第70話 曇りと陰
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風呂から上がった織斗がリビングに戻ると、咲の姿がなかった。
不思議に思いながらも二階に登り、咲の部屋のドアを開ける。
「……ノックしてね、ちゃんと」
ベッドに寝転んでいた咲は不機嫌にそう言ったあと、着替えを持って部屋を出て行った。
「あ、ごめん……」
確かにノックはすべきだよな。だけど今までは何も言われなかったのに……と、織斗は頭をかきながら咲の部屋を出る。
廊下に出たところで、咲と入れ違いで階段を登ってきた泰鷹と目があった。
「俺、今日、この家でお世話になっていいっすか?」
「え? あぁ、俺は……いいけど」
「じゃあ、今日は夜更かししましょっか」
「夜更かし?」
「さっき当主様の部屋覗いたんすけど」
「……いや、おい、勝手に……」
「ゲーム好きっすよね?」
「え? あー、悪いけど俺、昔のやつが好きなんだ。すげー古くて誰も知らないような……」
「俺もっすよ。すげー昔に発売されたゲーム機、当主様の部屋にあったんでびっくりしました」
「……えっ、出来んの!?」
目を輝かせる織斗に、泰鷹がにやーっと微笑んだ。
*
男の兄弟がいたらこんな感じだったのかも、と織斗は思った。
その晩、日付が変わる頃になっても織斗の部屋の電気は消えなかった。
「すげー! このゲーム出来るってだけでも天才なのにうまいな、ヤス!」
ゲームのコントローラーを握りしめ、画面に釘付けになった織斗が大声で言う。
画面には荒い画像の対戦ゲームの映像。
「俺こそびっくりしましたよ、こんなの未だに出来るやつがいるなんて」
「俺の家、古いもの多いからな」
「あぁ、神木本家だから?」
「あ、これ爺ちゃんには内緒な。父さんの部屋から見つけたやつだから」
「父さんって、先代当主様?」
「隠れてゲームやってたんじゃね? ヤスは? なんでこんな古いゲーム持ってんの?」
「……俺は、昔の時代から抜け出せてないからな」
「なに? 古い時代? ヤスっていま、二十歳だっけ?」
「そうっすよー、敬語使ってくださいね」
「なんでだよ」
ケラケラっと笑った織斗が、泰鷹の肘を突く。
泰鷹は微笑んだあと、再び画面に向き直った。
「妹ちゃんから聞いたんすけど、戦ってるのは夜だけなんだって?」
「あぁ、友だちなんだ、緋末当主と。だから夜だけ敵として戦ってる、建前的に」
「……じゃあ俺は、ずっと夜中にいるってワケだ」
「夜中?」
「うるっさいんだけど!」
顔をあげた織斗だがそのとき突然、スパーンと部屋の窓が開かれ怒声が飛んできた。織斗の部屋は、隣接する結奈の部屋と互いの窓が五十センチの距離もない。
手を伸ばせば届く距離、結奈の部屋から身を乗り出して窓を開けたのは凛だった。
「何時だと思ってんの? 私の部屋まであんたらの声聞こえてくるんだけど!」
凛は先日から、結奈の家に居候していた。
部屋は結奈の向かい側、そこまで声が聞こえたということは、よほどうるさかったのだろう。
「あ、もうこんな時間か……ごめん」
「ごめんじゃないから! ほんとうるさいから! 機械も揺れる勢いだったから!」
「いや、そこまでは……」
「あー、凛! また勝手に私の部屋入ってる!」
結奈の声とともに、凛の顔が窓の向こうに引っ込む。
ちらっと、窓の向こうに結奈の姿が見えた。風呂上がりの、髪に滴る水を乾かさないままの。
「勝手に入らないでって言ってるでしょ?」
「勝手じゃない、ちゃんとノックした!」
「いない時にノックしても意味ないでしょ!」
「だって当主がうるさいから!」
「あぁ、それで……それは同感。ヘッドホンしてる私の耳にも聞こえてくるぐらいだし。お兄ちゃん、何やってんの?」
ひょこっと、結奈が窓から身を乗り出した。寝巻きとして愛用している、ピンク色のお洒落なワンピースを着ている。
胸元が危うくて、織斗と泰鷹は反射的に目を逸らした。
「あれ? ……ヤスくん?」
結奈がさらに身を乗り出すが、「危ないから!」と凛に引っ張られ、顔だけ窓から覗かせた。
「ヤスくん、であってるよね? 久しぶり! 私のこと覚えてる?」
「……あー、うん」
顔を背けていた泰鷹が、仕方なくという感じで振り返る。
「久しぶり、結奈ちゃん」
「わー、本当にヤスくんだ! 昔と全然雰囲気違うね、かっこよくなったね!」
「あぁ、うん。俺も大人になったし」
「え? お前ら知り合いなの?」
