第105話 ▼おかえり、コウ
*
母とは葬儀で再会した。
后の姿を見つけた途端、母は飛んできて后の頬を叩いた。
「あんたが……あんたが!」
取り乱す母を、大人たちが押さえつける。
「大丈夫かい?」
と、心配そうに后の顔を覗き込む人。
遠慮がちに父のことを話す人。
后の犯した罪について言及する者は誰もいなかった。
その人は以外は。
「当主様! 申し訳ありません、申し訳ありません」
母の甲高い声に振り向くと、背の高い男の人がいた。
たくさんの人に囲まれて、偉そうに……いや、実際に偉いのだろう、他とオーラが違う。
「あ、そっか」
当主様だ、と后は理解した。
緋末本家の、孝幸様。
顔と名前が一致したとき、その人はしゃがみ込んで后に目線を合わせた。
「自分が何をしたか、わかっているか?」
びくっと、后の肩が跳ねた。
低く威厳のある声。
后の目をじっと見つめた孝幸が、立ち上がって母の元へ向かう。
ぺこぺこと頭を下げる母に孝幸が声をかけ、そしてあたりを見渡した。
「広!」
突然の怒声に再度、后の身体が大きく跳ねる。
そのあとすぐに部屋に入ってきた后より少し大きな少年。
「…………広様」
后が彼を見るのは初めてではなかった、話したことはないが何度か会ったことがある……緋末の次期当主、既に東京分家の長である緋末広。
「かっこいい」
無意識に呟いてしまった。
広がちらっと后を一瞥するが、孝幸に怒鳴られてすぐに視線を外した。
やがて会話を終えた、というより一方的な説教を聞き終えた広が、后の元へ歩み寄る。
無表情のまま、無愛想に、広は后の隣へ腰を下ろした。
「おまえ、頭いいよな?」
「……はい」
謙遜はしなかった、素直に頷く后。
広は深く長いため息を吐いたあと、顔を上げて正面を向く。
「わかった、粛清する」
広の一言で、ピリッと周りの空気が張り詰めた。すっと無言で、人々が部屋から出て行く。
十畳の、何もない和室に取り残された后と広。
「おまえさぁ、友達作れ」
静かな部屋で、広が言った。
正面を向いたまま、后のほうを見ずに。
だから后も、膝に顔を埋めたまま話を聞いた。
「一人で抱え込んで、自滅するのが緋末の人間の悪いところだと思う。だからお前も、友達作れ」
「友達なんて、別に……」
「一人でいるよりずっと、気楽だと思う」
「気楽? あははっ、まさか……一人のほうが、気楽ですよ」
「じゃあお前、今、楽しいの?」
「……は?」
后が顔を上げると、広の視線があった。
そらすことができず、じっと見つめ合う。
「おまえ、いま一人ぼっちになったけど、気楽だって、楽しいって思う?」
「……そ、れとこれとは、違うでしょう! 家族ですよ、いなくなったの!」
「うん、そうだな……いや、俺にはわからないな」
「?」
「家族でも友達でも、大切だと思えばその重みは、いなくなって寂しいって気持ちは変わらないだろ? 少なくとも俺は、いなくなるのが家族だろうと友達だろうと、同じくらい悲しい」
「……僕にはわかりません」
「そうだろうな、今のおまえは。ていうか俺、謝らないから」
「……はい?」
「父様は干渉しておけばよかったって言ってるけど、俺はお前の親の事情なんて知らないし……緋末家っていう束縛が好きじゃないから、介入しなかったことについては謝らない」
「何の話ですか?」
「うん、今は無理でもいつか……たぶんすぐ、わかるようになる。おまえ、頭いいから」
「…………はい」
やはり謙遜はしない。
その返事に広は虚を突かれた顔をしてやがて、ぽんっと后の頭に手を乗せた。
「頑張って耐えて、東京分家に来い」
「……え?」
「強制じゃない、自分で選んでいい。俺はあの家嫌いだし、たぶん常に無愛想になってるけど……時々、話し相手にはなれると思う」
「あの……えっと」
「時間だな。頑張れ、コウ」
ふっと、后の頭にあった温もりが消えた。
立ち上がって部屋を出て行く広。
その背中が廊下の向こうに消えると同時、大人の男たちが部屋に入ってきた。
ぞろぞろと、俯き加減のその人たちが后の前に座る。
「ええっと、この度は……」
お悔やみの言葉を告げたあと、全員が后に頭を下げた。
「私たちが気づかなかったばかりに……申し訳ない」
真ん中の男が代表して、言葉を述べる。
后は彼を知っていた。
だって、その会社については調べ上げた。弱点を、付け入る隙を探して、この男のことも調査した。
后が最後に潰そうとした、ゲーム会社。
ゲーム中盤でバグを引き起こすオンラインゲーム、それをリリースした会社の社長。
「休職中の五十嵐くんが、あんなことをやっているとは夢にも……いや、それは嘘になるか……」
「休職中? え?」
「二ヶ月ほど前から自宅で仕事をしていたんだよ、君のお父さん。そこでまさか、ライバル会社を攻撃して貶めていたなんて」
「…………え?」
顔が、無意識に、半笑いになった。
なにいってんの、このひと。
このおじさん、なにいってんの?
