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第110話 緋末当主になった日、家族になった

*


*



 あの日は、雨が降っていた。


 中学の修学旅行の帰り。

 鞄の奥底には、行方知らずになっていた緋末《ひうら》のトランプ。


「バレてない、バレてない……」と呟きながら、広《ひろ》は屋敷へと続く一本道を歩いた。


 信じられなかった。

 トランプのことは、術のことは知っていた。

 緋末はそういう家系だと。

 その力でここまでと富と権力を築き上げてきたと。

 唯一、トランプの行方と共に曖昧になっていた敵一族の情報。


『ヒロさぁ、神木の当主と仲良いよね?』


 緋末の従者を名乗る、薄紫の直垂を着た少年。


『大丈夫だよ。ヒロが封印を解いた、術力を手に入れたことは誰にも知られてないから。向こうの当主が封印を解くまで、緋末一族には敵の正体がわからない』


 隠し通せば? と、時雨が言った。

 いくら先代当主、広の父である緋末《ひうら》孝幸《たかゆき》でも、封印を解いたことはわからないと。


『神木と友人関係を続けたいなら、トランプを手に入れたこと隠すしかないよね? まぁ、当主の座はしばらく譲ってもらえないけど』


 どうでもいい、そんなこと。

 当主の座? むしろ要らない、そんなもの。

 物心ついた時には、実家が、京都本家が嫌いだった。

 血を守れ、成した子を管理しろ。

 親族を家臣と呼び、その命は本家の、当主の為に在る。

 広様、広様と、食事も一人で満足に出来ないような乳児の頃から敬われ、嫡子ゆえ父からは厳しく躾けられた。


『春からは、東京分家にいってもらう』


 ランドセルが完成した日、父に会いにいくとそう告げられた。


『向こうで立派に、家長になってこい』と。


 入学式も卒業式も、イベント事で父の姿を見たことはない。

 無愛想で笑わない子、綺麗な顔をしているのに。

 誰かの母親たちが、コソコソと話をしているのが聞こえても、無視して歩いてきた。

 だから、友達ができた時は、



 親友と呼べる存在の織斗《しきと》が現れた時、

 世界が変わった。



 このままずっと、大人になっても互いに結婚してもたぶんずっと、家族ぐるみの付き合いで……

 そんなことは出来ないと、その時は思ってもみなかった。


「織斗が敵? 神木一族? あの神木? …………はは、ははははっ」



 世界が一変した。



 光から闇に。

 太陽が差す青空が、曇り空に、雷雨に変わった。

 ピカッと光ったあと、ゴロゴロと遠くで雷が鳴った。


「……誤魔化そう、俺は当主じゃない」


 傘なんか持ってなかった。

 修学旅行中は雨は降らない、快晴だと聞いていたから。


 嘘つきだ、天気予報の人も。

 大吉を引かせてくれた神社の神様も、

 狂った人生も、

 緋末に生まれてきたことすらも、嘘にしたくて。


 重い鞄を放り投げて、一本道を走った。

 

