第2話:朝露の光、老いた英雄の眼
その朝、草原を包んでいたのは、肌を刺すような少し冷たい空気だった。
昇り始めた太陽が、夜の間に降りた霜をゆっくりと溶かしていく。足元の短い草にはたっぷりと水滴が宿り、歩くたびに少女の履き古した革靴を重く湿らせた。
街の喧騒から離れた丘の上。
そこには、かつて世界を救った「勇者」がいた。
今では白髪が混じり、背も少し丸くなっているが、その瞳だけは深い湖のように透き通っている。彼は週に一度、こうして近隣の子供たちを集めては、木剣の振り方を教えたり、昔話を聞かせたりする「暇つぶし」を開いていた。
集まった二十人ほどの子供たちは、英雄に会える興奮で頰を赤く染めていた。
「さあ、今日も基本からだ。まずはこの切り株の上に、石を置いてごらん」
勇者の穏やかな声が響く。
不安定な切り株の上に、河原で拾ってきたような歪な形の石を三つ積み上げる。子供たちは舌を出しながら必死に石と格闘し、ガシャリと音を立てて崩しては溜息をついていた。
そんな中、見慣れぬ少女が少し離れた場所で、静かに自分の靴先を見ていた。
いつからそこにいたのか。他の子供たちよりも気配の薄い彼女の身体には、周囲の子供たちとは決定的に違う「何か」が流れていた。
「……できた」
小さな声だった。
勇者がふと視線を向けると、そこには完璧なバランスで五つもの石を積み上げ、さらにその一番上に「刃こぼれした小石」を垂直に立てているミカがいた。
偶然ではない。少女は石の重心を、まるで視覚的に捉えているかのように、迷いなく指先を離したのだ。
「おや、それはお見事だ」
勇者がゆっくりと歩み寄る。
少女は見上げなかった。冷たい朝露で濡れた下草の匂いと、勇者のまとう温かな気配が混ざり合うのを感じていた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「……ミカ」
「ミカ、か。良い集中力だ。なら、次はこれに挑戦してみるかい?」
勇者が差し出したのは、一本の細い「枯れ枝」だった。
彼はそれを地面に突き刺すと、その先端に、今ミカが積み上げたばかりの小石をふわりと乗せた。風が吹けば、それだけで落ちてしまうような危うい均衡。
「この枝を揺らさずに、指先で石だけを弾き飛ばしてごらん。枝が倒れたら負けだ」
他の子供たちが「そんなの無理だよ!」と騒ぎ出す中、ミカはゆっくりと右手を伸ばした。
彼女の指先が動く瞬間、勇者の目がわずかに細められた。それは、子供を見る目ではなく、いつぶりか本人も思い出せない程ある種懐かしい本質を見定める武人の目だった。




