第110話 緋末当主になった日、家族になった
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あの日は、雨が降っていた。
中学の修学旅行の帰り。
鞄の奥底には、行方知らずになっていた緋末のトランプ。
「バレてない、バレてない……」と呟きながら、広は屋敷へと続く一本道を歩いた。
信じられなかった。
トランプのことは、術のことは知っていた。
緋末はそういう家系だと。
その力でここまでと富と権力を築き上げてきたと。
唯一、トランプの行方と共に曖昧になっていた敵一族の情報。
『ヒロさぁ、神木の当主と仲良いよね?』
緋末の従者を名乗る、薄紫の直垂を着た少年。
『大丈夫だよ。ヒロが封印を解いた、術力を手に入れたことは誰にも知られてないから。向こうの当主が封印を解くまで、緋末一族には敵の正体がわからない』
隠し通せば? と、時雨が言った。
いくら先代当主、広の父である緋末孝幸でも、封印を解いたことはわからないと。
『神木と友人関係を続けたいなら、トランプを手に入れたこと隠すしかないよね? まぁ、当主の座はしばらく譲ってもらえないけど』
どうでもいい、そんなこと。
当主の座? むしろ要らない、そんなもの。
物心ついた時には、実家が、京都本家が嫌いだった。
血を守れ、成した子を管理しろ。
親族を家臣と呼び、その命は本家の、当主の為に在る。
広様、広様と、食事も一人で満足に出来ないような乳児の頃から敬われ、嫡子ゆえ父からは厳しく躾けられた。
『春からは、東京分家にいってもらう』
ランドセルが完成した日、父に会いにいくとそう告げられた。
『向こうで立派に、家長になってこい』と。
入学式も卒業式も、イベント事で父の姿を見たことはない。
無愛想で笑わない子、綺麗な顔をしているのに。
誰かの母親たちが、コソコソと話をしているのが聞こえても、無視して歩いてきた。
だから、友達ができた時は、
親友と呼べる存在の織斗が現れた時、
世界が変わった。
このままずっと、大人になっても互いに結婚してもたぶんずっと、家族ぐるみの付き合いで……
そんなことは出来ないと、その時は思ってもみなかった。
「織斗が敵? 神木一族? あの神木? …………はは、ははははっ」
世界が一変した。
光から闇に。
太陽が差す青空が、曇り空に、雷雨に変わった。
ピカッと光ったあと、ゴロゴロと遠くで雷が鳴った。
「……誤魔化そう、俺は当主じゃない」
傘なんか持ってなかった。
修学旅行中は雨は降らない、快晴だと聞いていたから。
嘘つきだ、天気予報の人も。
大吉を引かせてくれた神社の神様も、
狂った人生も、
緋末に生まれてきたことすらも、嘘にしたくて。
重い鞄を放り投げて、一本道を走った。
誤魔化そう、嘘をついておこう。
俺は当主じゃない、まだ……
今はまだ、普通の人間で、緋末広でいたいから。
*
森を抜けて第二の門へ辿り着くと、見慣れない後ろ姿が二つあった。
屋敷への来客は基本、緋末の血族しか許されていない。
どうしてもというなら当主である父の許可を得て、東京分家の長への報告をしなければならない。
東京分家の長、つまり俺、緋末広のことだ。
見慣れない後ろ姿、来客二人を囲う家臣たち。
なにか問題が起きたのかと歩み寄ると、家臣の一人が俺の方を向いた。
「広様! おかえりなさいま……どうなされたのですか、傘は?」
別の家臣が慌てて傘をを差し、その下に俺を入れる。
まずは中にと背中を押されるが、門を潜る前に来客の女に腕を掴まれた。
「あなた、偉い人なの?」
薄い化粧を施した三十代半ば程度の女性。淡い茶色で染めたストレートの清楚な髪に、華奢な体躯。見窄らしい服を着ているが、わざとだろう。
貧相を演出するために、同情を得るためにその格好をしている。
そうでないとこんなに、髪に艶は出ない。
普段から整えていないと、肌はこれほどまでに綺麗にならない。何より、異様に長い爪は綺麗に塗られ、ギラギラのラメが施されている。
頭が悪いな。
それしか思わなかった。
家臣が女を押さえるが、彼女は床に這いつくばり、俺に声をかけ続けた。
曰く、短くまとめると、
『緋末本家の次男(つまり俺の叔父に当たる人)との間に子どもができていた。彼と連絡がつかず一人で育て上げたが、やっと見つけた。こんなに立派な家の人間だったと知らなかった。養育費を払え』
「知るか、馬鹿」
心の中に留めておくはずだったのに、声が漏れてしまった。
周りの人たちも驚いたようで、ポカンと口を開いて俺を見つめている。
「……ふふっ」
その静寂の中、雨の音に混じって笑声が響いた。
一同の視線が、そちらに向かう。
艶やかな黒の、長い髪の少女がそこにいた。
口元を緩めて微かな笑みを浮かべていた少女だが、全員の視線に気がついて表情を消す。
「あやめ! なに笑ってるの!」
パァンと、雨にも負けない音が響いた。
母親に頬を打たれ、少女は地面に尻をつく。
傘を差す人間なんていなかった。
地面に倒れた少女に、雨が降り注ぐ。前髪から落ちる雫が、彼女の薄汚れた白いティシャツを汚した。
泥の混じったボロいティシャツに、丈のあっていない短いスカート。母親のものを借りているのだろうか、サイズのあっていない赤色のパンプス。
よっぽどこっちのほうが見窄らしいじゃないか……
貧しくて愚かな、可哀想な親子の演技に失敗した母親が、慌てて言い訳をする。
緋末の家臣たちが、「話すことはない、出て行け」と捲し立てる。
この子が本当に緋末の血をひくなら、ましてや本家の次男、叔父の娘ならば大変なことになるが。
彼らはこの事実を理解しているのだろうか?
