軌跡の始まり
「気が付いたか?」
ぼんやりと不思議そうな顔でシロナは俺を見て
ゆっくりとその表情は現実に戻るかの如く
何時ものシロナに変わっていって
「…迷惑かけたみたいね」
何時もの皮肉も
ステージでみせた笑みも無く、淡々と告げられて
「他の二人はどうしたのかしら?」
「…別の部屋で休んでるよ」
シロナほどで無いにしろ
慣れない衣装に、向けられる視線に
そして、緊張で思うように動かない身体に
ニナもリーフィアも疲弊して、消耗して
そんな彼女達は着替えを済ませて
隣の倉庫で休んでいる
「二人呼んでくるから、ちょっと待ってて」
そう言って俺は部屋を出ようとするが
「…待ちなさいよ」
「私達のステージはどうなったの?」
それを言うシロナは悲痛そうな表情を浮かべて
舞台の上で、意識を無くしてしまった彼女は
その結末を知らないのだと思い至ってーー
「立てるなら、見に行くか?」
笑みを見せてシロナに聞くが、その表情は曇ったまま
「…行かないわよ」
「醜態を晒して、最後までそこに居られなかった私に」
「与えられる評価なんて見るまでも無く分かるもの」
それは、失敗したと言いたげで
至らなかったと後悔を滲ませるようで
俺はそんなシロナの手を取り
「…ここは、幸せな夢じゃない」
「君が望む人は居ない」
ハッとしたように俺を見て
そして、バツが悪そうな顔をするシロナ
ーー倒れた彼女は幸せで儚げな夢を見るような表情で
「ご主人様」と囁く声は慈愛に満ちていて
そんな姿を見てしまった事を俺は後悔した
自分の全てを、まるで命すら削るように
ステージの上で歌い続けたシロナは
その姿はスポットライトすら無いはずなのに輝いて
その声は喧騒の中でマイクすら無くても届いて
言葉はないのに私を見ろと訴えかけて
その瞳はただ前を向いて
最後に見せた笑みは、本当にどこまでもただ
俺の語る夢なんてものがあると無垢に信じるような
純真で穢れのない物で
そんな笑顔を向けられるべきは俺では無く
シロナに夢を見せるのはここに居ない彼で
どんなに前を見ても、先に進んでも、抗っても
俺の語る夢の先には
この先シロナが戦うべき苛烈な世界にはもう
ーーシロナの望む彼は居ないのに
なら、俺の言う言葉は偽善でしかなく
語る夢とは所詮、自己満足に過ぎず
望むべく物を与えられないと言うのなら
それは、彼女達を使っているだけに過ぎないと
ただ、それでも
たとえ紛い物の夢だったのだとしても
「目を背けるなんて許さない」
「これが現実なんだとそれを見て欲しい」
シロナの表情はゆっくりと温度を失い
全てを諦めたかのように、薄く微笑んで
「…そうね」
「ちゃんと、受け止めるわ」
キッチンにある大鍋には
カレーもどきが溢れんばかりに入っていて
それは少しも減っている様には見えず
その前に立つコルベットは冷酷に告げる
「迷惑をかけないという話だったが」
「よもや忘れたわけじゃ無いよな?」
ホールからは、スタッフに向けられた罵声が聞こえて
それは収集が付きそうに無く
「すいません」
「俺の見通しが甘かったです」
そう言って、頭を下げて
シロナも俺と一緒に頭を下げる
「…ご迷惑をお掛けしました」
そして痛みを堪える様にして、シロナは息を吐き
「全て私達の責任です」
「彼に…アヤトには何の非も有りません」
「ただ、私がそれに至らなかった」
「アヤトのいうアイドルになれなかっただけです」
まるで、すべてを諦めきったシロナの言葉に
ーーもうこれ以上は酷だと、俺は口にする
「…んで、コレ何杯目ですか?」
その言葉に、コルベットもニヤッと笑い
「3…いや4杯目か?」
俺が作り置いたそんな物はとっくに無くなっていて
何度となく同じ言葉を繰り返していているのだろう
ホールに立つスタッフは多少げんなりしながら
「こちらのメニューなんですけど」
「ごめんなさい、もう売り切れてしまっていて…」
客も、それに喰い下がり
「いや、だから頼みたいんだって」
「待ってもいいから、出してくれない?」
そんなやり取りが毎回であれば
ホール業務なんて回る訳もなく
キッチンからオーダー取りに駆りだされた
狼種の彼が戻ってくるなりアヤトの頭を小突く
「…アヤトてめぇ、ふざけんな」
「せっかくの休みが潰れたどころか」
「糞忙しいわ、賭けには負けるわ」
「どーしてくれんだよ、オイ」
確かに、迷惑をかけた
店は俺達のせいで大混乱になっているが
だがそれは、シロナが思うような意味ではなくて
「見せた夢は、ちゃんと世界を変えたよ?」
「俺が思うよりも、ずっとずっと」
シロナは呆けたような顔のまま固まっていて
信じられないものを見るように
確かめるように、呟きを漏らして
「…なんで?」
「だって…私は奴隷で」
「何も出来なかった……ゴミで」
それを俺個人が否定するのは簡単だけれど
彼女達はもう、俺の所有物なんて
そんなちっぽけなものじゃ無くなったから
「なんでかは、知らないけどさ」
「でも、君達を見て応援したいって」
「今この店は、そんな人で溢れかえってんだよ」
そこには人も、獣人もなく
ただ酔った勢いだとか下らない理由かもしれず
明日も明後日もずっと続くものかは解らないが
それでもこの瞬間
今日この時に彼女達はアイドルになったのだ




