第102話 ▼昔話---五十嵐后
昔話をしよう。
て言っても四年前、そんな前じゃないけどね。
あるところに一人の少年と、その父親がいました。
*
それは今から四年前。
二階の自室でパソコンの画面を眺めていた当時十歳の后は、階下から自分を呼ぶ声に気がついて部屋を飛び出した。
「コウ、起きてる?」
「起きてるよ! おかえり、父さん!」
階段を降りた后は、廊下にいた父に抱きついた。
后の突進に、父の身体が僅かに傾く。
「力強くなったなぁ。ただいま、コウ」
「仕事は? もう終わったの?」
「いや、欲しい資料があってとりに帰っただけ」
「え? じゃあ、すぐにまた会社行くの?」
「うん、后とちょっとお話してからね」
「お話! なに……」
顔を綻ばせる后だが、父の表情に気がついて笑みをやめた。
貼り付いた笑顔、説教をする時の表情だ。
「今日、パソコン使った?」
「……使ってない、と言えば嘘になる」
「うん、回りくどい言い方しなくていいから」
「使いました……ごめんなさい」
「謝るってことは、自分が悪いことしたってわかってるんだね?」
「…………」
后は答えなかった。
やがて父がしゃがみ込み、后の目線に背の高さを合わせる。
「画面の向こうのお友達と、喧嘩したでしょ?」
「友達なんかじゃない! ネットの中でやり合っただけで、顔も声も知らない、他人だよ!」
「うん。でも、その人は后と同じ人間だよ。后が酷い言葉浴びせた人も、后と同じようにパソコンで文字を打ってただけの人間」
「浴びせてない! 文字打ち込んだだけ!」
「消えろって? あんたなんか誰も必要としてない、他にもいろいろ言ったよね?」
「そんなこと……」
ぷいっと視線をそらしす后。言い訳や言い逃れをしようと思ったが、無駄だと思って諦めた。
足跡は消したのに、完全に消去しているはずなのに。父にはなぜか、自分の行いが全てばれている。
「ごめんなさい」
「ちゃんと目を見て言いな」
「…………ごめんなさい」
后の目尻に、涙が滲んでいた。
それを認めた父が、后の身体を抱きしめる。
「昼間に父さんが送ったメッセージ読んだ?」
「読んだよ! 今週の日曜はお休みだから、お出かけしようって!」
「どうしてそのメッセージが父さんだと思った?」
「え? だって差出人が父さんで……」
「機械が勝手に送ったかもって思わなかった?」
「そんなこと思わないよ! 機械が勝手に送るなんてことありえない。メッセージ自体は機械でやり取りするものだけど、そこには絶対、それをいじってる人がいるわけで……」
自分の言葉にはっとして、后は口を噤んだ。
ばつが悪そうに顔を背けるが、すぐにまた父の目を見返す。その様子を見て、后の父は優しく微笑んだ。
そっと、后の頭に手を乗せる。
「コウ、一つだけ覚えていて欲しいことがあるんだ」
「うん……」
「画面や機械を作るのは人間。数には意味がある、画面の向こうには、コウと同じ人間がいるんだよ」
「……うん」
「見えなくても聞こえなくても、そこには人が存在してる。コウが相手してるのは血の通った人間だってことを絶対に、忘れないで」
叱った後に頭を撫でてくれる、優しい笑顔。
后はそれが大好きで、「うん」と返事して微笑んだ。
*
后の両親はともに緋末の生まれだった。
東京分家で暮らしていた母と、遠縁になったからと外で暮らしていた父。その縁で結婚した父と母の間に恋愛感情が存在していたのかは、子どもである后の知るところではない。
ただ、父の仕事の都合で緋末の屋敷を出ることになった母が、そのことを良く思っていないのは后の目にも明白だった。
「僕、お父さんの仕事好きだよ」
父と話した日の翌日、午後十時半。
リビングのソファで項垂れる母に后が語りかけた言葉。
母は驚いたように顔を上げ、再び顔を伏せた。
「毎日、土日もこの時間までいないのに?」
「でも忙しくない時は、お休みの日にも遊んでくれるよ?」
「……もう寝なさい。子どもがこんな時間まで起きてちゃダメ」
母の『ダメ』には説得力がなかった。
冷蔵庫を開けて牛乳を飲んだ后は、黙ってリビングを後にする。母は一度も振り向かず、『おやすみ』の言葉も交わせなかった。
考えることが面倒になった后は、部屋に入ってすぐベッドに潜り込んだ。
「父さんの仕事はすごいんだよ……父さんの作るゲームは面白い、世界一だ」
真っ暗になった天井を見上げながら呟く后だが、母に届くはずがない。
当時の后は小学四年生にしては賢いほうで、それは自分でもわかっていた。テストでは常に満点。授業を聞かずとも、教科書を眺めておけばだいたいの内容は理解できる。
学校という制度が気に入らなくて、通学もあまりしていなかった。成績は問題ないし何より緋末の人間だ、学校側から咎められることはない。
后はほとんどの時間を自宅、パソコンの前で過ごしていた。
「でも、今週の日曜日はお出かけするから……ちゃんと学校行って、褒めてもらおう」
父からのメッセージを思い返し、顔を綻ばせた后はようやく、眠りについた。
*
父との約束は結局、大人はやはり嘘つきだ、という結果しか后に与えなかった。
「后! いいかげんにしなさい!」
約束の日曜日、午後八時。
甲高い声がドアの前で響き、ベッドの上で布団を被っていた后は耳を塞いだ。
「メッセージ来てたでしょ? 仕事の都合で会社行かないといけなくなったの!」
「知らない! 僕、父さんからのメッセージ見てない!」
「あんたが見てないだけでしょ! ちゃんと送ったって言ってたわよ、あの人!」
「知らない! お出かけするって約束した!」
「そんなのこっちが知らないわよ! いいから、一旦出てきなさい! 朝からご飯も食べてないでしょ!」
「いらない! 父さんが迎えに来るまで部屋から出ない!」
「じゃあもう知らないからね! 好きにしなさい!」
バタバタと大袈裟な足音、階段を降りる音が遠ざかったところで、后は布団から顔を出してパソコンを見つめた。
父からのメッセージは開いていた。既読になったことは、父も知っているだろう。
后からの返事が来ない理由も、きっとわかっている。
「約束したのに……っそつき。嘘つき!」
我慢していた涙が、頬を伝いシーツの上にこぼれ落ちる。
休みがない事は珍しいことではない。父の帰宅が遅いことも、帰ってこない日が多々あることも。
だけど、約束を破られたのは初めてだった。
『早めに帰るから、一緒にご飯を食べよう』
『お休みだからお出かけしよう』
約束を交わした日は必ず、どんなに忙しくても一度家に戻って物凄い勢いでご飯を食べたり、たった十分だけの散歩をしてくれた。
だけど今日は、短いメッセージが届いたきりで帰って来てくれてない。
約束を守ってくれなかった。
「僕は学校に行ったのに、酷いこともしなかった。約束を守ったのに」
しばらく泣いたあと、冷静になって考えてみた。
こんな状況になったのは何故?