「お母さん同士が仲良くてね、小さい頃よく遊んでたの! ね、ヤスくん!」
「……小さい頃……あー、うん、遊んでたな」
結奈と泰鷹の視線が交わることはなかった。身体は結奈に向いているが、泰鷹の目線は別の場所にある。
「俺、風呂入ってきますわー」
突然立ち上がり、結奈に背中を見せる泰鷹。ドアに向かう際に右手を上げたが、はっとしてすぐに手を下げた。
左手で右手の指を隠す様にして、泰鷹は部屋を出て行く。
パタンと扉が閉まったところで、織斗が結奈に向き直る。
「結奈、知り合いなんだよな?」
「え? うん、小さい頃はよくヤスくんの家に遊びに行って……仲良かったんだけど」
「それにしては素っ気なかったな」
「うーん……」
「あんた、嫌われてんじゃない?」
「おい、凛。言葉選べよ……」
「嫌われてたのかな、私。(えー、嘘! なにか……そういえばオヤツの時間、私の嫌いなものをヤスくんの皿に勝手に入れてた……まさか!)」
「ほらみろ、結奈の心の声が面倒くさいことになってる」
「心の声が漏れてることが面倒くさいよね。ていうかあの人ナンバーズ? 私と一緒とか虫唾が走るんだけど」
「凛、言い方……いや、お前、なんで知ってんの? 俺、お前らに何も説明してないよな?」
「…………」
「盗聴器!? 嘘だろ? 毎回思うけど、どこにつけてんの?」
「教えたら盗聴の意味ないじゃん! バカなの、あんた!」
「なんでそっちがキレるんだよ!」
「とにかく! 夜遅いんだから静かにしてよね! これ以上騒ぐと、あんたの部屋のドアノブが常に静電気起きるように改造するからね!」
ガッシャーンと大きな音を立て結奈の部屋の窓が閉まる。しかしすぐに扉が開き、凛が織斗の部屋の窓を閉めた。
ガラガラっと、結奈の部屋の窓を閉める音が聞こえ、「もう二度と勝手に入らないでよ!」「うるさい! あんたがやってるそのゲーム、私が作ったんだけど!」「ありがとう!」などの会話が聞こえてきた。
「静電気は地味につらい……その前に盗聴器……いや、その前に窓閉めてくれてありがとう」
わけがわからなくなって、織斗はため息を吐いてベッドに腰掛けた。
と同時、隣に座っている咲に気がついて悲鳴を上げる。
「う、そだろ? 咲! いつからそこいた?」
咲は正面を向いたまま、淡々と答える。
「泰鷹さんが出て行ったのと入れ違いで」
「えっ? えっ、マジで? 全然気付かなかった」
「気配消してたから」
「……咲、怒ってる?」
「…………」
正面を向いたまま、咲は答えない。
やがてベッドから立ち上がり、ドアの方へ向かって歩き始めた。
「え? あれ? 咲?」
ドアノブに手をかけた咲が、くるんと振り返る。
その顔はやはり、笑ってはいなかった。
無表情でもない、怒りを押し殺しているような静かな表情。
「おやすみ、織斗くん」
「あ……おやすみ、咲。う、うるさくしてごめん!」
バタンッと、普段の咲からは考えられないほど乱暴にドアが閉まる。
「う、うるさかった……かな?」
「かな? じゃなくて、うるさかったわよ、すっごく!」
声に振り返ると、机上にある消しゴムに姫未が座っていた。
ちょこんと可愛らしい手のひらサイズで、ぷりぷりしながら織斗を見上げる。
「姫未……そいえばお前も、居なかったな」
「私がいないことにも気がついてなかったの? どうかと思うんだけど、それ」
「うん、……ごめん」
「謝るなら咲ちゃんに謝れば? すっごく怒ってたわよ」
「やっぱり? 怒ってるよな、あれ」
「また家出されても知らないからね」
「それは……困る……姫未は出ていかないよな?」
恐る恐る尋ねる織斗の言葉に、姫未は首を傾げる。
「私が? どうしてそう思うの?」
「……俺、うるさいから」
「そんなことでは出ていかないけど……」
ふわりと、姫未が机上を離れて織斗の側へ飛んだ。
彼女が宙を舞うたびに緋色の衣がふわふわ揺れて、神秘的で綺麗だった。
「私はいつか、いなくなるわよ?」
「え?」
「この世界を生きる存在じゃないからね、私は。だからいつか、姿を消す」
「でも、千二百年前からずっと神木に寄り添ってるって……」
「私が神出鬼没なの知ってるでしょ? 寄り添うってか、宿縁抗争に干渉してるだけ。戦いが終われば姿が見えなくなるし、気まぐれで神木のそばを離れたりもする」
「なんだそれ、従者って言葉の意味ねーじゃん」
織斗の言葉に、姫未は「ふふっ」と意味を含んだ笑みを見せた。
戦いが……この戦いが終われば。
星を見ようと約束した夜は、随分前のことのように感じた。




