第111話 雨が降る
*
日はまだ暮れていないのに、窓の外は薄暗かった。
「雨、降ってんのか」
神木家、自室の窓から外を見下ろし、織斗が呟いた。
『仕掛けた爆弾の処理してから帰ります』
そう言って一人、屋敷に残ろうとした后に織斗たちは付き合った。
他の人たちにも連絡しておく、と席を外した后。
しばらくして戻ってきた后の背後には、織斗の知ってる顔も含め大勢の人間がいた。
『このような形でははじめまして、神木の当主様』
その中の一人が、織斗に言った。
漆黒の瞳で、織斗を見つめながら。
*
「……疲れたな」
緋末家での出来事を思い返し、織斗はベッドに寝転んだ。
髪を乾かしていない。
カーテンも閉めないと。
「ゆなー……いない、よな」
返事があるはずがない。
向かい合う窓、結奈の部屋に明かりは灯っていない。
「みんな居なくなってくな……」
結奈に広、あやめ。
姫未は一体、どこに行ってしまったのだろう。
いや、一人ぼっちではない。
咲と凛は帰ってくる。
日が沈む頃には、夜になれば帰ってくる。
「そういえば、后どうすんだろ? ここで暮らすんなら、部屋空けとかないと……」
だけど面倒くさくて、全部明日でいいやと織斗は目を閉じた。
目が覚めたら世界が、なんてもう思わない。
願うことは、もし叶うのならば……
朝起きたら、手のひらサイズの和装少女が枕元にいますように。
次に目を覚ますと、世間は朝を迎えていた。
窓の外は相変わらず薄暗い。枕元の時計で、今が午前九時とわかっただけ。
「時計買い直したんだよな、姫未に壊されたから」
重い頭を押さえ、織斗は腰を上げる。
そこで、薄い毛布が身体にかかっていることに気がついた。
「……咲?」
織斗のちょうど腰辺りに、咲の顔があった。床に座ったまま、ベッドに腕と顔だけを乗せて眠っている。
少しだけ空いた唇から、微かな寝息が聞こえて来た。咲の左手が握っているのは、織斗の右手。
寝づらいだろうと思って手を離そうとするが、繋いだ手は離れなかった。
織斗は諦めて、咲の寝顔に寄り添う。懐かしさを感じるのは、産まれる前、母のお腹の中にいた時もこうして寄り添っていたからだろうか。
「あれ……? 織斗くん、起きてた?」
五分ほど経ったところで、咲の目が開いた。
織斗の手を握るのと反対の手で、目を擦る。
「ごめんね、私、寝ちゃって」
「いや、俺の方が寝てたし。ていうか、咲の方が寝てないだろ?」
「寝たよー、今寝てた」
「明らかに睡眠時間足りてないだろ? 身体痛そうだし。いつからここにいた?」
「うーん、明け方くらい、かな」
「明け方って、マジでほとんど寝てない……そんな時間までなにしてたんだよ?
