第一話 手のひらサイズの和装美少女
電車に乗り込んだ織斗は窓にもたれて目をつむり、現実逃避しようとした。
しかしどうにもうまくいかない。辺りを見渡しながら電車を降り、改札を抜けたところで立ち止まってトランプケースを眺める。
「夢だったのかも……そうだな、夢だな! いてっ」
立ち止まる場所が悪かった。後ろを歩いていた女性が織斗にぶつかり、トランプケースが音を立てて地面に落ちた。
「あ、すみません」
ケースを拾いながら謝るが、相手の女性は織斗を睨んだだけですぐに去ってしまった。
モヤモヤした気持ちを抱えたまま、逃げるように駅舎を飛び出す。
変な汗をかいたせいでひどく疲れた。織斗は帰路に誰もいない公園を見つけ、休憩がてらベンチに座掛けた。
ズボンのポケットを探ると、トランプケースの硬い感触があった。
「どうしよう、これ。どこかに捨てて……いや、捨てたはずのトランプがいつの間にか手元にって展開の方がホラーだよな……どうしよう」
トランプを握りしめ、試しにとケースをスライドさせてみる。
「ねえ、ちょっと! 酷いよね!」
そして、すぐに後悔した。
現実に、いま、目の前に、先ほどの和装少女がいた。ぷかぷかと宙に浮き、織斗の鼻先を小さな指で突いてくる。
「吐くかと思ったんだけど!」
「……うん、未遂に終わってよかった」
カチッと、トランプケースを閉じる織斗。
しかし少女の姿は消えず、しばらく見つめ合った。
「……なんで消えねーの?」
「当たり前でしょ、さっきのがイレギュラー! 封印術でもない限りもう私を閉じ込める事できないからね!」
「封印術?」
「……あんた神木の当主よね? トランプとか私のこととか、知らないの?」
「は? カミキノトウシュ? え、誰? どなた様?」
織斗の返答に、少女は信じられないという風に目を見開いた。
「うーん」と小さく唸り、やがて諦めたように肩を落として織斗の肩に腰かける。
ちょこんと愛らしく、膝丈の和服スカートを両膝で揃えて。
「トランプの使い方はわかる?」
「わかるし、ババ抜きが好き」
「ババ……そうじゃなくて! 術の使い方!」
「術? あぁ、手品?」
「馬鹿じゃないの! あーもう、実際やってみなさい! ハートの3出して」
「ハートの3?」
「そのナンバーを頭に思い浮かべながら、ケースからカードを取り出すの」
「ハートの3、ハートの3、ハー……」
「声に出さなくていい! かっこ悪い!」
「…………」
なんだこいつと思いながら、織斗は無言で一番上にあったカードを取り出した。
ナンバーは少女が指定した、ハートの3。
「じゃあ攻撃したい方向に数字を向けて、『解印』って叫んでみてくださーい」
「なんか馬鹿にしてね? 言い方が……」
「馬鹿でしょ、実際。いいからほら、やってみて」
「……かいいん」
トランプを天に向けて呟くと、そこから炎が飛び出した。
手品のように火柱を吹いたトランプだが、しばらくして炎と共に消えてなくなった。
「なに今の……火が」
明らかな動揺を見せてトランプを見つめる織斗。
和装少女が愉快そうに、くすくすと笑う。
「普通のカードが攻撃、相手の体力を減らしてジョーカーで封印。ゲームみたいでしょ?」
織斗は答えず、頭の中にジョーカーを思い浮かべた。
このトランプのジョーカーの絵柄がなにかわからないが、一般的にはピエロとか……一枚取り出すとやはり望んだナンバー、笑うピエロが印刷されたジョーカーだった。
「ピエロの面を相手に向けて、『封印』って唱えるの。そうだ、相手はいないけど、いまやってみる?」
「は?」
「対象がいないと不発に終わるんだけどね。キラキラして綺麗だから、試しにやってみていいよ、あ、私に向けてやらないでね?」
織斗は言われるがままに、トランプを掲げる。
「ふういん……あっ」
しかし公園の入り口に人の姿が見えて、慌ててトランプを裏返す。
呪文は口にしてしまっていた。故に、ジョーカーから飛び出した白い光が織斗に向けて放たれた。
「うわっ、え? なに?」
眩さに、織斗は目を閉じる。手に持ったままのトランプから、微かな振動が伝わってきた。
再び目を開けると、きらきら光る粒子が織斗の周りを飛んでいた。
「あれ?」
肩に乗っていた和装少女はいない。
首を傾げてトランプを見つめ、鞄の中を探る織斗の足元に、黒い靴が歩み寄った。
「こんにちは」
