その問の答えを
その生活は決して裕福とはいえなかった
彼はお金持ちでは無く、毎日遅くまで働きに行き
泥だらけになって帰って来て
「…ただいまシロナ」
それでも、いつも私に向けられるのは笑顔だった
「お帰りなさいご主人様」
彼は私に命令することは無い
どんな粗相をしても、彼はそれを笑うし
たとえ汚い言葉で罵ろうとも、平然とそれを受け入れて
まるで、私を人間のように扱うのだけれど
でも、たった一つだけ彼は私に命令をした
それはひどく簡単なもので、何も難しくはない事で
「彼の事をご主人様と呼ぶ事」
だから、私はご主人様と呼ぶ彼の名を知らない
彼は、私の質問に大体答えてくれるのだが
それを聞いた時だけは、何時もはぐらかされてしまって
帰ってきてからすぐに彼はキッチンに立ち
「ご主人様、料理くらい私がやります」
「えー、シロナがやると炭になるじゃん」
「お皿もすぐ割っちゃうし」
「意外とぶきっちょだよね、シロナって」
そう言いながら、彼は手際良く料理を作って
テーブルの上には二人分と呼ぶには少ないご飯が並び
取り分けられたその量はいつも、シロナの方が多い
最初は文句を言ったのだが
彼はそれに、取り合おうとはせず
「食べないと、胸育たないよ?」なんて
馬鹿にするように笑って誤魔化すだけで
私は此処でも無力だった
些細な幸せすらも、守る力は無くて
奴隷は主人以外の人間の下で働く事は許されない
誰だって自分が買ったものを他人に使われるのは
気分が良いものでは無いだろうし
使い勝手の分からない他人の物にお金を払うくらいなら
自分で買ったほうが経済的で
だから、彼の奴隷たる私には働き口は無くて
稼ぐ為の奴隷を養う為に彼は働いていて
まるで主従が逆転していて、私は何の役にも立たないのに
それでも彼は私を見ながら
「…やっぱ、シロナを買ってよかった」
「馬鹿なんじゃない?」
私は呆れるようにそれを告げるけれど
素直に嬉しいなんて言えないだけで
自分でも可愛くないなって思うけれど
恥ずかしいから仕方無くて
二人食べ終わり、一人お風呂を済ませて
タオルを巻いた私は彼に聞いてみる
「いつも不思議なんだけど、なんでお湯が出るの?」
彼は魔法を使う様子もなくこの家には風呂焚きも居ない
にも関わらずお湯が出るのは不思議でならない
「あー何でなんだろうね?」
当人すらそれを良く分かってはいない様で
困った様に笑いながら着替え始めた私から目を逸らす
「そろそろ寝よう」
そう言われた私は彼の隣に潜り込んで
躊躇いがちに手に触れてみるが、彼はされるがままで
「ねぇ、ご主人様」
「…そういう事、したりしないの?」
彼は私がここに居る意味を提示しない
どうして買ったのかを伝えようとはしなくて
私は一人の時間に考えるのだが
出した答えはいつも的外れらしく
彼はそれを可笑しそうに笑うのだ
私は初めに、壊す為に買ったのかと聞いた
そうしたら彼はわざわざ壊す為に
金貨15枚も払わないと言った
その次は、嬲るために買ったのかと聞いた
彼は、だったらそういうお店に行くよと笑った
そんな答え合わせを毎日続けていって
労働させる為でも家事をさせる為でもないと
答えの分からないまま
「…シロナはしたい?」
こちらを見るでもなく、彼はそう呟く
与えられるのなら、何かの見返りが必要で
彼は私に何を求める?
