第3話:理と空間の遊び
子供たちの騒ぎ声が、遠くの波音のように聞こえる。
ミカの視界にあるのは、細い枯れ枝の先端で危うく静止する、歪な小石ひとつ。
指を弾けば、当然枝は揺れる。揺れれば、石は落ちる。それがこの世界の当たり前の法則だ。
だが、ミカは「力」で弾こうとはしなかった。
彼女はそっと人差し指を添える。指先から伝わる石の重み、枝のしなり、そして周囲を流れる微かな風の動き。それらすべてが、頭の中で一本の線として繋がっていく。
――そこ。
鋭い。けれど、風よりも静かな一突き。
パチン、と乾いた音が草原に響いた。
小石だけが真っ直ぐに弾き飛ばされ、残された枯れ枝は、ピクリとも震えることなく天を指したまま静止していた。
「え……?」
騒いでいた子供たちが、一斉に静まり返る。
勇者の目が、先程よりも少し見開かれた。今の動作には、無駄な筋力が一切含まれていなかった。ただ一点、力が逃げる「道」を正確に突いた、極限の身体操作。
「……もう一回、やってみる?」
ミカは無表情に、しかしどこか手持ち無沙汰そうに勇者を見上げた。
「いや、十分だ。ミカと言ったね、君は剣を持ったことは?」
「ない。重そうだから」
「そうか……。ならば次は、これだ」
勇者は傍らに置いてあった、子供用の短い木剣を一本手にした。
「力比べではないよ。私はここから一歩も動かずに、この木剣の先で君の額を突こうとする。君はそれを避けるか、あるいはその手にある……そうだな、その『木の枝』で防いでごらん」
無茶苦茶な要求だった。
英雄が振るう剣を、非力な少女が枯れ枝一本で防ぐなど。
しかし、ミカは足元に落ちていたカエデに似た赤い葉のついた枝を拾い上げた。その仕草に迷いはない。
勇者がゆっくりと木剣を突き出す。隠居したとはいえ、勇者の剣だ。速度こそ抑えているが、そこには隙のない圧迫感――「オーラ」が宿っている。
周囲の子供たちは、その威圧感に気圧されて尻餅をついてしまう子もいた。
だが、ミカだけは違った。
彼女が半歩踏み出した瞬間、彼女の周囲の空気が一変した。
ひ弱な少女の体から溢れ出したのは、底知れない「凪」のような気配。
彼女は迫る木剣の軌道を、避けるのではなく迎え入れた。
ヒュッ、と風が鳴る。
勇者の木剣の先端が、ミカの掲げた枯れ枝に触れた。
本来なら突き破るはずの剣先が、まるで磁石の同極同士が反発するように、するりと軌道を逸らされた。
ミカは力をぶつけたのではない。剣が運ぼうとした「力」の流れを、枯れ枝一本を介して別の空間へと逃がしたのだ。
「…これは興味深い」
勇者の口角が、微かに上がった。
才能、という言葉で片付けるにはあまりに鋭すぎる。
目の前の少女は、教えられずして「世界の歪み」を理解している。
「ミカ。明日もここへ来るかい?」
勇者の問いに、ミカは少しだけ首を傾げた後、朝露に濡れた自分の靴を見つめて、小さく頷いた




