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第83話 夢現、昼 ー広

*



 緋末東京分家の、普段は応接室として使っている部屋で広は一人、机の上に置かれた麦茶を見つめていた。

 透明なグラスに注がれた茶色の液体、表面には氷が浮かぶ。

 しばらくしてドアをノックする音が聞こえ、扉が開いた。


「父様は?」


 ドアの前に立つ家臣に広が尋ねる。

 彼は頭を下げたまま、静かに答えた。


「先ほど京都を出たと……こちらに向かっているそうです」

「へぇ……なぁ、もう一度聞くんだけど、誰が連絡したの?」


 広の言葉に、家臣の男がびくっと身体を震わせる。

 いつもの表情、声色のはずなのに……不機嫌さがあからさまに、伝わってきた。


「自分には、わかりません」

「少なくとも、お前じゃない?」

「……はい」

「あぁ、よかった。今の言い方でその返事なら、嘘ついたことにならないもんな」


 にこっと笑みを浮かべて家臣の男を見る広の視線。

 見透かされている……と、これ以上会話を続けたら答え合わせをしてしまうと、家臣の男は下を向いて表情を隠した。


「まぁ、別に、犯人探したいわけじゃないからいいけど」


 チカチカと、電池が切れそうな電球を見つめながら広が言った。

 窓のない部屋だった。

 あかりを灯してくれるはずの電球は、その役割を上手く果たしていない。

 広の視線を追った男がようやく、電球の不具合に気づく。


「すぐに取り替えます」

「いや、いいよ」


 敷居を超えて部屋に入ろうとする家臣を手で制し、広が言う。


「このままでいい。それより父様に、来なくていいって連絡しておいて」

「……いえ、それは……」

「東京分家の家長は俺というか、そもそも俺、この、緋末家の当主なんだけど?」

「……伝えるだけ、伝えておきます」

「成すことは出来ないんだ? 結局無能だな」

「……すみません」


 にこにこと微笑む広に、家臣は俯いて謝罪の言葉を述べるしか出来なかった。

 はぁーっとため息を吐いた広が、「もういい」と言って彼を追い出す。

 素直に従う家臣の男だが、扉を閉める直前で動きを止めた。


「当主様……いえ、広様」


 わざわざ呼び方を変えたことで、広は目つきを厳しくした。

 空気が変わったことを、家臣の男は悟っていた。

 だけど伝えねばと、唇を噛んで顔を上げる。


「しつこいとは思いますが、これで、最後にしますので」

「……なに?」

「目を、覚ましてください」

「…………」

「どう足掻いても現実は……あやめは、もう……」


 ガンっと、広が机の足を蹴った。

 グラスに入っていた茶色の液体が、机にこぼれる。


「しつこいって、思ってる。自分がしつこい事してるって、自覚はあるんだよな?」

「……申し訳ありません」

 

 再度、頭を下げた男が今度は完全に扉を閉める。

 遠ざかる足音が完全に消えたところで、広は水浸しになった机の上を見つめた。


「いらないって言ったのに、誰が持ってきたんだろう」


 ため息を吐いて上を向くと、チカチカとつきの悪い電球が目に入った。


「来なくていいって、言ってるのに。面倒くさいな、父様も……緋末の人間、全部」


 秒針が時を刻む音しか聞こえない静かな部屋。

 広は一人、頼りない小さな光を見つめていた。




 父が、

 緋末孝幸《ひうらたかゆき》が何者かに襲われたという連絡を受けたのは、その四時間後だった。

 東京駅に着いた際、用意されていた車に乗り込むと同時に撃たれたと。


「……車?」


 誰が用意したものだろう、と広は首を傾げた。

 東京分家の一族は広の言葉を最優先に、と緋末家の長である緋末孝幸がそう決めている。自分は指示を出していないどころか歓迎していないのに。

 迎えなど、行くはずがない。

 グラスの氷はとうの昔に溶けていた。

 面倒くさそうにため息を吐く広に、家臣の男が怒鳴った。


「広様!」


 だけど広は目を閉じて、話を聞くことを、考えることを拒否した。


「少し、静かにしてくれないか。頭が痛いんだ」


 広の発した言葉で家臣の男は唇を噛み、廊下を走って去っていった。

 どうでもいいと、そう思った。

 どうせこれは夢だ。後でなんとでもなる。

 それが終わるまで、悪夢が覚めるまで目を閉じて待っていればいい。

 治らない頭痛と目の奥の痛みをこらえ、広は瞼を閉じた。


「だから、来なくていいって言ったんだ……目が覚めたら見舞いにでも行きますよ、父様」


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