第75話 小さな沸点
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咲も広もいない。
織斗は川谷と遊んで帰り、住宅街を一人で歩いていた。姫未は現れないが、呼び出すにしても理由がないと、やはり一人で織斗は家に帰った。
「ただいまー」
玄関を開けると同時に声を出すのが、日常になったのはいつだったか。
咲がいない日は迎えてくれる人がいないので、リビングにいる祖父に同じ言葉を告げるから二度手間になるのだけれど。
「あ、お帰りなさいっす」
しかしその日は違った。
玄関先に泰鷹がいて、ちょうど靴を履き終えたところだった。
「なんだ、ヤス、どっか行くの?」
手元には大きな荷物。昨日、神木家に来た時に持ってきたのと同じサイズのリュック。
「すげーいいタイミングぽいんで、そろそろ行きますわ。一晩だけどお世話になりました」
「いいタイミング?」
織斗の質問には答えず、泰鷹は靴紐を結び直す。
うつむいているので、表情は見えなかった。
「なあ当主様、人間が罪を犯すキッカケって何だと思う?」
「キッカケ? 相手を恨んでたとかムシャクシャしてたとか?」
「そうそう、肩がぶつかって相手を殺しちゃいましたーとかな」
ははっと笑いながら、泰鷹は反対の靴紐を結ぶ。
「俺の場合は、夜勤明けのコンビニで弁当が取られたことかな」
「弁当?」
「毎日同じ作業の繰り返しで、成功が当たり前でほんのちょっとのミスで怒鳴られて……少しだけ贅沢してーな、牛丼買って帰ろってコンビニ寄ったんだ。残り一つでさ、そういえばお茶もなかったってそっち先に行ったら違うやつが牛丼弁当持ってったんだ、残り一つそれで最後だったのに。この時の俺の気持ち、わかる?」
「え、いや……」
「当主様にはわかんねーよな、毎日楽しいー、今が人生最高って顔してるもんな」
「……いや、えっと……悔しい気持ちは、わかるけど。でも、たかが弁当だろ?」
「そう、たかが弁当。でも俺はそんな小さなことで、沸点越えちゃったんだ」
靴紐を結び終えた泰鷹が顔をあげた。
じっと見つめてくる泰鷹の視線に、織斗は違和感を覚えた。
何故だかわからないけれど、昨日とは明らかに違う。
鋭い目つき。
「当主様にとってはたかがなんだろうけど、俺にとってはその一つがとてもつらい事で。そんなことで酷く落ち込んでる自分が、すげー情けなかった。そんな小さな事を未だに引きずってる俺は、あんたにとっちゃ馬鹿みたいに見えるだろ」
「……え、あ、違う……ごめ……」
「てことで、俺、あんたとは気が合わねーすわ。じゃあな、当主様。あ、妹ちゃんにもよろしく伝えといて」
「え? ちょっ……ヤス……」
引き止めようと手を伸ばす織斗だが、指先は届くことなく玄関のドアが閉められた。
シン、と静寂が訪れる。
「追いかけ、るか?」
しかし、これ以上どう声をかけていいかわからなった。
「弁当? いや、だって、弁当って……」
「当主! よかった、あの人行ったよね?」
階段から降りた凛が、玄関と廊下を見渡しながら言う。
誰もいないことを確認すると、凛は織斗の手を取って二階へと向かった。
「え? なになに? 俺、帰ってきたばっかなんだけど?」
「そんなの見ればわかるから!」
「なんでお前がキレるんだよ……つーかなに?」
「あの人のことで、話がある」
「あの人? ヤスのこと? お前まさか、ヤスにも発信機とか盗聴器とか……」
「つけれなかった」
「……は?」
「あの人、バックに私と同じやつがいる。勝負仕掛けてもよかったんだけど、向こうのレベルもわからないし下手に手を出さない方がいいかと思って」
「は? なになに? まじでなに言ってんの?」
「まとめて説明するから、黙ってついてきて!」
凛が織斗の部屋のドアを開け、そこに織斗を放り込む。
部屋を見渡した織斗は、怒りを通り越し唖然としてため息をついた。
「おまえ、これは……」
今朝までベッドと勉強机、衣装箪笥と本棚しか置かれていなかった織斗の部屋だが、机をモニター画面で囲まれていた。
二十四インチのモニターが三つと、机の上にはキーボードが二つ。
床を這う配線は、廊下を抜けて織斗の向かい側の部屋まで繋がっていた。
「凛、お前まだ十四歳だよな?」
「誕生日来年の一月だから、まだ十三」
「俺は十七になったから、お前は俺より四つも年下なんだ」
「姿形だけね、あんた背高いしね。頭の良さは私のほうが上だけど」
