第76話 情報が錯綜
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午後六時半過ぎ、街の丘公園のベンチで俯いていた広だが、はっとして目を見開いた。
「寝ちゃダメだろ、こんなところで」
はぁーと深いため息をついて、あやめの顔を思い浮かべる。
寝起きの酷さは自覚している。なぜあんなことになるのかはわからないけれど。
「京都にいたころはあんなことなかったよな……小学校の時もまだマシだったか」
京都に住んでいたのは幼少期だが、その頃の記憶は鮮明に残っている。
たくさんの大人達に囲まれて様々なことを押し付けられて。人間として扱われていない、自分はただの緋末本家の長男・次期当主という記号でしかないのだと、嫌でも実感させられた。
東京分家に行く際、『家長はお前だ。責任を持て、お前の言葉一つで世界が変わる。たった一言が、東京分家の家憲となる』と父に言われた。
今思えば、馬鹿なんじゃないかと思う。小学校入学前の子どもにそんなこと。
以前より気は楽に、自由になったけれど。
だけど妙な目の覚まし方が始まって、どうしようかと思っていた頃にあやめが緋末の屋敷に来て。
朝を迎えるのが苦痛ではなくなった。
「あやめが来てくれて、よかった」
再度、盛大なため息をついて、背もたれに身を預ける。
「楽しいな、今……全部、うまくいってる気がするのに」
胸騒ぎがする、なぜだろう。
何かが……何かを見逃している気がする。
緋末のことは、東京分家に関しては大きな問題はない。細かいことはこれから調整していくとして……遼馬みたいな乱逆はもう起こらないだろう。京都本家……緋末は大丈夫だ、ナンバーズの力を持った家臣もちゃんと名乗り出てくれて……
「神木のほうは、どうなってんだろ」
そういえば最近、宿縁抗争を終わらせることについて織斗と話ができていないと気がついた。
夜の戦いは何の問題もない、家臣の目も欺けているし京都本家への報告もちゃんと行っている。
織斗ともうまくやれて……。
戦いあうのが楽しい、と思うほどの段階まで来てしまった。
「……っ、痛」
じんっと、目に痛みが走って広は顔を押さえて俯いた。寝不足ではあるが、今のこれはおかしい、経験したことのない怠さと目の痛み、景色が霞む。
いつからだっけと思い出してついさっき、学校での出来事を思い出した。
「……血は、関係ないよな?」
そんなはずはないと思うが、あの時から……川谷の血のついた飴を食べてからだ。
いや、そんなはずはない。危険なのは当主の血だけだ。他人の血を受け入れてはならないなんて話、聞いたことがない。だってそれなら日常生活が困難になる。
広はうつむいたまま、目元を強く押さえた。
今まで普通に過ごしてきた。学校で怪我した友人の手当てをすることもあるし、事故にあった際の輸血なども……
「……俺も織斗も、小さい頃から、大怪我したことない」
ふとそのことに気がついて目を開けた時、足元に誰かの靴が見えた。
その距離になるまで気がつかなかった。慌てて顔を上げた広の目に、銀色の短髪が映った。
大小さまざまなピアス、首元には派手なネックレス。
「あんたらの身体は、丈夫に出来てるからな」
赤い術印が描かれた黄色いプラスチックの指輪を右手にはめた、泰鷹が言った。
「緋末広、であってるよな?」
「…………」
「答えない、ってことは正解でいいんだよな? へぇー、確かに綺麗な顔してんな。あんた、昔からそんな整ってんの?」
「……どうして、そんなことを?」
「いや、ちょっと聞いてみただけ。俺には全然、その顔の何がいいのかわかんねぇけど」
ふっと笑った泰鷹が、背負っていた大鉈を広に向かって振りかざした。
広はとっさに身をひき、鉈の刃を避ける。
「あらら、術使わなくても普通に運動神経いいのね」
「なんだ、おまえ……」