と、動揺を隠せない后が目を見開く。
「いや……攻撃したのは僕で……」
「すまない。君にこんなことを言うべきではないのだけれど、事実を隠さず伝えてくれと、言われてしまって……全て正直に話をする」
父の勤める会社の社長だと名乗るその男は、ここ数ヶ月の父の悪行を時系列順に語った。
まず、ネットの掲示板にライバル会社の悪口を書き込んだ。しかし相手にされなかったため、その企業の機密情報を無断で公開した。
三日後、同様の犯行を行いその一週間後、今度は別企業のデータを改竄して不正を捏造し、未来ある潔白な新規企業を潰した。その行為はどんどんエスカレートして、様々な企業を潰して回った。
そして先日、父は奇行に走った。
「あんたの父親のせいで!」
突然、社長の後ろに控える男が立ち上がって怒鳴った。
他の男たちが宥めるが、その男は言葉を止めず、后を睨みつける。
「どうして自分の会社の……社運をかけたゲームに悪戯なんか……バグを仕掛けて……」
ボロボロと涙を流す男が、別の大人に肩を抱かれて部屋の外に出た。
惚ける后に再度、社長の男が頭を下げる。
「というわけなんだ。君のお父さんは最後に、自分の会社を汚した……すまないね、彼、子どもが産まれたばかりでね……業界自体が厳しいし、再就職も……」
「いや、えっと……なに言ってるんですか?」
后の言葉に、その場にいた全員が首を傾げた。
静かに、后の話に耳を傾ける。
「社員って……社長は父でしょ? 僕、ホームページ見ましたよ? 会社の名前も……」
「なにいって……あぁ、前の会社か」
「前の会社?」
「合併したんだよ、うちの会社と……知らなかったのかい?」
「合併……え? だって、僕……見ていない」
いつから?
僕はいつから、父の会社のために動かなくなった?
いつから、自分の欲求のためだけに動いてた?
「あ、はい……えっと、わかりました。でも、その悪行? それは父じゃなくて、僕がやったことなんです」
「…………は?」
大人たち全員が、目を丸くした。
后は同じことを、別の言葉で言い直す。
「ネットに悪口書き込んだのも、不正をでっち上げたのも全部、僕なんです。僕が全部……父さんの会社を潰した、ゲームのバグを仕掛けたのも僕なんです」
「なにを言っているんだ、できるわけないだろう、君に」
そうだ、そうだと別の大人たちが同意する。
お父さんに気を遣わなくていいんだよ、と見当違いなことを言ってくる人までいる。
「なに……なに言って……」
そしてはっと、気が付いた。
父は知っていた。
『コウのことなら何でも知ってるよ』
そう語って、優しく笑った。
「まさか……まさか、まさか」
そのまさか、しかなかった。
父は全部知っていて、后の罪を自分の行為として、疑いが全部自分に来るようにしていたのだ。
父は天才だった。
后を上回る天才で……息子のやったことを、全て父が……
「でも、我々には彼を責める権利はない」
社長の男が、話を続ける。
「彼の愚行には気が付いていなかったわけではない、おかしいとは思っていたが……そのおかげでうちの会社が……こんなことを君に言うべきではないね。だから私たちは、全て分かった上で彼を……」
「僕を、放置していた」
いや、放置という表現はおかしいかもしれない。
とにかく父は知っていた。
全て知って、悪を行わせて……全ての罪を被って、自ら命を絶った。
「う、うそだ……嘘だ、だってそんな……じゃあ、僕が父さんを……ぅそだ、そだ……あ、ああぁぁああぁぁあぁああ!」
「こ、コウくん!?」
「うるさい! 名前を呼ぶな! 汚い……汚い手で、声で! 僕の名前を呼ぶなっ!」
あぁ、そうだ、あの時……と、后は昔のことを思い返した。
必死になって、后を止める人がいた。
潰れゆく会社を擁護して、説教をして……
サヨナラ、キサキ。
父から送られてくるメッセージで后は時々、[キサキ]と呼ばれていた。
[最近の若者はすごいからねぇ。コウの情報が漏れないように、女の子の呼び方で呼んでみてる]
という文面の向こうに、父の悪戯な笑顔が見えた。
[そんなこと言って、本当は女の子が欲しかったんでしょ]
后の返信に、父はすぐにまた、新しいメッセージを送り返してきた。
[そういうわけではないけれど、女の子とメッセージしてる感じがしてドキドキはするね。実はいま、キサキと同じ歳の女の子とやりとりしててね、練習がてら……]
[なにそれ、父さん危ない人になってるよ]
[笑]
返事は一文字だったけど。
后は確かに、その文字の裏側、画面の向こうに父の笑顔を見た。
画面の向こうには確かに、后と同じ血の通った人間が、
父がいた。
*
葬儀が終わって、自宅を引き払って、緋末の東京分家に入った后を広が出迎えた。
『おかえり、コウ』
たった一言告げただけで、背を向けて屋敷の中へ入り込む緋末次期当主、広。
后と三つしか歳が変わらないけれどその背中は偉大で、その一言だけで充分だった。
恩返しをしよう、いつか。
そう誓って、后はそれ以降、緋末広に従うことを決めた。
神木当主に会いに行き、戦いに干渉して広とあやめがやりやすいように、家臣の情報操作や本家への連絡もチェックした。
神木となんて争わなくていい、彼がそれを楽しいと思うなら。
その縁で、利用するつもりで中村凛にも声をかけた。
『僕は当主様の幸せを最優先に考えています』
何度そう告げても、面と向かって言っても、彼には気付いてもらえなかったけれど。
それでよかった。
どうすれば広様が幸せになれるだろう。
こんな状況になって、僕にはもう何も出来ないならせめて……
辛い思い出を、消してあげよう。
家臣一人の、たった一つの命を犠牲にして。
その人が幸せになれるのなら。




