第95話 迷いの森
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初夏の、汗ばむ季節のことだった。荷物が撤去され、人々が去っていく緋末の東京分家。
石庭がある縁側に腰掛けながら、后は同じ血を引く緋末一族の様子を眺めていた。
背後に目をやると、もぬけの殻になった大広間。ついこの間、当主である広がここで戦争開始宣言をした。
そして先日、いつの間にか外出していた広が家臣たちに屋敷を捨てることを告げた。
「立派な屋敷なのに、壊してもいいって……捨てちゃうんだなぁ、全部」
頬杖をついていた后だが、空を見上げて息を吸い込んだ。
快晴、雲一つない青空。懐かしさが込み上げる。
あの日も、同じような空に七色の虹がかかっていた。
「もうすぐそっちに行くよ、父さん」
死んだ人間は空に還帰るという。
それならば今、この声は父に聞こえているのだろうかと、后は目を閉じた。
全てを夢だと思えばいい、憧れたあの人のように。
目を閉じて現実を遮断して、逃げてしまえばいい、リアルの世界から 。
「仮想の世界へ、夢の中へ」
落ちていけばいい。
そこに甘美を得られるならば。
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結奈が封印された日の翌日。
朝早く、織斗と咲は神木の家を出て緋末の屋敷へと向かった。
『遊びに来い』
そう、広が言っていた。
罠だからやめとけという凛の意見に、織斗と咲、隆までもが首を横に振った。
『罠だとしても、行かないと話が進まない。結奈の一件で広は、事を進める方向に動いてる』
結果がどうなるにしても今の、神木と緋末の関係に終止符を打とうとしている。
「久しぶりだな、広の家」
緋末東京分家、屋敷を囲む森への入り口となる門を見上げ、織斗が呟く。
咲も同じように、門を見つめた。
「迎えに来てくれたよね、私を」
「あの時は夜だった……広にとっては今も夜か」
「迎えに行こう、今度は広を」
「あぁ……正面突破は危ないかもな、森を抜けるか。凛、案内任せていいか?」
耳元にあるイヤリング型通信機に問いかける織斗だが、返事はなかった。
不思議に思って指で撫でるが、やはり何の反応も示さない。
「あ、織斗くん。電源ちゃんと入ってるかって凛ちゃんが」
「電源?」
「あー……えっとね、織斗くんがつけてる通信機、電源が入ってないみたいで……声が届かないって、凛ちゃんが」
「…………おかしいだろ!」
バンっと、織斗がイヤリングを外して地面に投げつける。
しかし物に当たってはいけないと思い、すぐに拾い上げてポケットの中に収めた。
「なんで俺がオンオフの操作するんだよ、遠隔で凛ができるようにしとけよ。天才なのか馬鹿なのかわかんねーな、あいつ」
「あ、えっと、織斗くんがね、凛ちゃんのこと天才か馬鹿かわからないって……」
「待て、咲、言葉そのまま凛に伝えるな。面倒くさいから」
「……改めて言われなくても、盗聴器で聞こえてるからわかってるって」
「……なんで盗聴器の電源は普通に入れてんだよ」
はぁーっとため息を吐いた織斗が、森を見上げた。
「とにかく行くか」
そう言って一歩踏み出した織斗の後を追おうとした咲だが、はっと昔のおとを思い出した。
以前この場所に来た時、一本道から外れるなと広に忠告されていた。
「森に入ったら抜け出せなくなる……織斗くん、待って!」
咲が叫んだ時には遅かった。
森の中へ片足を踏み入れた織斗の腕を咲が掴む。だが引き戻すことができず、二人して倒れ込んでしまった。
仰向けの織斗の上に、咲が乗り掛かる。
「痛……なにしてんだよ、咲」
「森に入っちゃダメ、一本道を通らないと」
「一本道?」
「門が誘ってた正規のルート。それ以外の、森の中へ足を振り入れたら取り込まれるの」
「取り込まれる?」
「私が暮らしてた田舎の山にもあったの、術力が溜まってる場所。一歩でも足を踏み入れたら抜け出せなくなる、迷いの森」
「それがこの森ってことか? なら一本道に戻れば……」
咲の肩越しに一本道がある方を見る織斗だが、ピタっと動きを止めた。
恐る恐る、咲が振り返る。
「なぁ、いま、森の中に入って一歩も進んでないよな?」
「うん……」
「道路がない……三百六十度見渡す限り森しかないように見えるんだけど……俺、視力落ちたかな?」
「視力は関係ないでしょ……」
もう一度辺りを見渡すがやはり、森の奥に迷い込んだように周りには木々しかない。
一本道や門、道路などの人工物の類は見当たらない。
真昼間だというのに、梟の鳴き声が聞こえた。
「え、なにこれ? とりあえず進めばいいの?」
「ダメだと思うよ。迷いの森は、いくら進んでも抜け出せない」
「凛との通信は?」
「圏外だね」
「……咲、ちょっとどいてくれ」
立ち上がった織斗が足を踏み出し、咲は織斗の服の裾を掴んで歩く。
「……森だな」
「うん、自然がいっぱいだね。田舎の山みたいで懐かしい」
「浸ってんじゃねーよ……ヘンゼルとグレーテルってどんな話だっけ?」
「え? 手繋いでくれるの?」
「…………」
そういう意味ではなかったが、異論はない。
織斗は咲の手を取り、再び歩みを進める。