 誤魔化そう、嘘をついておこう。

 俺は当主じゃない、まだ……


 今はまだ、普通の人間で、緋末広でいたいから。



*



 森を抜けて第二の門へ辿り着くと、見慣れない後ろ姿が二つあった。

 屋敷への来客は基本、緋末の血族しか許されていない。

 どうしてもというなら当主である父の許可を得て、東京分家の長への報告をしなければならない。


 東京分家の長、つまり俺、緋末広のことだ。


 見慣れない後ろ姿、来客二人を囲う家臣たち。

 なにか問題が起きたのかと歩み寄ると、家臣の一人が俺の方を向いた。


「広様! おかえりなさいま……どうなされたのですか、傘は?」


 別の家臣が慌てて傘をを差し、その下に俺を入れる。

 まずは中にと背中を押されるが、門を潜る前に来客の女に腕を掴まれた。


「あなた、偉い人なの?」


 薄い化粧を施した三十代半ば程度の女性。淡い茶色で染めたストレートの清楚な髪に、華奢な体躯。見窄らしい服を着ているが、わざとだろう。

 貧相を演出するために、同情を得るためにその格好をしている。

 そうでないとこんなに、髪に艶は出ない。

 普段から整えていないと、肌はこれほどまでに綺麗にならない。何より、異様に長い爪は綺麗に塗られ、ギラギラのラメが施されている。


 頭が悪いな。


 それしか思わなかった。

 家臣が女を押さえるが、彼女は床に這いつくばり、俺に声をかけ続けた。

 曰く、短くまとめると、


『緋末本家の次男(つまり俺の叔父に当たる人)との間に子どもができていた。彼と連絡がつかず一人で育て上げたが、やっと見つけた。こんなに立派な家の人間だったと知らなかった。養育費を払え』



「知るか、馬鹿」


 心の中に留めておくはずだったのに、声が漏れてしまった。

 周りの人たちも驚いたようで、ポカンと口を開いて俺を見つめている。

 

「……ふふっ」


 その静寂の中、雨の音に混じって笑声が響いた。

 一同の視線が、そちらに向かう。

 艶やかな黒の、長い髪の少女がそこにいた。

 口元を緩めて微かな笑みを浮かべていた少女だが、全員の視線に気がついて表情を消す。


「あやめ! なに笑ってるの!」


 パァンと、雨にも負けない音が響いた。

 母親に頬を打たれ、少女は地面に尻をつく。


 傘を差す人間なんていなかった。

 地面に倒れた少女に、雨が降り注ぐ。前髪から落ちる雫が、彼女の薄汚れた白いティシャツを汚した。

 泥の混じったボロいティシャツに、丈のあっていない短いスカート。母親のものを借りているのだろうか、サイズのあっていない赤色のパンプス。

 よっぽどこっちのほうが見窄らしいじゃないか……

 貧しくて愚かな、可哀想な親子の演技に失敗した母親が、慌てて言い訳をする。

 緋末の家臣たちが、「話すことはない、出て行け」と捲し立てる。

 この子が本当に緋末の血をひくなら、ましてや本家の次男、叔父の娘ならば大変なことになるが。

 彼らはこの事実を理解しているのだろうか?

 まずは父様に報告を、遺伝子鑑定をしてそれから……


「……なに考えてんだ、俺」


 関係ないだろ、そんなこと。

 緋末の家がどうなろうと、知ったことではない。

 むしろ滅びてしまえ、壊れてしまえ。

 そう思うのに。


 無意識に、緋末の次期当主として動いていることに嫌気が差した。


「中にいるから。適当に追い出しておいて」


 そう告げて、屋敷の中へ入ろうとした。


 知るか、馬鹿が。


 お前らが緋末の人間だろうと、血を引いていようといまいと俺には関係ない。

 金がないならのたれ死ね。この世から消えたいなら、森の中へ入ればいい。あそこは一歩足を踏み入れたら最後、ある条件を満たさないと出れないのだから。

 この二人が迷い込もうと、どうなろうと知ったことではない。


 だけど…………


「私たち、このあと死にますからね!」


 母親のほうの、怒声が耳に聞こえた。

 うるさい……叫ばないで、声をあげないで、

 静かにしてくれ。

 でないと聞こえないじゃないか。

 あの子の声が、聞こえない。


「本当に困ってるんです! 取り次いでくれないと、このあと二人で死にます! ね、あやめ!」


 ぐいっと、母親が少女の腕を引っ張り上げる。

 雨に打たれた少女の黒髪。

 水を吸い込んで、より綺麗に、艶やかに。


「うん、そうだね」


 小さな、耳を澄ませないと聞き取れないほどの少女の声が、雨の合間を縫って俺の元へ届いた。


「今日、やっと……死ねるんだね」



*


 

