這いよる毒牙(5)
部屋の中に沈黙が落ちる。カチ、カチという秒針の音と自分の心臓の音。それと遠くに聞こえる都会の喧騒。
やがて、その静寂を破ったのは仁だった。
「……加美山には歪みがある」
仁は言葉を探すように、ゆっくりと口を開いた。その瞳に映る彼女は、なんとも愛らしいものだった。不安を隠しきれず、普段鎧のようにまとっている威勢すら欠いている。触れれば壊れてしまいそうなガラス細工だった。
「やつは、美しく綺麗なもののみを愛する。異常なほどに、だ」
千和は告げられた言葉を解せぬまま仁を見つめた。そして彼もまた千和をじっと見据えていた。
「言うなれば単純に見た目が美しいもの。人物、動物、植物、美術品などが該当する。それに加えて内面の美しさ。該当するのは特に人間だ。怖いほどに純粋な心、水晶のように透き通った精神、強く決して折れない心根を持つ者などなど。それらを得る優越、そして、壊す快感」
「…………」
「以前、彼のコレクションとやらを見せてもらったが……どうにも個性的だった」
仁は思い出すように目を細めたが、その詳細を語ることはしなかった。口にするのをはばかられるような代物なのだろうか。千和は一人で嫌な想像をして顔を歪ませた。
「そして千和、君について率直に言えば、この世界には珍しい若々しさと美しさ。そして、穢れようのない純潔、芯の強さ。……俺でさえ魅了されるのだから、加美山を惹きつけるのは当然の道理とも言える」
仁の講評に幾分か不快感は抑えられたものの、聞き捨てならない言葉に形のいい目が無意識に細められた。それはさながら仁を睨んでいるようだった。
「若さと、純潔……」
「そうだ。加美山は複合的な美しさを見て、君を狙っている。興味を失せさせる方法は一つ」
「……それは?」
「加美山は君を得て、壊していくのを楽しみたいわけだ。だが君の暴力的なまでの若さと美貌はどうあがいたって簡単に失われるものではない。となれば、身の清さと心の清さ……やつが狙っているのはそれだ」
虫唾が走るとはまさにこのことだった。あの日見た加美山の不気味な笑み。そこに感じた不快感は気のせいではなかった。一体何人の犠牲者がいるのだろう。きっと存在すら闇に葬られ、コレクションとやらの一部になっているに違いない。
千和はゴクリと唾を飲み込んだ。
「私は、どうすればいいんですか」
「やつの執着を鎮めるには、千和の魅力を削ぐ必要がある」
「……どうやって?」
削ぐ、と言われたところで千和にはピンとくるアイデアはなかった。
一方の仁は、己の答えを待つしかない千和を少しだけ観察した。不安で瞳が揺れている。若さゆえに取り繕えないところが労しい。強く握りしめた手も恐らく無意識だろう。
少女とも女性ともつかない年頃の彼女は、今から自分の言う言葉を素直に受け取るだろうか。それとも拒絶するだろうか。そうなれば少し傷つくな、と心の深いところで少し自嘲気味に笑った。
これ以上待たせても意地の悪い大人になるだけだと、仁はやがて普段と同じ調子で口を開いた。
「千和と俺に関係がある、という風に装う」
「……っ!?」
千和は目を白黒させてまたも絶句した。
どうやって、と問いかけたことを後悔するほどの混乱に襲われる。まるで自由落下でもしたかのように心臓の居場所がわからなくなった。
「やつは心身共に清らかな千和に興味がある。加えて、俺の所有物でありこの社会で価値が高められた存在だからこそ欲しがっている」
「…………」
「なに、しょせんフリだ。実際何かするわけじゃない。……必要ならばせざるを得ないが」
「…………」
「いずれにしろ、諦めさせないことには鬼ごっこは長く続く。あれはまともに話ができる数少ない相手だが、欲深いだけでなく、どうにも短気で利己的なところがある。つまり、こうなると面倒な相手という訳だ。京月組としても早めに実行させてもらいたい」
「…………わかりました、私としても迷惑なのは遠慮したいので……任せます」
ようやく口を開いた千和の言葉少なで素直な反応に、仁は薄く笑んで頷いた。
「詳細が決まり次第、また連絡する。今日はもう帰りなさい」
千和は「はい」と返事をするだけで精一杯だった。この日告げられた一から十までの物事をどれほど理解できたのか、自分でも分からなかった。
鷲田はまるでボディーガードのように千和を安全に自宅まで送り届けた。
護衛が護衛されるなんて、コントじゃあるまいし。
例のごとく千和は自室に引っ込んで窓の外を見ていた。緊急の呼び出しとしか知らない和泉は、帰ってきた千和に訳を聞きたそうだったが、それは一旦スルーした。
物分かりのいい和泉は、またなにかあったのだなと察して追求はしなかった。しかし、心配はただ募るばかりだった。
晴れ渡る夕暮れとは打って変わって、二人の家にはじっとりと重い雰囲気がのしかかっていた。