まずは父様に報告を、遺伝子鑑定をしてそれから……
「……なに考えてんだ、俺」
関係ないだろ、そんなこと。
緋末の家がどうなろうと、知ったことではない。
むしろ滅びてしまえ、壊れてしまえ。
そう思うのに。
無意識に、緋末の次期当主として動いていることに嫌気が差した。
「中にいるから。適当に追い出しておいて」
そう告げて、屋敷の中へ入ろうとした。
知るか、馬鹿が。
お前らが緋末の人間だろうと、血を引いていようといまいと俺には関係ない。
金がないならのたれ死ね。この世から消えたいなら、森の中へ入ればいい。あそこは一歩足を踏み入れたら最後、ある条件を満たさないと出れないのだから。
この二人が迷い込もうと、どうなろうと知ったことではない。
だけど…………
「私たち、このあと死にますからね!」
母親のほうの、怒声が耳に聞こえた。
うるさい……叫ばないで、声をあげないで、
静かにしてくれ。
でないと聞こえないじゃないか。
あの子の声が、聞こえない。
「本当に困ってるんです! 取り次いでくれないと、このあと二人で死にます! ね、あやめ!」
ぐいっと、母親が少女の腕を引っ張り上げる。
雨に打たれた少女の黒髪。
水を吸い込んで、より綺麗に、艶やかに。
「うん、そうだね」
小さな、耳を澄ませないと聞き取れないほどの少女の声が、雨の合間を縫って俺の元へ届いた。
「今日、やっと……死ねるんだね」
*
記憶が、その瞬間のことはよく、覚えていない。
気がつくと俺は、少女の腕を掴んでいた。
家臣達は惚けていて、誰も俺のあとを追わない。
傘が、地面に落ちていた。
誰のものかわからない、白い傘。
それを手に取り、少女を中に入れる。
傘の中で少女が、不思議そうに首を傾げた。
その瞳の色は見覚えがあった。
「緋末の人間なら……」
俺の言葉に、少女が首を傾ける。
艶やかな黒髪、緋末特有の。
見覚えがある、その瞳の色は……
毎朝、鏡で見るのと同じ色だった。
「緋末の人間なら、俺の家族だ」
ザァァァアっと、雨が打ちつける音。
少女の長いまつ毛に、雨が滴った。
きっと俺のそれにも、同じ色がついている。
だけどもう、雨が、彼女を打ちつけることはない。
「だから、家族なら……家族は、一緒に暮らすべきだ」
「かぞく……?」
少女の声で、止まっていた時が動き出した。
家臣達や少女の母親が、わっと声を上げる。全員が一度にしゃべるので何を言ってるかわからない。
他人を易々と屋敷に入れていいのか。
緋末の戒律が……
当主様が許すはずがない。
まずは当主様にに連絡を……
当主様が、
当主様に、
当主様……
「それならば、俺に許しをこえばいいだろう」
俺の言葉に、家臣達が声を止めた。
降り注ぐ雨の音、首を傾げた少女と目が合って、軽く頷いて見せた。制服のポケットに手を入れると確かにそこにある、固い感触。
捨てたはずなのに、森の中に置いてきたはずなのに。ポケットの中には、緋末のトランプがあった。
それを見せつけると、家臣達は目を見開いて動きを止めた。
傘を落とした者までいる。
空気が、世界が一変した。
「昨日、緋末の封印を解いて術力を手に入れた。家憲に従い、本日より俺が、緋末広がこの家の……緋末家の当主となる」
ざわっと、明らかな動揺を見せる周囲の者達。
わけがわからず、呆然と立ちすくむ少女の母親。
「きれい……」
黒髪の少女が、あやめが、トランプの模様を見て言った。
緋末の家紋、俺が一番大嫌いな絵。
「……えっと、家族……とうしゅ、さま?」
少女が呟いた。
綺麗な声で、漆黒の瞳の奥に、俺の姿を映して。
「ようこそ、あやめ……緋末の、屋敷へ」
封印を解いた高揚感と、神木が敵だと知った現実。
織斗と縁を切らなければと悩んでいたことで、混乱していたのかもしれない。
衝動でなかったといえば嘘になる。
あのタイミングでなければ、俺はきっと、あやめを迎え入れていなかった。
見捨てていただろう。
同じ傘の下で、漆黒の瞳が互いの姿を捉えて、そして微かに笑った。
ありがとうは、誰に言えばいいかな?
友達になってくれた織斗か、
あのタイミングでトランプを渡した時雨か、
緋末の屋敷へおまえを連れてきた母親か、
とにかく、いろんなことが重なって、
おまえと出会えて、
俺は緋末の当主になった。
ごめんなさい、なんて言わなくていいから。
全てのことが重なって、
いろんなことが繋がって、
何度でも願うんだ。
これが夢でありますように、
あの日に戻れますようにって。
おはよう、おやすみ。
ただいま、おかえり。
たわいない言葉の羅列をちゃんと言うから。
恥ずかしがらずにちゃんと、伝えるから。
神様、どうか。
一つだけ、願いを叶えてください。
あの日に……
いや、一度だけ、一言だけ、
会いたい人が
伝えたい、言葉があるんです。
『生まれ変わったら私は、当主様の娘になりたいです』
屋敷に来た日、
離れで一緒に暮らす約束をした日、
家族として迎え入れた、
俺が緋末の当主になった日、
あやめがそう言った。




