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負けられない戦い

顔合わせの日から一度も顔を合わせることのなかったブラックリー公爵が目の前にいる。


表情に浮かぶ冷たさを隠しもせず、まるで会敵したかのように殺気を放っている。


そんなブラックリー公爵の様子を見て、好奇心に突き動かされてここまで来てしまったことを後悔した。


ああ、今ここで私は殺されるかもしれない。


部屋に引きこもっていれば、ずっと平和な世界で暮らしていけたのに……。


また無意識に前髪を探して手が空を切る。


その瞬間、何か違和感を感じた。


いや、違う。平和な自分だけの世界で暮らしていきたいなら、生家のあの家でずっと引きこもっていればよかったのだ。


結婚しろと言われても、部屋から一歩も出ずにいればよかったのだ。


でも、そうしなかった。親の命令というのもあったけれど、自由に生きるためにここに来たのだ。


目の前にいるブラックリー公爵は怖い。正直少しちびってしまうくらい怖い。


でもここで後悔するのは違う!


顎をぐっと引き、背筋を正し、ブラックリー公爵を見据えて言う。


「ここここ、公爵様がどんなお仕事されているのか気になってここに来まちたの」


かかか嚙んだ~~~~~~~~~~!


来まちたのってどこの幼女ですか~~~~~!?


ブラックリー公爵に恐怖する身体を奮い立たせたせいで、口がちゃんと動かなかったようだ。


脳内は高速回転しているが、体は全く動かない。


アイリスはパニックに陥っていた。


そんな寝間着姿のアイリスの足元に温かい感覚が通る。


固まる体になんとか命令をし、足元を見るとそこには美しい毛並みの黒猫……チャカがいた。


チャカは一度ニャーと鳴いた後、ゴロゴロと喉を鳴らし私の足に顔をこすりつけ、くるりと足の周りを一周するとしなやかな動きでブラックリー公爵の肩まで駆け上った。


上られるとき、爪は痛くないのかしら、この緊迫した雰囲気の中、馬鹿みたいにそんなことを考えていた、その時……。


「……チャカが俺以外の人間に懐くなんて……あいつの言っていたことは本当だったんだな……」


あいつとは??


私の頭に疑問符が浮かぶ中、なぜかブラックリー公爵の殺気が弱まった気がした。


「そんな恰好で寒いだろ。中に入れ」


「ありがとうございます、公爵様」


公爵様が一瞬驚いたような顔をして言った。


「お前、普通に喋れるのか」


その瞬間、私の顔が真っ赤に染まるのがわかった。


確かにブラックリー公爵の前ではいつも噛んでばっかりだったわ……。


恥ずかしい。


長年引きこもっていたことによりコミュニケーション能力が著しく低いのは自分でも自覚しているが……ブラックリー公爵以外との会話は日常会話程度なら何とかなっていた。


日常会話以上の雑談などは全く思いつかず、こちらから話を振ることはできないのだが……。


ブラックリー公爵邸に来てからは、マリーやアーガイル様はコミュニケーション能力が高いので、こちらが会話しやすいような話題を振ってくれるため、人とのかかわりは増えていた。


「……公爵様が急に大切な前髪を切ったので、あの時は気が動転してしまったのです。今は……何と言いますか……心が体に追いつかなかったのです」


「そうか……あの前髪はうっとおしかった」


「ほかの人にはうっとおしくても、私にとっては大切な存在だったんです。前髪がなくなった瞬間、全裸で歩いているような感覚になるくらいの出来事だったんですよ」


「全裸で歩けるようになってよかったな」


かっちーん。


何だかわからないが腹が立った。


「前髪ちゃんだけが私を家族から守ってくれる存在だったんです。親から存在を無視されても、前髪ちゃんがいれば、耐えられたんです。それを公爵様は……」


本にも書いてあった、人には負けられない戦いがあると……。


これは私にとって負けられない戦い。


この公爵邸で自分の人権を得るための戦い。


公爵様が謝ってくれるまで、私は……。


そう思い、また口を開こうとした時。


「……そうか。悪かったな」

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