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夢の箱庭  作者: Nico
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22/26

22.作戦会議

雑居ビルの4階に、その夜は5人が集まった。


正確に言えば、部屋にいる生身の人間は3人だ。カオルさん、芦田さん、黒川さん。


残りの2人――俺とシオリは、それぞれ自分のベッドで眠っている。


シオリをここへ連れてくるのに、少しだけ手順が要った。彼女が跳べるのは、自分の目に見えている場所か、一度行ったことのある場所だけだ。この部屋は、そのどちらでもない。


だから俺たちは、まず並んで窓の外に浮いた。


4階の窓は、内側の明かりで四角く切り取られていた。ブラインドは上がっていて、コルクボードも、机の島も、そこに座っている3人の頭も、全部見えた。




「あそこ。地図の貼ってある壁の前の、床のとこ」


「うん。……覚えた」




シオリは、ガラス越しにその一点をしばらく見ていた。目印を探すときの、いつもの顔だった。


俺が先に窓から中へ入ると、芦田さんが老眼鏡を押し上げて唸った。




「何度見ても慣れんな。君ら、ドアから入る気はないのか」


「4階なんで」


「そういう問題か」




続いてシオリが、コルクボードの前の床に、光の粒から立ち上がった。


黒川さんが持っていた紙コップを取り落とした。無精髭の下で、口が完全に開いている。




「……はじめまして。河瀬詩織です」




シオリが、少し緊張した様子で頭を下げた。


カオルさんは机から立ち上がると、まっすぐシオリの前まで歩いていって、右手を差し出した。




「橘薫。タクミくんから、ずっと話は聞いてた」




シオリが、おそるおそるその手を握る。


握手が成立した瞬間、カオルさんの表情がわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。




「……ちゃんと、あったかいのね」


「え?」


「ううん。こっちの話」




カオルさんはそう言って、椅子を一つ引いてきた。






コルクボードの地図の前に、新しい紙が貼られていた。


市街地の拡大図。赤い丸が7つ、時計回りに並ぶように打たれている。




「ここまでの黒瀬蓮の行動を、日付順に落とした」




黒川さんが、初めてまとまった量を喋った。




「共通点は3つ。深夜1時から3時。無人か、それに近い場所。そして、逃走経路を用意していない」


「逃走経路がないって、どういうことですか」


「消えるからだ」




黒川さんは、赤い丸の一つを指で叩いた。




「普通の窃盗犯は、必ず逃げ道を確保してから入る。こいつはしない。必要ないからだ。……だが、そのせいで、行動範囲に癖が出た」




芦田さんが、隣から資料を差し出してきた。




「明晰夢というのはな、無から場所を作るわけじゃない。本人が知っている土地の上に成立する。彼が現れる場所はすべて、彼の生活圏か、過去に働いていた勤務先の周辺に収まっとる」




地図の赤い丸が、たしかに、ある一点を中心に散っていた。


そして、まだ丸が打たれていない空白が、その中心の近くに一つある。




「駅の東口、再開発区画。ショッピング街の屋上駐車場」




カオルさんが、その空白を指した。




「深夜は無人。フロアの端に無人ATMコーナー。周りは工事中で人通りが少ない。この条件を満たす場所は、彼の行動圏内にここしか残っていない」




誰も、すぐには喋らなかった。


窓の外で、遠くの踏切の音が鳴っていた。




「タクミくん」




カオルさんが、俺の方を向いた。




「先に言っておく。私は、あなたたちを矢面に立たせたくない」


「でも」


「聞いて」




彼女は、いつもの柔らかい口調のまま、少しだけ声を落とした。




「私がこの3か月やってきたことは、全部、机の上でできることだった。地図にピンを刺して、記事を集めて、報告書を書く。それだけならいくらでもやれる。でも、現場で彼を止められる人間は、この部屋に2人しかいない」