「んー……うーん……」
背伸びをしようとした咲が、繋いだままの右手に気がついた。
ぴゃっ! と、思わず手を引っ込める。
「ごめ……あの、手……」
「あぁ、繋いで寝たんだろ? 咲、手痛くないか?」
「わ、私は大丈夫だけど……織斗くんが」
「俺はなんともないよ。それより咲が……」
「あのね、織斗くん! お話があります!」
「え? あ、はい」
ベッドの上で正座になる咲。
つられて織斗も座り直し、膝を合わせて向かい合った。
「わたし……私はね、織斗くんのこと大好きだよ!」
「……ありがとう……え?」
「あぁぁ、違うの! そういうことじゃなくて!」
「違う?」
「違うことはない! そうじゃなくて……えっと、そうだ、お出かけしよう!」
「…………はぁ?」
意味がわからず首を傾げる織斗と、わたわたと手を動かして言葉を考える咲。
咲の顔が真っ赤に染まっていた。
「あのね、織斗くん……私、嘘つきだけど、肝心なとこで嘘はつけないの」
「別に、咲が嘘つきだなんて思ってないけど」
「だって名前とか、術のこととか」
「それは仕方なくね? 行方眩ませたいとか、本当の名前呼ばれるの怖くなったとか、理由があっただろ? 術に関しては嘘ってわけじゃねーし」
「ふわぁぁあ、織斗くん優しい!」
「……どうした、咲。熱でもあるのか?」
ピタッと、織斗が咲の額に手のひらを当てる。
咲は軽く俯き、されるがままになっていた。
「体温は別に、いつも通り低い……」
「あんたら、なにいちゃついてんの?」
突然の声に、織斗と咲の身体がびくぅっと跳ねる。
二人同時に振り返ると、ドアのところに凛が立っていた。
「おま……びっくりさせんなよ、凛!」
「びっくりしたのはこっちだから。起きたっぽいから様子見に来たら兄妹でいちゃついてるし」
「いちゃついてない!」
「そ、そうだよ、凛ちゃん……いちゃついてなんて……」
しどろもどろに言い訳する咲だが、凛に睨まれてぴゃっと萎縮し言葉を止めた。
「どうでもいいけど。当主さ、お出かけしてきたら?」
「は? お出かけ? ……は?」
「行きたくないならそれでいいけど。絶対、行きたがると思うよ、当主は」
「……はぁ?」
怪訝そうな声を出す織斗に、凛がスマホの画面を見せつけた。
「街の丘公園のベンチ。当主の足なら間に合うと思うから、今すぐ行って……この戦争、終わらせよう」
*
街の丘公園に向かいながら、織斗は先ほどのことを思い返していた。
凛を責めた、なぜ早く言わなかったのかと。
咲に尋ねた、知っていたのかと。
『寝かせといた方がいいと思って。体調万全にしとかないと死ぬことになるから』と、凛。
『私は正直、迷ってる』と、咲。
『どうする? 行く?』と、二人の声が重なった。
「行くに決まってんだろ……迷う事なんてない……大丈夫、俺が選んだんだ。安心してサポートしてくれ、咲」
声が届いたかわからないが、織斗が呟いた。今はそうでもないが、雨が降っていたのかもしれない。
水溜りを踏んで水を弾きながら、織斗は街の丘公園へと走った。
すれ違う人が時折、織斗に振り返る。それほどまでに速く、傘も差さずに走っていた。
公園へ続く階段まで来ると人はいなくなり、織斗は五段飛ばしで階段を登っていく。
頂上にはすぐ着いた。
相変わらずひと気のない静かな公園。
人影は、ベンチに蹲る一人の姿のみ。
その姿を捉えたところで、織斗は体力を温存しておくべきだったと後悔した。
ゼーゼーと鳴る呼吸を何とか整え、一歩、ベンチに歩み寄る。
小雨が鼻にぶつかる……と思ったら、それは急に激しい音を立てて勢いが強くなった。
空は灰色で、太陽は見えない。
「…………」
視線をベンチに戻すと、そこにいた人物もまた、上を向いて空を眺めていた。
目に映る景色は同じはずだが、織斗とは別のものが見えてる。そんな感じだった。
「雨、降ってきたな……」
ぽつりと、その人物が呟く。
織斗は唇を噛み、目を閉じた。
大丈夫、いや、大丈夫なわけない。
頭の中で繰り返す言葉は無意味で、再度、目を開けて現実を見つめる。
ベンチには、織斗が見ている現実を、その目で捉えていない男の姿。
「あいつ、傘持ってないと思うんだ。どこかで雨宿りしてるといいんだけど……なぁ、織斗……あやめ、見かけなかった?」
「お前だって傘、持ってないだろ……広」
ザァァァアと打ちつける雨が、織斗と広の顔を濡らした。
前髪に滴る雨が、地面に落ちる。
「帰って来ないんだ、屋敷に。こんな夜遅くに……どこいるんだろう」
再度、空を見上げながら、広が言った。




