第112話 正解か不正解か
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雨が降る、街の丘公園。時計の針は短い針が十、長い針が五を差していた。
薄暗いが闇ではない、午前十時五分。
「傘を持ってなかったんだ、あいつ……二年前の、あの時から」
空を見上げながら、広が言う。
「ずっと素直で従順で、緋末の誰よりも俺に尽くしてくれた。そこまでしなくていい、もういいって言っても聞かずに……咲が来てからはちょっと変わったな。自分のパンツくらい自分で洗ったらどうですか、もう高校生なんだからって……いやいや俺、ずっと自分でやるって言ってたから。なんで怒られてんのって呆然とした。でもいざとなるとわかんなくてさ、洗濯機の中に固形石鹸入れてすごい怒られた……料理も、いやそれは俺よりあいつの方が下手で、オムライスもだけど鯛めしには普通に骨が入ってた。よく聞いたらボディーソープで米洗ってて。洗剤も石鹸も違うからって、ソープを日本語に訳してみろよ英語得意じゃなかったのかって……」
矢継ぎ早に喋っていた広だが、途中で項垂れてポケットに手を入れた。
カチッと雨の音の合間を縫って、トランプケースの開閉音が織斗の耳に届く。
「俺の寝起きが酷いの、知ってるよな?」
「……え? あ、あぁ……」
「見ただろ? あやめなら上手に起こしてくれるんだ。夢現を彷徨うことなく、すぐに、夢から現実に連れて行ってくれる。指を十五度で家電を叩くイメージ? 最初に聞いた時は驚いて、笑うことすら出来なかった……あの時、俺、恥ずかしくて顔を背けたんだ。俺の顔を見て、楽しそうに、笑ってくれてたのに……ちゃんと、話することができなかった。今なら絶対、笑えるのに。もっとマシな言い方ないのか、酷いなって、笑って、一緒に……」
俯いていた広が、さらに首を下げる。
織斗からその表情は見えなかった。
雨の音で、小さな泣き声は聞き取れない。
「不平等だと、そう思うか?」
広の質問の意図がわからず、織斗は答えず黙っていた。
広が、補足を加える。
「お前に、神木に対して何人も刺客送り出して、そいつら封印されたのに。ずっと見過ごしてそれどころか昼は普通に高校行って楽しく過ごして……自分勝手にやってきたのに今さら、ただ一人がいなくなっただけで、ようやく真剣になって返して欲しいだなんて……不平等だと思うか?」
「…………」
詳しく言われてもやはり、答えることは出来なかった。
織斗の頬を、雨が伝った。
暖かい水がツゥーっと、冷たい感触に混じって。
答えれない。
答えれるわけがない。
だって同じだから。
見過ごしてきたというならば、緋末当主と自分は、同罪だから。
「終わらせよう、織斗……あの選択は間違っていた。俺たちは、友人として過ごすべきじゃなかった」
カチカチ、という開閉音。
降り注ぐ雨の音。
目を閉じて下唇を噛む織斗が、ベルトに差し込んでいるトランプケースに指を置いた。
「咲にさぁ、言われたんだ」
目を閉じたまま、織斗が言った。
広は顔を上げない、俯いたまま、織斗の話を耳に入れる。
「俺はキラキラ輝いてて、明るい方へ進んでいける。俺の選ぶ未来には正しい選択肢があるって……なぁ、広。俺らの選んだ道、間違ってたのかな?」
織斗は目を開けて、広の姿を見つめた。
少し痩せただろうか?
