第4話:静寂と胎動
それから数日、私は毎日あの丘へ通った。
勇者――本人は自分のことを「ただの隠居じじい」と呼んで笑うが、その実、言葉の端々には若々しい覇気が宿っている――は、会うたびに奇妙な課題を私に課した。
ある日は、水面に浮かべた木の葉を沈めずに指先で回し続けること。
ある日は、目を閉じたまま、風に舞う綿毛がいくつ自分の肌を掠めたかを当てること。
「お見事。君の感覚は、まるで研ぎ澄まされた鏡のようだね」
勇者は私の隣に座り、楽しげに目を細める。
「ねえ、なんでこんなことさせるの? 剣の振り方なら、あっちの子たちに教えてるみたいに振ればいいじゃない」
「ははは、彼らに教えているのは筋力と度胸だよ。でもね、ミカ。君が持っているのはもっと純粋で、恐ろしいほどの『調和』だ。君なら、力を使わずに山を動かせるかもしれない」
勇者の言葉はいつも少しだけ難しくて、けれど不思議と心地よく胸に落ちた。
その日の課題は、森の入り口にある古びた大岩の「呼吸」を読み取ることだった。
勇者は少し離れた場所で他の子供たちの面倒を見ていたが、ふと、森の奥から流れてきた空気が、私の肌をチリリと焼いた。
湿った土の匂いが消え、代わりに混ざったのは――獣の、酷く鼻を突く腐臭。
ガサリ、とシダの葉が大きく揺れた。
現れたのは、この辺りには生息していないはずの「影狼」だった。しかも、一頭ではない。三頭、四頭……その瞳は赤く濁り、口端からは毒々しい涎が滴っている。
「……っ!」
遊んでいた子供たちが悲鳴を上げた。
勇者の顔から笑みが消える。彼は瞬時に木剣を手に取り、子供たちの前に立ち塞がった。珍しく焦っているようだ。
「皆、私の後ろへ! ミカ、君も早く!」
勇者の叫び。だが、群れのリーダー格と思われる一頭が、勇者を無視するようにして、私の方へと低く唸り声を上げた。
影狼が跳ぶ。
それは風よりも速い、漆黒の凶弾だった。
勇者の助けは間に合わない。私の手元にあるのは、さっきまで大岩の表面を撫でていた、何の変哲もない細い枝だけ。
恐怖よりも先に、私は「視えて」しまった。
狼が描く死の軌道。その空間に生じた、僅かな『歪み』を。