芦田さんが黙って頷いた。黒川さんは腕を組んだまま、天井を見ていた。




「大人がね、子どもに『君にしかできない』って言うときは、たいてい大人が無能なだけなの。だから、これは謝罪込みのお願い」




カオルさんは、そこで一度、頭を下げた。




「力を貸してください」




俺は、返事をする前にシオリの方を見た。


シオリは、まっすぐカオルさんを見返していた。






役割分担が決まるまでに、そう時間はかからなかった。


俺が現場。蓮と直接向き合う。


カオルさんたちは工事区画の外周。事件が起きた場合の通報の流れをあらかじめ作っておいて、騒ぎが大きくなる前に収める。


そして、シオリが――




「……シオリは、来なくていい」




俺がそう言うと、部屋の空気が止まった。


シオリが、ゆっくりとこちらを向いた。




「なんで」


「危ないからに決まってる。あいつはもう、シオリのところに一度来てる。次に会ったら、今度こそ人質にされるかもしれない」


「うん。だから行くの」




彼女は、まったく引かなかった。




「タクミくん。あの屋上駐車場、フロアの端に非常階段があるんだよね」




シオリが地図を指した。その指先が、細かく震えていた。


これだけの大人の前で自分の意見を言うのが緊張するんだろう、と俺は思った。そう思って、それ以上は何も考えなかった。


俺が答える前に、黒川さんが「ある」と短く言った。




「深夜でも、たまに人はいる。工事の警備員さんとか、車で仮眠取ってる人とか。ゼロじゃないでしょ」




カオルさんが小さく頷いた。




「その人たちを、タクミくんが戦いながら守れる?」




答えられなかった。


あのタンクローリーの夜、俺はドアを引きちぎることはできたけれど、中に何人いるかも分からなかった。数えて、位置を教えて、逃げ道を作ったのはシオリだ。




「私、飛ぶのは遅いし、力もない。でも、人がどこにいるか見つけるのと、その人を安全なところに連れていくのは、たぶん今この世界で私が一番早い」




シオリは、そこで初めて少しだけ笑った。




「役割分担って、そういうことでしょ?」




何も言い返せなかった。


カオルさんが、小さく吹き出した。




「タクミくん。これは負けだよ」


「……分かってます」




それから、細かい段取りを詰めている途中だった。カオルさんが資料の端を揃えながら、俺だけに聞こえる声で言った。




「ひとつだけ、余計なことを言っていい?」


「……なんですか」


「さっき、あの子が人質にされるかもしれないって言ったでしょ。本当に怖いのは、そこ?」




意味が分からずに、俺は彼女を見た。




「人質に取られるのが怖いんじゃなくて、取られたときの自分が怖いんじゃない?」




言い返そうとして、口が動かなかった。


黒瀬蓮がシオリの前に現れたと聞いたとき、俺の中に最初に湧いたものを思い出していた。あれは心配ではなかった。もっと熱くて、行き場のない何かだった。あのとき俺は、シオリが無事だったことより先に、自分が間に合わなかったことを考えていた。




「答えなくていいよ」




カオルさんは、資料をまとめて脇に抱えた。




「ただ、その怖さで、あの子の役割を決めないであげて」






決行は、3日後の深夜と決まった。


打ち合わせが終わり、俺とシオリは窓際に並んで立った。


芦田さんが「気をつけてな」と言い、黒川さんが無言で軽く手を上げた。カオルさんは何も言わずに、俺たちを見送るために立っていた。




「あの」




シオリが、ふと振り返った。




「カオルさん。さっき、あったかいって言ってましたよね。私の手」


「うん」


「なんでですか?」




カオルさんは、少しだけ言葉を探すような顔をして、それから答えた。




「ずっと紙の上でだけ追いかけてた現象が、握手してくれたから」




シオリは、その意味をしばらく考えているようだった。それから、深く頷いた。




「じゃあ、また握手しましょうね。全部終わったら」


「……そうだね」




窓から夜の空気が入ってきて、資料の端をめくっていった。






帰り道、俺たちは並んで低い高度を飛んだ。


シオリは何も言わなかったし、俺も何も言わなかった。


3日後、俺は黒瀬蓮ともう一度向き合う。あいつが手加減しないと言ったのは、たぶん本気だ。


怖くないと言えば嘘になる。


でも、それより気になっていることが、一つあった。


廃工場で、あいつが最後に言った言葉。


――二度と、俺を分かったつもりになるな。


(分かったつもりに、なってたのかな。俺は)


隣を飛ぶシオリの髪が、風で少し乱れていた。


その横顔を見ながら、俺は答えの出ない問いを、そのまま胸の奥にしまった。


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