顔を上げると、織斗の座るベンチのすぐ前に二十歳前後の女性が立っていた。
艶のある黒髪ボブ、肌は透き通る様に白く、鋭い目つきは美人というに相応しい容貌。
「こ、んにちは」
返事をしつつ、頭の中で知り合いの顔を思い浮かべる。
間違いない、知らない人だった。
女性はにこやかに微笑み、織斗に向けて話を始める。
「先日、祖母が亡くなりました」
そう語る女性の格好は黒のスーツスカートに同じ色のパンプス、なるほど喪服かと納得させられた。
「私の母は育児というものが苦手で、物心ついた時には祖母と暮らしていました」
「あ、へぇー……」
急になんの話だろうとは思ったが、話を遮れる雰囲気ではない。
織斗はトランプケースをポケットに収め、女性を見上げる。
「女で一つで私を育ててくれた、優しい祖母だったんです」
「あ、俺と同じだな。親いなくて、爺ちゃんと二人暮らし……」
「優しい人でした。私は幸せで、大好きでした」
だが女性は織斗の話を遮り、自身の身の上話を続ける。
これは、話を聞かないというか、おかしなタイプの人だな。と織斗は唇を結んだ。
面倒くさいが、ベンチの前にいるので立ち上がることもできない。
「最後の一年、祖母は様々なことを忘れ、若かりし頃の自分に戻っていました。そして私に言うのです。戦いで、初恋の人を亡くしたと」
女性は瞳を閉じ、胸に手を当てて深呼吸した。
「この戦いが終わったら共に生きよう、そう約束したのに……それが彼の最期の言葉だったそうです。わかります?」
「え? あ、あぁ……えーっと」
「敵を憎み、その恨みを私に託しました。祖母は享年六十五です。わかります?」
「え? ……何が?」
「第二次世界大戦は八十年以上前の出来事ですよね?」
「え? あ、そうだっけ?」
「私、祖母の遺言に従って、復讐にきたんです。遺言の内容はこうです」
女性がポケットに手を入れる。
遺言状が出てくると思って彼女の手元を見つめていた織斗だが、予想は外れた。
女性の手には押し花の入った栞と、小瓶に入った赤い液体。
「……血?」
なぜだがそれが、絵の具ではなく血だとわかった。
いやいやまさか、でも……と考え込む織斗。
そうこうしている間に、女性は小瓶を持っている手で栞の裏側を撫でた。
栞の裏側には、青色で模様が描かれていた。織斗のトランプに似た模様の絵柄。
「死の直前、祖母は私の事を思い出しました。目を見て、こう言ってくれたのです。お前の代で、復讐を果たしてくれと。神木一族を……その長である、神木当主を倒せと」
女性は小瓶の蓋を開け、液体を栞へと滴らせた。血が栞に落ち、血の色に染まっていく。
「勝手な真似をしてごめんなさい、当主様。術力、お借りします……解印」
女性が呟いた途端、手に持っていた栞がバラバラと砂のように崩れ落ちた。その粒子が女性の体を包み込んで白く発光する。
わけがわからず茫然とする織斗だが、次の瞬間、息を呑んで目を見開いた。
織斗が座っているベンチが、真っ二つに割れていたのだ。切れ目には先程の女性の腕……が、変色したもの。
艶やかだった黒髪はボサボサに爆発し白い肌は薄黒く変色、美しく輝いていた漆黒の瞳には、もう何も映し出されていない。
「えっと……さっきまで俺と、お話ししてた方ですか?」
『ヴァグゥ!』
返ってきたのは獣のような唸り声。
ガンッと、蒼白く変色した女性の拳が織斗の顔の横、ベンチの背もたれの木板を派手に突き破る。
「壁ドンとか昔流行ったよなー。意外と激しいな、これ……嘘だろ!」
織斗は鞄を抱え、女性の脇をすり抜けて公園の出口まで走る。
振り返ると、木板に手を突っ込んだままの女性の顔が、ぐるりと織斗に向いていた。
胴体は、織斗に背を向けたまま。
「身体の角度、おかしいから。体操選手でもそんな柔らかくない……人間、じゃないよな?」
恐る恐る尋ねると、今度は身体ごと女性が織斗に向き直った。
「えーっと……人間じゃないとか言ってごめん! 嘘じゃないけど嘘です!」
ぴゅんと、公園を出て行く織斗。
だけど当然のように、女性は織斗を追ってきた。
「マジか、マジか、マジか! 嘘だろ、なにこれっ!」
プロの陸上選手と張り合えるレベルの脚力を持つ織斗だが、全速力を出しても女性を引き離せない。
わけがわからず住宅街を走り続ける。不思議な事に、不思議な事に、逃げ回っている間は誰ともすれ違わなかった。