「みんなが父さんのゲームを知ってくれれば……ホントに楽しいんだ、父さんのゲームは……」
じゃあ、みんながそのゲームを知らないのはどうして?
誰のせい?
「みんなが、父さんを邪魔するから……つまらないなんて悪口言ってるやつもいるし、分析とか偉そうなことやって……」
はっとした后は、ベッドから飛び起きてパソコンへと向かった。
明るくなるパソコンのモニター。
表示される文字の羅列。
「印象操作……評判で、誰かの声で価値が決まる。いや、それは前にやった……世界を変えるには……」
ふっと、后は画面にある文字を入力した。
表示されたのは、父と同じ系統のゲームを開発しているライバル会社。ネットでの評判もよく、勢いが盛んな企業。
「こいつらがいるから……この会社が潰れれば、父さんのところが注目される」
思い浮かんだ策はとても幼稚なものだったけれど、当時の后は幼過ぎてそれがわかっていなかった。
「そうだ、そうだよ! 父さんが大変なのは、約束を破ったのはこういう邪魔ものがいるから! だったらそれを排除して……父さんの会社以外のとこが潰れればいい!」
笑みを浮かべた后が、キーボードを鳴らし始めた。
*
「あははははっ! やった、また僕の勝ち!」
カタンっと大袈裟にキーボードを叩く后。
声が大きすぎたかもしれないと口元を押さえ、部屋のドアを見つめる。
大丈夫、母には聞こえていない。
頬杖をつきながら、后は今しがた収集したあるゲーム会社の情報を眺めた。
起業したばかりの小さな会社。
内部の情報を操作し、秘匿情報とされている資料を世間へ公表する。
大抵の会社はこれで自爆する。倒産した企業の話も聞いた。
笑みを堪え、后はキーボードを叩いてその会社の情報、入り込んだ足跡を全て消去した。
技術は父から学んでいた。父としてはちょっとしたゲームのつもりだったのだろうが、大人が思っている以上に后は賢かった。
「楽しいな……」
ぽつりと呟いた后が、自分の言葉にはっとして顔を上げた。
真っ暗な部屋に灯っている光は、パソコンの画面のみ。
「みんなは今ごろ、まじめに勉強してるのかなぁー。人口密度の高い息苦しい教室で」
くくっと笑った后が、モニターの画面に母のパート先の勤務表を映し出した。
后が学校に行かなくなって二週間が過ぎた。
母が介入してきたのは最初の三日だけだった。その後はリビングのテーブルの上に食事が用意されていて、昼間は常に母の姿がなかった。
母がパートに出ているのは知っていた。そんなことしなくても、緋末本家から援助があるのに。母にとってはきっと、この家が狭苦しくて、外の世界の方が息をしやすいのだろう。
「……店ごと潰してもいいんだけどね」
まぁ、そんなことはしない。楽しみを奪えばきっと、母は家族に八つ当たりするから。
背伸びをして、后は再びパソコンへ向き直る。
最後はただの悪戯だった。
ネット掲示板に、父のライバル会社の悪口を書き込んで、同志を名乗る人たちと盛り上がった。
だけど途中で、[証拠は?]みたいなことを言い出す人が現れて。
手駒を用意しなければ世界を変えることはできない。
情報を、集めないと。
知識はあった、その過程でハッキングも何度もやってきた。悪意を持って行ったのは、それが初めてだったけれど。
最初の会社でたまたま、不正の情報を見つけて、それを公表するとあっという間に倒産した。
二つ目も同様。
そして三つ目のライバル会社。発展途上だが、商品の発想が面白い。放置しておけば必ず、父の会社の邪魔になる。
だけどどれだけ調べ上げても悪が見つからない。だから、邪魔だから悪を捏造した。
一週間後、その会社はなくなった。
その会社を必死に擁護する人がいたが、大きな声に消されていった。
后の意見が通った、神だと崇め祟られた。
出来る……自分には力がある。
父さんの手助けが……いや、世界を変えることが出来る!
その日から、后は外へ出なくなった。