「……お前よりでかい俺から一つ、提言がある。模様替えは、部屋の持ち主の許可を得てからやろうな?」
「頭は私の方がいいって言ってるじゃん! それより見て、これ」
凛が指差すモニターの一つ、画面には0と1の文字列が敷き詰められていた。
常人が理解できるものでない。
「読めねぇよ」
「あ、間違えた。ごめん」
凛は慌ててキーボードを操作する。
その間、織斗は他のモニターに目を向けてそれが何かを考えた。
「なぁ、これ……左側のモニターの地図、俺の家がある場所に赤い点があるんだけど……俺じゃないよな?」
「神木のカラーは赤だから」
「いや、だから、なんで? こえーよ、プライバシーとは?」
「なに言ってんの、プライバシーはカタカナ語でしょ? あえて訳すなら、私事権だっけ?」
「……英訳を教えてほしかったわけじゃない。つーかマジで、どこにつけてんの?」
織斗は自分の服や身体を確認するが、それらしいものは見当たらなかった。
「わからないと思うよ。今回のはコウとの共同開発だから」
「コウ? 誰?」
「緋末のナンバーズ。以前、私の情報を逆探知してここの回線に進入した緋末のハッカー」
頭が痛くなる織斗だったが、緋末のナンバーズのことはわかった。
なよっとした喋り方の中学二年生、凛と同じ学年の男の子。
五十嵐后、お姫様のキサキと書いてコウと読む、と凛は説明した。
「送られてきたメール見たらウイルス入ってて、ワクチン欲しかったらメール返せって言われて」
「そんな怪しいメール開くなよ、俺でも危ないって気づくぞ。なんでそんなやつと連絡取り合ってんの?」
「いいやつだよ、コウは。向こうはソフト系だから、私のハード系と組み合わせれば最強になるし。それにコウの作るゲーム面白いから」
「ゲーム?」
「簡単なRPGなんだけど、私が初めてハッキングしてダウンロードしたゲームに似てて……出来た!」
タンっと軽やかにエンターキーが押される。
画面が切り替わり、今度はカタカナの文字列が映し出された。
「なんだ、これ」
画面に書かれている文字を見て織斗が言う。
それは会話文のような、話し言葉の文章が書かれていた。
「近くを飛んでる回線を盗聴して、その会話を文字として映し出してる。未完成だったからところどころ抜けてるし、リアルタイムには映し出せてないけど」
「カミキ……ト、ヤスタ……ヒウ……シュ……メ……ト、カクニン……」
凛の言う通り、映し出される文字は途切れていて分かりにくい。
しかし理解できる単語を集め、織斗はそれが泰鷹に繋がっていると確信した。
そしてもう一人、泰鷹が接触しようとしている人物と、その目的。
「凛……ヤスがどこに向かってるかわかるか?」
「え、あの人? だから、発信機つけてないって」
「違う、広だ」
「広って緋末の当主? なんで?」
「いいから! 広の居場所探せ!」
織斗の怒鳴り声に驚き、凛は慌ててキーボードを操作する。
「でも、緋末の当主の発信機はコウにとられて……そっか、コウ……ダメ、ログインしてない……えっと、緋末の当主……」
「何してんだ、早くしろよ!」
「急に言われても! だって……ちょっと待って……えっと」
「俺につけてる発信機とか盗聴器って、そっちから連絡も出来るのか?」
「え? いや、そっちの音拾うだけで、そういう機能は……」
「次仕掛けるときはそういう機能つけとけ、バカ! 俺の番号はわかるよな?」
「スマホ? 知ってるけど」
「確定したら電話しろ。先に探しに行く」
トランプケースをベルトに差し込み、織斗は部屋の出口へ向かった。
「探すって……待って、当主! 一人で行くの? ていうか、何が起こってるの?」
「自分で解読しろよ! 頭いいんだろ! 咲と結奈への連絡は任せるから!」
バンっと扉を閉めて、織斗は部屋を出て行く。
唖然とその背中を見送っていた凛だが、はっとして画面に向き直った。
「なに……なに?」
カタカタと、キーボードを鳴らす。
画面に映し出される誰かの会話、たくさんの言葉。
その中の必要な文字列を抽出した時、凛は息を呑んだ。
「戦争……え、なに? 神木と緋末の? 死なない程度に殺す……それって、死んでるってことじゃん……緋末の当主、殺されるの?」
そうだ、連絡……と、凛は咲と結奈の番号を開くが、指が震えてキーボードを打つことが出来なかった。
「わたし……私も行った方が……違う、連絡しろって頼まれた。あと、緋末の当主様探して、咲さんたちに連絡……コウ……返事してよ」
項垂れる凛だが、唇を噛んで顔を上げ、再び画面に向き直った。




