第89話 わがまま
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『あのね、ヤスくん。私、好きな人が出来たの』
その時に見た彼の顔が思いだせない。
違う、きっと……顔なんか見てなかった。
いつだって私は、自分のことばかりだった。
*
薄暗い部屋の中、結奈は目を覚ました。
ベッドとラグマットしかないシンプルな部屋、結奈もよく知っている、咲の部屋だった。
学校から帰ったあと、少し休めと言われて仮眠を取った。眠れるはずないと思っていたのに、目を瞑るといつのまにか寝てしまっていて。
カーテンの向こうはまだ暗い。
時計の針は長い針が十、短い針が十二をさしていた。
「十時? 違う、まだ日付も変わってない……果てしないな、朝が来るまで」
ぼうっと、結奈は学校でのことを思い出した。
常盤泰鷹、神木一族でありながら本家の意向に逆らい、全国に離散した一族を独断で集め緋末に戦いを仕掛けた本人。
皮肉にも、戦争初日で織斗に封印され、彼の集めた部下は一般人含め全て、緋末に拘束されたか死亡した。
戦場となった学校から逃げ出した織斗と結奈を、緋末一族の者は追ってこなかった。
あれから何時間過ぎたかはわからないが、今現在、神木宅に被害がないということは、今日はもう大丈夫なのだろう。
「あ、でも奇襲もあるよね。準備……ごめんね、お兄ちゃん。ごめん、ヤスくん……」
もどかしい気持ちが収まらなくて、結奈はベッドから起き上がり部屋を出た。
リビングからは灯りが漏れていて、扉を開くとソファに凛の父親である隆也、その向かい側に結奈の母親である瀬奈が座っていた。
「おはよう、結奈」
「おはよう、結奈ちゃん」
「おはようございます。あれ? 他の人たちは?」
「元助様は隣で寝てて、織斗くんは咲ちゃんを迎えに行くって。で、凛は……」
隆也は微笑みながら自分の横を指差した。
よく見ると、隆也に肩を預けて凛が眠っていた。
「ついさっき寝ちゃったんだ。ずっとモニター見張ってたからさ」
「結奈、体調は? もう寝なくて大丈夫?」
母、瀬奈の言葉に、結奈は無理に笑顔を作り、冷蔵庫を開けてお茶を取り出した。
よく冷えた麦茶を、喉の奥に流し込む。
「大丈夫、喉渇いてただけだから」
「本当に大丈夫? 目腫れてない?」
「そんなわけないでしょ、喉カラカラだったのに」
ぱっと顔を背ける結奈。
瀬奈はその表情の奥にある感情に気がついたが、追求はしなかった。
「結奈、あなた、しばらく家にいなさい」
「……え?」
「ヤスくんのことは聞いたわ。一人暮らしを始めたことは聞いてたけど、まさかこんな事になってるなんて」
「一人暮らし? ……お母さん、ヤスくんのこと知ってたの?」
「引っ越してからも連絡とりあってたの、彼のお母さんと。結奈ちゃんには自分のこと言わないで欲しいって言って、ヤスくん言っていたらしくて……だから私も、あなたに何も伝えなかったんだけど」
「……違う」
結奈は俯き、下唇を噛んだ。
違う。
悪いのは自分だ。
だって私は聞かなかった。『ヤスくんどうしてる? 元気』って、彼の現状を知ろうとも思わなかった。
「私、本当に……何もできないね」
「え?」
「うん、そうだね。もう出ない……二階にいるね」
会話を一方的に終了させ、結奈はリビングを飛び出す。
「結奈!」
背後から瀬奈の声が聞こえるが、無視して部屋のドアを閉じた。
「え、あれ? 結奈?」
息をついたところで、眼前に結奈の召喚獣であるブラックがいた。
パタパタと羽根を鳴らすブラックを、結奈は不思議そうに見つめる。
