世界が視ている(4)
やがてカフェテリアがざわざわと騒がしくなってきた頃。
和泉が時計に目を落とす。
「あっ、千和、次行かないと」
短く声を上げると、広げていた資料を片付け始める。
「んー、長かった。難しいものは時間が長く感じるわ」
背骨を鳴らすと、千和も片付けに参加する。次の授業には遅れるわけにいかないのだ。
「さぁ、次も京月先生だ」
広い廊下を進みながら、千和の声が明るく言う。その両脇からは、相も変わらず和泉への好奇の視線が飛んでいる。
「二コマ連続で同じ先生の授業をとるなんて。俺ら向こうの学部じゃないのに」
これから向かう授業は文学部の管轄。社会学部の二人にはアウェイの地になる。わざわざ他学部の専門授業を取ったのも千和が珍しく希望したからであった。
「別に良いじゃん。取ってもいい規則なんだし。それに学費分取らないと損でしょ。学費はサブスクと一緒なんだから」
「そこら辺しっかりしてるなぁ」
「まぁね。使えるものは使うの」
大学は広大な敷地ゆえに、移動距離も中々のものである。連絡通路で棟を跨ぎ、エレベーターで上を目指す。
「京月先生の何がそんなにお気に入りなわけ?」
和泉は幾度目かの質問をぶつける。普段何かに入れ込むタイプではない千和が珍しく執着している。その矛先がこの京月という壮年の教授だった。
「んー。存在?」
「存在!?」
今までは「面白いから」や「楽しいから」など、小学生のような単純な返答しか返って来なかった。しかし、今回は曖昧ながらもこれまでにない返答で和泉は少なからず驚く。
「そこにいて授業してくれるだけで安心するっていうか、安らげるというか……」
千和が頭を俯かせながら言葉を探る様子に、和泉は目を丸くする。
「千和がそこまで言うのは珍しいね」
「うん、私もそう思う」
「京月先生は英語がネイティブレベルで流暢だし、教え方というか、授業の題材が面白いよね。九十分聞いてても飽きないというか」
和泉も己の感想を述べてみる。今年度、千和にせがまれ初めて授業を取り、数回経た後の感想だった。
「そう、よく分かってんじゃん。そこなの」
我が意を得たとばかりに、千和は激しく首肯する。千和の熱量に和泉の口角も無意識に上がる。
「向こうの学部だったらゼミとか、もっと近いところに行けたかもね」
「まぁね。そうなってたら多分、先生の研究室選んでた。けど英語で論文とか書けないし、ゼミ取るのは敷居が高いかも……。レポートで精々かな、私は。むしろそれで十分」
それに、とどこか寂し気な表情で千和はぽつりと呟いた。これまで経験してきたとある苦しさが胸をかすめる。それはこの世でたった二人しか知らない秘めた感情だった。
「近づきすぎても怖いよ……特に私らはね」
聞いた和泉も反論することなく、ゆっくりと目を瞬いた。そして思いを押し殺すかのように、きゅっと口を結んだ。