 記憶が、その瞬間のことはよく、覚えていない。


 気がつくと俺は、少女の腕を掴んでいた。

 家臣達は惚けていて、誰も俺のあとを追わない。

 傘が、地面に落ちていた。

 誰のものかわからない、白い傘。

 それを手に取り、少女を中に入れる。

 傘の中で少女が、不思議そうに首を傾げた。

 その瞳の色は見覚えがあった。


「緋末の人間なら……」


 俺の言葉に、少女が首を傾ける。

 艶やかな黒髪、緋末特有の。

 見覚えがある、その瞳の色は……


 毎朝、鏡で見るのと同じ色だった。


「緋末の人間なら、俺の家族だ」


 ザァァァアっと、雨が打ちつける音。

 少女の長いまつ毛に、雨が滴った。

 きっと俺のそれにも、同じ色がついている。

 だけどもう、雨が、彼女を打ちつけることはない。


「だから、家族なら……家族は、一緒に暮らすべきだ」

「かぞく……?」


 少女の声で、止まっていた時が動き出した。

 家臣達や少女の母親が、わっと声を上げる。全員が一度にしゃべるので何を言ってるかわからない。

 他人を易々と屋敷に入れていいのか。

 緋末の戒律が……

 当主様が許すはずがない。

 まずは当主様にに連絡を……


 当主様が、

 当主様に、


 当主様……


「それならば、俺に許しをこえばいいだろう」


 俺の言葉に、家臣達が声を止めた。

 降り注ぐ雨の音、首を傾げた少女と目が合って、軽く頷いて見せた。制服のポケットに手を入れると確かにそこにある、固い感触。

 捨てたはずなのに、森の中に置いてきたはずなのに。ポケットの中には、緋末のトランプがあった。

 それを見せつけると、家臣達は目を見開いて動きを止めた。

 傘を落とした者までいる。


 空気が、世界が一変した。


「昨日、緋末の封印を解いて術力を手に入れた。家憲に従い、本日より俺が、緋末広がこの家の……緋末家の当主となる」


 ざわっと、明らかな動揺を見せる周囲の者達。

 わけがわからず、呆然と立ちすくむ少女の母親。


「きれい……」


 黒髪の少女が、あやめが、トランプの模様を見て言った。

 緋末の家紋、俺が一番大嫌いな絵。


「……えっと、家族……とうしゅ、さま?」


 少女が呟いた。

 綺麗な声で、漆黒の瞳の奥に、俺の姿を映して。


「ようこそ、あやめ……緋末の、屋敷へ」


 封印を解いた高揚感と、神木が敵だと知った現実。

 織斗と縁を切らなければと悩んでいたことで、混乱していたのかもしれない。


 衝動でなかったといえば嘘になる。

 あのタイミングでなければ、俺はきっと、あやめを迎え入れていなかった。

 見捨てていただろう。


 同じ傘の下で、漆黒の瞳が互いの姿を捉えて、そして微かに笑った。



 

 ありがとうは、誰に言えばいいかな?



 友達になってくれた織斗か、

 あのタイミングでトランプを渡した時雨か、

 緋末の屋敷へおまえを連れてきた母親か、


 とにかく、いろんなことが重なって、

 おまえと出会えて、

 

 俺は緋末の当主になった。



 ごめんなさい、なんて言わなくていいから。



 全てのことが重なって、

 いろんなことが繋がって、




 何度でも願うんだ。

 これが夢でありますように、

 あの日に戻れますようにって。



 おはよう、おやすみ。

 ただいま、おかえり。



 たわいない言葉の羅列をちゃんと言うから。

 

 恥ずかしがらずにちゃんと、伝えるから。




 神様、どうか。


 一つだけ、願いを叶えてください。


 あの日に……



 いや、一度だけ、一言だけ、


 会いたい人が



 伝えたい、言葉があるんです。




『生まれ変わったら私は、当主様の娘になりたいです』




 屋敷に来た日、

 離れで一緒に暮らす約束をした日、


 家族として迎え入れた、



 俺が緋末の当主になった日、




 あやめがそう言った。



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