第四話 猫パンチ
「送ろうか? 家まで」
その言葉に、咲は目をキラキラさせて広を見上げた。
無邪気なところがやはり、兄に似ている。人を疑わない、警戒心のなさも。
「いいんですか?」
「そうするしかないだろ。場所は知ってるから問題ないし」
「場所知ってる? 知ってるんですか?」
「中学まではよく遊びに……散歩して遊んでたから、なんとなくわかる。住所教えてもらっていい?」
「なるほど。住所なら覚えてます」
聞かなくてもわかるけど。という無駄な一言はいわず、広は咲が告げる住所を聞き流して歩き出す。
名前を尋ねられたとき、緋真の苗字は名乗らなかった。この少女はきっと、緋真と神木の関係を知っている。
「広さんですね」
「呼び捨てでいいよ、敬語も。同じ年だし」
「え? 広さ……広って何歳?」
「……九月に、十七になる」
「本当だ、同い年。私はもうすぐ十七だから」
人見知りしない、初対面の人にも好かれる愛想の良さ、顔つきも似ている。
だけど広の得た情報が正しいなら、神木本家の妹がこんなところにいるわけがない。
「探り入れるか。その前に……」
聞こえないように呟き、広は後ろを振り返った。数歩遅れたとこを無邪気についてきていた咲がキョトンと首を傾げる。
次の瞬間、咲が身を引いたが判断が遅かった。
広が咲の両手首を掴み、壁に押し付けた。抵抗しようとする咲だが、握力では敵わない。リストバンドの中に隠している針を取り出すのも困難なほどに、身動き出来なかった。
「いま、どういう状況かわかってる?」
「っ……」
足を振り上げようと動いた咲だが、その前に広が手を離した。
勢いづいた咲が転びそうになり、広が腕を掴んで支える。
「ごめん。でも、やばいって思ったよね?」
「え?」
反撃しようと針を取り出した咲だが、広の顔を見て動きを止めた。
ついさっき咲を拘束したときの、敵の表情とは違う。夜道を散歩していた時の穏やかで優しそうな顔、漆黒の瞳が咲を見つめる。
「都会では、ていうか普通に今の時代、知らない男に気軽についていかない方がいいよ。俺がやばいやつだったら取り返しのつかないことになってた」
「こんなことになるよって、教えてくれたってこと?」
「現に今、困った状況になってただろ? 世の中いい人ばかりじゃない……え?」
説教を続けていた広だが、咲の目からツゥーと涙が落ちたのが見えて言葉を止めた。
涙を隠すように、両手で顔を覆う咲。
しまった、やり過ぎた。いつも同じように、緋真家で当主として振る舞っているように接してしまった。
謝るが咲は顔をあげず、広はますます混乱する。
「警戒心なさすぎるから忠告しようと思ったけど、実践すると俺が不審者みたいになるよな。いや俺が不審者だったな、ごめん。でもマジで気軽に夜道歩かない方がいい、俺が言える事じゃないな、けどあやめはしっかりしてるし、でもよく考えたら夜道だよな。あ、今話してるのは家の同居人の事で、俺が保護者みたいな感じだから父親がんばらないとって見張って、そしたらまた不審者みたいになるから……」
「ふふっ、不審者言い過ぎ」
ふふふっと、咲の指の隙間から笑い声が漏れる。手のひらを外した咲の目には涙が、顔には笑みが戻っていた。
「しかもその時歳で父親って」
「あ、本当の父とかじゃなくて保護者だから」
「広って、混乱すると変なことしたり言ったりする人?」
「……少し前にも、同じこと言われた」
「いいね、楽しい」
ふふふっと、口元をおさえて咲が笑う。
「ごめん」と再度謝る広に、咲が一本近づく。
広からは見えない場所で拳を握り、力を込めて振り上げようとした瞬間、広が咲の手首を掴んだ。
「……殺気、感じた?」
広は気まずそうに視線をそらし、咲の手を離す。
「なんとなく、腹部を殴られそうな気がした」
「広って、武術か何かやってる?」
「家族の人たちと、模擬戦……的な? ことはしてきた」
「模擬戦?」
「俺の家、ちょっと厄介だから」
「広は都会の中でも強い部類に入るの、かな?」
「……体育の授業は、人並み以上に出来る。力抜いてやってるけど」
「よかった。たいていの人が広より弱いなら、今の状況になっても私は逃げれるよね」
「えっ、いや、それは……」
「大丈夫、気をつける」
広の言葉を遮って咲が言う。
「嘘じゃないよ、さっきの。やばいって思って、びっくりした」
「ごめん……やっぱり殴っていいよ」
両手を掲げる広。
咲は軽く俯き、広の手のひらを小突いた。
緩く握った拳で柔からに、にゃんと可愛らしい鳴き声が聞こえてきそうな。
「猫パンチって知ってる?」
「……受けたのは初めてかも」
「掴まれた腕が痛かったし涙は出たけど、忠告してくれる優しさは嬉しかったから、これで相殺、かな?」
「……改めて、家まで送っていいかな? 今度はないもしないから」
「……なにもしないなら」
冗談に笑い合い、今度は隣に並んで歩き出した。
神木宅の前で咲が「街の光が綺麗だった」と言い、「なら夜景見にいこう」と、明日また会う約束を交わした。
街の丘公園に、夜八時。
「……情報引き出すつもりだったのに、普通に話してしまった」
振り返るが、咲の姿はもうなかった。
まぁ、明日また会えるしいいかと、広は一人歩き出した。
空を見上げると星が、以前ほどではないが輝いていた。




