第74話 夜景と街の光
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すぐに屋敷に戻るつもりで学校を出た広だが、今朝かかってきた電話の内容を思い出して足を止めた。
『帰宅したらすぐにメールを確認して返信しろ。夜にまた、折を見てこちらから電話する』
京都本家にいる父から言われた言葉。
帰宅しているのに連絡を返さないとなると、何を言われるかわからない。
「面倒くさい」
帰る気を無くし、広は駅前の噴水広場のベンチに腰掛けた。
空が高い、青い。
清澄と表現するにふさわしい空。
ぼうっと天を仰いでいた広だが、目の前に人影が現れたことで正面を向いた。
「こんなところで何をされているんですか?」
太陽を背に、広の顔を覗き込むあやめ。
制服を着たまま、あやめの方も学校帰りのようだった。
「体調悪いんですか?」
「あー、やっぱ、目に見えてわかる?」
「いつもの当主様と比べると月とスッポンです」
「……ちょっと、例えが……よくわからない」
口元を押さえて笑声を堪える広。
あやめはなぜ笑われているかわからず、首を傾げる。
「あやめは? こんなところで何してた?」
「私は少し、買い物を……」
「買い物?」
「咲さんとのプレゼント交換の、お返しを……宝物を、もらったので」
恥じらうように、胸ポケットからかんざしを取り出すあやめ。
糸でくくりつけた先に、ビー玉大の可愛らしい香り玉があった。
あやめがかんざしを揺らすたび、チリンと小さな音を立てる。
「でも、今日は帰ります」
「帰る? どうして?」
「当主様が体調を崩しているので、私も一緒に帰ります」
「いや、いいよ。プレゼントまだ買ってないんだろ?」
「今日無理に買わなくてよいものなので」
「咲へのプレゼントなら早めに贈りたいだろ?」
「そうですが……早く渡さないと咲さんが誰かに取られてしまう……自分がここまで嫉妬深い女だとは思いもよらず富士山が爆発しそうな勢い、それ程までに早く買いに行きたいですが……」
「富士山は爆発しないな、噴火だな。どちらにしても困るから、今日買った方がいいな」
「でも当主様が……」
「早くしないと、咲、取られちゃうかもな」
ピシィッと、あやめが姿勢を正した。
その様が面白くて、広は堪えきれずくすくすと笑った。
「俺のことは気にせずに行ってきたらいいよ。一人で帰れるし」
「当主様、一人で屋敷に戻るのが嫌なんでしょう?」
はっと目を見開いた広が、あやめを見つめる。
今朝の電話を聞かれていた? いや、内容までは知らないはずだが……
「俺、もしかして結構わかりやすい?」
「最近の当主様は、柔らかくなりました」
「柔らかい?」
「以前の私ならきっと、街中で当主様の姿を見てみつけても声をかけなかったと思います。あ、嫌いとかではなく、一人でいたいのだと遠慮して。だけど今は、話しかけていいかそれとも一人になりたいのか、わかるようになりました」
「今は、話しかけて欲しいオーラ出してた?」
「いいえ。当主様が何を考えてるのか全くわからなかったです」
「……ん? え? だって今、わかるようになったって……」
「私が話しかけたいと思ったから、声をかけました」
真剣な眼差しで広を見つめるあやめ。
何も望まない、自分の存在さえも不要だと決めつけていたあやめがここまで自分の意見を通すのは珍しい。
というより、以前なら考えれないことだった。
「大きくなったな、あやめ」
「当主様には到底敵いません。私がスカイツリーなら、当主様は東京タワーです」
「……それ、俺を追い抜いてるからな?」
「……年数的に、当主様の方が私より素晴らしいと」
「フォローになってない」
スパンと言い切ると、あやめが難しい顔をして俯いた。
こんな冗談を言い合えるようになったのも最近、咲が来てからだ。
「あやめって、スカイツリー好きなの?」
広の言葉に、あやめがぱっと顔を上げる。
頬がやや赤く染まり、目が泳いでいた。
「スカイツリーは地上六百三十四メートルのところにありますが、その高さを飛べるのはワシやタカ、渡り鳥と言われていますが地上100メートル程度しか食べないと言われているカラスの……」
「あー、うん、好きなんだな」
「……高いところが、好きなんです」
「高いところ?」
「山登りが、好きなのかもしれません」
「……山登り?」
「そこに山があったら登りたくなるのが、人間という生き物です」
「……あやめってさ、織斗のこと好き?」
びくっと、あやめの肩が大きく跳ねた。
大袈裟なリアクションに、広もつられて体が動いた。
「か、カラスと言えば八咫烏ですが……」
「今そんな話してないけど」
「なぜ今、神木の当主の話を……」
「あー、昨日織斗が山登りがどうとかって言ってて……」
「……し、神話のお話でしたっけ?」
「一ミリも会話に出てないけど。あ、じゃあ街の丘公園も好きだったりする?」
「話がコロコロ変わっていま……高いところは、嫌いではないです」
「お気に入りなんだな。じゃあ今日、夜景でも見に行く?」
「夜景?」
ピタ、っとあやめの表情が止まった。
頬を赤らめたまま、あやめが広を見上げる。一瞬目があったが、すぐに逸らしてしまった。
「あの公園、夜景綺麗だから」
「ですが、夜は神木との……」
「日没は七時だから少しは時間ある……夕焼けになるかな? でも薄暗いから、少しは綺麗だろ」
「いえ、夜景などのロマンチックな場所は……それ以前に当主様、体調は大丈夫ですか?」
「屋敷に帰る方が面倒くさい。大丈夫、ゆっくりして待ってるから」
あやめは口元に手を当てて一考し、広の様子を窺った。
気分転換も良いかもしれないと、決意して顔を上げる。
「それなら、咲さんにも……」
声をかけよう。そう言おうとして、あやめは口を噤んだ。
日没を超すならば夜になる、それは即ち神木と敵対する時間。
「いきます」
顔を上げたあやめが微笑んだ。
最近よく見せる、花が咲いたような笑顔。
「行きます、街の丘公園。当主様と一緒に夕焼けと、街の光を見たいです」
あえて夜景という言葉は使わなかった。
あやめの言葉に、広は頷く。
「じゃあ、また後で」
「はい」
「いってらっしゃい、あやめ」
「…………」
「どうした?」
「あ、いえ……いって、いってきます! あ、違……行って参ります!」
「いってきますでいいよ。気をつけて」
照れたような顔を隠しながら、あやめが踵を返した。
ちらちらと振り返りながら歩いていたが、やがてその背中は人の並みの中に消える。
広は一呼吸し、ベンチから立ち上がった。
「早めに行って寝とこうかな。あそこ、人少ないし」
動くと少し怠さが蘇った。
重い身体を引きずるように、広は街の丘公園を目指して歩く。