「ブラック? どうして……私、呼んでないよ?」
「は? 飴袋は?」
「自分の部屋に置いてきてる」
「なんだそれ……おまえ、何かあった? 術力が不安定になってないか?」
「……別に」
「術発動してないのに俺を呼び出せるってかなりやばいぞ。お前ら神木は感情が昂ると術力の状態が……」
「うるさいっ!」
結奈の怒鳴り声に、手を伸ばしかけていたブラックの腕がピタッと止まる。
自分の声量に驚いた結奈が、頭を抱えてその場に蹲った。
「ごめん、ブラック……ごめん」
「俺はいいけど……」
「一人になりたい。ごめん、出て行ってもらっていい? ……一人になりたい」
「……わかった」
会話を続けるのは逆効果かもしれないと、ブラックは大人しく部屋を出て行った。
パタパタと鳴る羽音が遠ざかったところで、結奈は息を吐いてベッドに飛び乗った。
「寝たくない……」
だけど身体が重くて、起き上がるのは困難だった。
少し寝てしまおう、そう思って目を閉じる。
夢か現か、その境目を彷徨っている時、昔のことを思い出した。
十年以上前、従兄である神木織斗と、その親友である緋末広が出会う前。
常盤泰鷹と友達だった時のこと。
*
*
五歳のとき、結奈は母に連れられ、洋風の綺麗な家にやってきた。
玄関に敷き詰められた砂利、色とりどりの花が咲く花壇、緑色のオシャレなポスト、クリーム色の外観。
中にはいると廊下の壁にたくさんの絵画が飾ってあって、結奈は目をキラキラさせながら母について歩いた。
「結奈ちゃんより少しお兄ちゃんだけどお友達がいるから、緊張しないで?」
リビングに入るドアの前で、家主である女性が結奈に声をかけた。
長い髪を編み込みにしたおしゃれな人。その女性とは、母を交えて外食することはよくあったが、彼女の家に来るのは初めてだった。
ぎゅっと、花柄のスカートの裾を握り締めながら、結奈はリビングに入る。
「泰鷹、ご挨拶して」
中に入ると同時、目の前に現れた男の子。結奈より歳上の、オシャレなカッターシャツを着ている。
男の子は朗らかに微笑み、結奈に右手を差し出した。
「常盤泰鷹です。結奈ちゃんだよね?」
「あ、えっと……う、ん」
「よろしくね、結奈ちゃん。何して遊ぼうか?」
半ば無理やりに、泰鷹は結奈の手を取ってリビングと隣り合った和室へと連れて行く。
襖を開けるとたくさんのドールハウスと、それ用の動物の人形が置かれていた。
「わぁ……わぁ!」
目を輝かせた結奈が振り返ると、泰鷹が嬉しそうに微笑んだ。
「結奈ちゃん、人形好きなんでしょ? 僕もなんだ。結奈ちゃんはどれにする?」
迷わずうさぎの人形に手を伸ばす結奈を見て微笑んだのは泰鷹だけでなく、二人の様子を見ていた母たちもだった。
「よかったわね、仲良くなれそう」
「泰鷹、女の子の遊びが好きだから、結奈ちゃんと遊べてよかった。もっと早く招待すればよかったわね」
「ごめんね。うちは父様がうるさいし兄様が……」
「大丈夫、私も元神木の一族として、事情はわかってるから。だから私たちが会ってることは、他の人には内緒ね」
くすくす笑い合う母たち。
その側で楽しそうな笑い声を上げて遊ぶ結奈。
優しさに包まれた空間に、泰鷹は自然と、久しぶりの笑みを浮かべた。
常盤泰鷹。
結奈より四つ年上で、別の地区で暮らす小学生だった。
それから週に数回、幼稚園終わりに結奈は常盤宅に遊びに行くことになる。
結奈がくる日、泰鷹はいつも、学校が終わるとすぐに走って帰宅した。
「おかえり、ヤスくん」
結奈のその言葉が嬉しくて、彼女に対する恋心を泰鷹が自覚するまで、そう時間はかからなかった。