彼が見出した私の価値は何なんだろう
「ご主人様が、望むのであれば」
だから、私はこう告げるしかない
私が望もうとそうで無かろうと、関係ないから
「なら、しない」
「俺の望みはそうじゃないから」
苦笑交じりの声に、私はまた間違えたのだと
そんな気持ちを抱いてしまって
「…シロナは真面目だよね」
「真面目に役割を全うしようとしてる」
困ったような、呆れたような
そして、失望したかに聞こえる言葉に私は怯えてしまい
握る手に力が入ってしまって
「嫌だ…捨てないで下さい」
思わず漏れだしてしまったのは、悲鳴にも似た懇願で
取り繕うことすら出来なくて
「…捨てないよ」
彼は言葉を探すようにして、暫く沈黙した後
「だって、俺はシロナのご主人様だもん」
飼い主とペット
物と所有者
奴隷と人間
それは全部、お金で買えるだけの関係で
私と彼はそうでしかないのだから
そう言ってしまえば楽になれる
それならこれ以上傷付かなくていい
求めてしまえば
届かないと知ってしまえば
名前すら知らない、彼が好きだなんて
ただのゴミが恋なんて感情を持っているだなんて
そんな気持ちを諦めてさえしまえば
彼とずっと居られるのなら
そばに置いてくれるというのなら
私は恋なんて感情を、好きだなんて戯言を捨てられて
でも、そんな夢はずっと続かなかった
彼の笑顔はだんだん無くなって
いつも、苦しそうな顔をするだけで
私を買ったそのすべてを払い終えた時に彼は言った
「シロナ、今日から君は自由で」
「もう、この家に居る必要はない」
「…要らなくなったって事?」
彼はそれに何も答えなくて
「ねぇ、答えてご主人様」
「どうして私を買ったの?」
「何も無いゴミ屑を」
「なんの価値もないそんな私を」
それに彼はひどく悲しそうな顔をして
「…何でだろうね」
「命令して下さいよ」
「私は貴方の持ち物なんでしょ!」
「ご主人様だから、私を捨てないんでしょ!」
縋るように告げた言葉に
彼は初めて見せたような笑みを見せ
「じゃあ、今から君に命令するよ」
ーー彼から告げられたのは
私が欲しかった物じゃなくて
「シロナ!!」
私はその声を聞いて身体が強張る
息を切らしながら、そこに居たのは私の新しいご主人様で
リーフィアとニナも駆けてきて
ーーもしも、君をシロナと呼ぶ人がいたのなら
その人をご主人様と呼びなさい
ご主人様は笑ってそう告げて
私の大切な、たったひとつ持つ物すら取り上げて
「…何しに来たの」
「逃げた奴隷を捕まえに来た」
「それとも、ゴミのポイ捨ては許せないなんて話?」
私は嗤う、嘲笑う、笑う
貼り付けただけの笑顔を向けて
本心すら見せないように
アヤトと言ったご主人様は私の顔を見て
「…何なんだろうね」
向けられた笑顔は、言葉は
私のただ一人、そう呼びたかった人と重なってしまって
眩しかったその顔は、もう掠れて思い出せなくなりそうで
消さないで欲しい
壊さないで欲しい
塗り替えないで欲しい
笑顔も、言葉も、名前も
ただ僅かの幸せも、全部全部彼がくれた大切な色で
真っ白じゃなくなった私だから、汚れてしまった私だから
幾度となく捨てられても、ゴミと嘲られてもーー
「私は貴方の何なの!!」
「ゴミ?奴隷?」
「それとも慰み物?」
そうじゃないと知っている
「それとも、私を好きになった?」
「愛してくれる気になった?」
そんなことは無いと分かってる
「ねぇ答えてよ!!」
「私はどうなったらいいの?」
「……どうすればよかった?」
視界は滲んで、世界は鈍く輪郭を失い
伝う雫のなかに僅かに、光だけがあって
これからなんて、要らない
過去はもう変らない
なら私はどうして生きたらいい?
震える声でそれを聞くしかなくて
「…だから、答えて」
「私はご主人様の何になればいいんですか?」
その言葉に彼は息を吐き出して
躊躇う様に、でも力強い声で
「君達は…光で」
「俺にとって君達は夢だ」