寝ていないのだろう。
だって眠ったら朝が来るから。起きなきゃいけないのに、起こしてくれる人がいないから。
一度眠ってしまったらもう、現実には戻って来れないから。
「でもな、広、俺もう二度と、咲を嘘つきにしたくないんだ」
その名前に、広の体がぴくっと動いた。
しかしやはり、顔は上げない。
「かえりたい、あの時に戻れたらって俺だって思うよ。そしたら絶対、助ける。だけど、そんなことできないだろ? 人生にやり直しがきくなら、失ったものを簡単に取り戻せる、過去に戻れるならもうそれは、人間じゃないんだよ」
「だから前に進めって? 前だけを見て、過去を振り返るなって? 織斗らしいな……前だけしか見てない、楽しい未来だけしか見てない単純馬鹿だ」
「羨ましいか?」
「あぁ、羨ましいな。馬鹿すぎて……生きる痛みを知らないお前が、羨ましい」
「そうか。俺も羨ましい」
「は?」
「辛い悲しい、あの頃に戻りたいって……素直に泣ける、人の痛みがわかる広が、羨ましい」
バラバラと地面に、神木の印が記されたカードが落ちる。
織斗はそれを目線だけで追い、印を唱えた。
「解印」
ダイヤが宙を浮き、ガードするように織斗の周りを取り囲む。
左手には炎、足元のクラブで地面を弾いて、ベンチに向かって飛んだ。
「…………らしくないな」
ぽそりと呟いた広が姿を消した。
炎を纏った織斗の拳はベンチの木板を貫き、ボッと火を上げて一瞬燃え上がった。
織斗はすぐに踵を返し、気配を確かめる。
が、声が聞こえたのは予測したのと反対の方向だった。
「力づくで解決か? ……らしくない」
「……っ」
織斗の真後ろにいた広が、日本刀を振りかざす。織斗は地面に置いていたクラブで蔓を出し、自分の足首を引っ張った。
間一髪、刃を避ける。
しゅんっと頭上を通る日本刀の刃が、織斗の髪を数本切り落とす。
「解印、解いんっ!」
バラバラと地面に落ちるトランプのカード。
織斗の印とともに炎が吹き出しては雨に消される。
「どこ狙ってる?」
しかしやはり、声は背後から聞こえた。
今度は避けない。
ダイヤのカードで、織斗は日本刀の刃を受け止めた。
トッ、トッ、と雨が地面に落ちる音の間に、キィンと刃物の擦れる音。
広の振りかざした日本刀を、織斗の短刀が防いでいた。
「……成長したな、たしかに」
「強くならないとって、思ったんだ」
押し返される刃、踏ん張りながら、織斗は話を続ける。
「俺さ、弱いじゃん? 遼馬の時だってみんながいなきゃ絶対、勝てなかった。優勢になったのも結局、広が来てからだし。俺一人じゃ絶対、何も出来なかった」
「……だろうな」
「あのとき勝てたのは、咲や広、あやめと結奈……はあんま活躍してねーな、ブラックか。とにかくみんながいたからで、一人でも欠けてたら負けてたかもしれない。だからもし今、あの時の状況になったら俺、勝てねーわ」
「は?」
「もし俺が弱いまま、またあんなやつが現れたら絶対負けると思うから、強くならなきゃって思った」
「……意味がわからない」
「だから、あの時と状況が違う……」
キィンと刃の擦れる音が園内に響き、織斗と広は互いに後ろに飛んだ。
およそ五メートルの距離をとって、向かい合う。
雨が降っていた。
地面を打ちつける音がうるさい、前が見えなくなるほどの。
だから、織斗は声を張り上げる。
「一人欠けたじゃねーか!」
織斗の声に、広の目が微かに動いた。
「わかってるよな、広……あやめはもう、いない」
「……なに、言ってる?」
「后が言ってた、『当主様は夜の闇の中にいる』って。あの日からずっと寝てない。寝たら起きないといけない、たけど起こしてくれる人がいないから……いないという現実を、突きつけられるから。だから当主様は闇の中から抜け出せないって」
「それを、后が言ってたのか?」
「后だけじゃない! 緋末のやつら、みんなが言ってる!」
「緋末の……やつら?」
「家族だよ、お前の! あの日からずっと、話しかけても振り向いてもらえない、見つめ返してもらえないって」
「どうしてお前が、それを知ってる?」
「聞いたから!」
「聞いた?」
「緋末のやつらに、広の家族に聞いた! そんで頼まれた、助けてくれって……当主様を、起こしてくれって」
「起こすって……」
深くため息を吐いた広が、再び顔を上げた。
「夢か……そうか、これ、夢か……」
「違う! 今は現実だ」
「どこかでさ、迷子になってると思うんだ」
「広!」
「そうなんだ、俺、あやめがいないと起きれない。目覚まし時計になりますって。あの日から欠かさず、起こしに来てくれた……傘をさ、持ってなかったんだ。うちに、緋末に来た日も母親の傘の下で、背中と左肩が濡れてた。俺なら、俺が傘を差したらそんなことにはならない。絶対に守るってそう思ったのに……」
「守ればいいよ、これから!」
「あぁ、そうだな。迎えに行ったほうがいいのかな。帰って来ないんだ、あやめ」
「違う! 広がこの先、傘を差し出すのは別のやつだ! この先の人生で、大切だと思う人を守って、迎えにいけ!」
「なに言ってる? いま俺、あやめの話してるんだけど?」
「だから! あやめはもういない、死んだんだよ!」
「…………なに言ってる?」
「見ただろ、あの時! お前が抱きかかえて、最期看取ったじゃねーか! 病院に着いた時には心臓も止まってた、お前の腕の中で死んだって」
「あぁ、そっか。病院にいるの? 怪我でもしたのか?」
「緋末の家臣達は馬鹿だから、お前を甘やかして本当のこと言わねーから、俺が言ってやるよ! あやめは死んだ、もういない! 死んだんだよ、あの時!」
「死んでない! 知らない、俺は知らない……あれは夢だった、あやめはまだ、この世界にいる!」
雨の音に混じって、カチッとトランプケースのスライド音。
「目を覚ませ、広」
織斗の呟いた声は雨に消されて、未だ、広に届いていなかった。