身を引いた広の背中に、嫌な汗が流れる。
殺気は感じる、だけどうまく見えない、目で捉えることが出来ない。
気配すら、どこにいるのかよくわからない。
「自己紹介してなかったな、神木の常盤泰鷹っす。知らないっしょ? 神木家は解散して、一族の情報も消してるから」
「……いま、術を使ったか?」
「使ったように見えたか? ナンバーズだから術使ってもいいんだけど、炎だと加減出来ないんだよなぁ」
「加減?」
「死なない程度に殺す? あ、それって死んでるってことか。まぁ、とにかく……あんたに痛い思いさせたいんだよ」
再び強い殺気。
広の頬の真横を、刃が通り抜ける。風を切る音を耳で聞いた広がトランプに手をかけるが、ケースが開かなかった。
「なんで……」
しかし考えている暇はない。
身をかわした広が泰鷹の背後に回り込もうとするが、簡単に腕を掴まれてしまった。
地面に突き刺さった大鉈の刃の横に、泰鷹が広の頭を押し付ける。
「うちの当主様から聞いたんだけどさぁ、戦ってるのは夜だけで昼は友達なんだって?」
「……お前とは、その関係が築けそうにないな」
「言うねぇ。俺だって嫌だよ、緋末広って名前の人間なんて」
広の頭を押さえつけているのと反対の手で大鉈を取ろうとした泰鷹だが、その一瞬の隙をついて広が顔を上げた。
立ち上がろうとしたがやはり、身体が重く、今度は仰向けに押さえつけられる。
「体調不良が足引っ張ってるな。弱すぎなんだけど」
声が、反論することが出来なかった。
何故だかわからない、身体が重い。
目が耳が、意識が遠くにあるような、鈍い感覚。
「あんたさぁ、友達だなんて信じてんの?」
抵抗を見せる広の耳元で、泰鷹が言った。
「嘘だよ、全部」
「嘘?」
「あ、いいなその目。うちの当主様よりあんたの方が気が合うわ、俺。大っ嫌いだけど。殺すなって言われてんだけど、死んじゃったらごめんね?」
再び振りかざされる大鉈を、今度は広が素手で掴んで止めた。
手のひらが引き裂かれる感覚に、広は顔を歪める。
「マジかよ、人間のなせる技じゃねーよ。すげーな緋末の当主は。うちのと違って」
「織斗だって、これくらいやるだろ、いざとなれば」
「……やっぱいいわ、その目……今からそれを、絶望に変えてやる」
大鉈が手のひらごと地面に突き刺さり、広は軽く悲鳴を上げた。
泰鷹がぐりぐりと刃を揺らす。かなりの痛みがあるはずだが、意識が混沌としてわけがわからなくなっていた。
広は息を吐きながら辺りを見渡すが、やはり景色が霞んでよく見えなかった。
音も意識も、全てが遠い。
「名演技だよな、うちの当主様は」
泰鷹の言葉に、広が微かに口を開く。
「……えん、ぎ?」
「騙されてたのはあんたの方だよ、緋末当主。神木織斗は最初から全て知ってた、あんたが緋末だと知ってて近づいて、戦いは夜だけだと言って油断させた」
「……嘘つきはお前だろ。織斗が、そんな……」
「そんなことできるわけない? じゃあ、面白いこと教えてやろうか。二年前、中学の修学旅行、あんたも迷子になったんだって?」
「…………なんで、そのこと」
一瞬だけ、広は痛みを忘れた。
当時のことを振り返ろうとするが、頭が真っ白になって何も考えれない。
だけどこれだけは間違いない。
織斗以外には言っていない。
「迷子になった神木織斗を探してくると教師に話し、自分も単独行動を始めた。だけどお前は自分も道に迷い、その先でトランプを受け取った」
「嘘だ……その話は……」
「教師にも友達にも言っていない。誰にも言わないでくれと織斗に言ったはずなのに。ってか?」
「見てた……見てたんだろ、お前! どこで……」
「んなわけねーだろ、当主様に聞いたんだよ。敵の情報を共有するのは普通のことだろ?」
泰鷹が大鉈を引き抜いたことで、広の手のひらの痛みが増した。
ボタボタと、大量の血が地面に滴る。




