んだ時点で、あなたの破滅は決まっていたのよ。あなたは気づいていなかったけれど」


 無邪気を装って微笑み、追加の――致死量を超えた毒を流し込んでやれば、彼女は「ああああああッ‼」と発狂したように大声で叫び出した。その黒い瞳に、もはや理性は残っていない。

 獣のように吠え狂いはじめた彼女を、周囲は呆気に取られた目で見つめていたけれど。兄の指示を受けた兵が父親と共に彼女を引っ立てて行くと、大広間は何事もなかったかのように静かになった。



 これで兄の――、いや、私たち兄妹の復讐は終わった。

 私たちはこの上なく上手に、復讐劇をやり遂げたのだ。


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