一章1 聞き取り調査の一方で
光射す回廊を、アスキスは足早に進んでいた。気分はあまり良くない。淫魔を回収して一日経つのに、ろくに調査できていないからだ。
護衛のはずのノクトが、横からあれこれと口を出してくる。淫魔の髪を引っ張るな、肌を傷つけるな、爪を剥ごうとするな――他にも細かいことを言い出したらきりがない。ノクトは聖騎士だというのに、淫魔の見た目に完全に騙されている。少女型はこれだから厄介なのだ。
「まあ、見た目が良いのは認める」
あの淫魔は如何にもか弱い少女といった容貌だ。華奢で綺麗で、上目遣いでこちらを見てくるとどきりとする。魅了を使っていないというのに。あんな造りものに一瞬でも動揺した自分が嫌で、恥ずべきことだとさえ思っている。
淫魔は人間を殺す。油断してはならないし、敵だということを決して忘れてはならない。ノクトにはこのことを改めて話した方がいい。
内心で溜め息を吐いたところで中庭に出た。ちょうどそこに探していた少年がいる。剣の稽古でもしているのか、真面目な顔で木刀を振っている。
「ジャン、少しええか」
「アスキス様。おはようございます」
「もう昼やで。稽古に本気になりすぎや」
するとジャンは木刀を見下ろし、真剣に告げた。
「俺は聖騎士になりたいんです。いつまでも見習いのままではいられません」
アスキスは黙ってジャンを見つめた。聖騎士は才能がなければならないのだが、それを言うのは酷だろうか。余程のことがない限り、ジャンは聖騎士になることなどできない。
残酷なことだと思いつつ、淫魔を見つけた時のことを尋ねた。
「路地に座ってたらしいけど、ほんまなん? どんな様子やった?」
ジャンは詳しく報告してくれた。聞けば聞くほど奇妙だと思う。
「つまり、あの淫魔は天界から捨てられたんか。状況的にそれ以外考えられん。しかしなあ」
「何か気になることが?」
「これ」
アスキスは懐から折り畳んだ布を取り出した。中には淫魔の髪が一房収められている。
「髪を調べたんやけど、最高級の素材やった」
その素材は、東の国々で天界に奉納される絹糸だった。この絹糸と天界の何かを混ぜて髪にしている。
「混ぜてあるのは天馬の鬣か、幻蜃楼の織物か。ただの淫魔には使わない素材ばかりや。その辺の路地に捨てたなんて信じられへん」
ジャンも目を丸くして驚いていた。そこまで高級な淫魔だと思わなかったらしい。
「確かに綺麗な子でしたが、襤褸みたいな布にくるまってましたよ。それにずっとぼんやりしていて、表情がなかったです」
「そうなんよ、感情が薄いんよ」
淫魔という種族は、知恵はそこそこだが感情豊かなことが多い。その方が人間を籠絡しやすいからだ。淫魔にとって一番大事な感情が薄いのは何故だろうか。
「さて、ジャン少年。これからが本題や」
「何でしょうか」
「あの淫魔にときめいた?」
ジャンはぎょっとし、赤くなって否定していた。
「そ、そんな、何を言ってるんですか」
「真面目な話なんだけど。僕には魅了の耐性があるから、淫魔が何かしても気付けない」
耐性は便利なものではあるが、研究の邪魔になることがある。世界的に淫魔の研究が進んでいないのは、魅了されて失敗するか、魅了に耐性があるが故に何も分からないかだ。だから一般人への聞き取りが重要になる。
「綺麗な子やと思ったんやろ? 興奮した?」
「やめてください! 何の嫌がらせですか!」
「いや研究に必要なんやって」
「答えたくないです!」
「怪しいなあ。興奮したんとちゃう」
ジャンは耳まで赤くなっている。まだ少年なので答えるのが恥ずかしいらしい。こういう反応をするということは、ときめいたか興奮したのだろう。しかしあの淫魔は単純に可愛い。魅了がなくとも人の心を掴むのかもしれない。
「他の隊士にも確認するか。年長の奴の方が冷静に答えてくれそう」
「アスキス様……戯れが過ぎるのでは」
「失礼な。僕は大真面目や」
「普段の言動を思うと真面目とは思えません」
本当に失礼だ。ジャンは優等生と見せかけて生意気なところがある。「いつかしばこう」と決めてその場を後にした。
その後も隊士たちに聞き取り調査をし、一つの結論を出した。
「あの淫魔は魅了を使っていない」
隊士たちに取り囲まれても茫洋とし、反抗することもなかった。普通の淫魔ならば逃亡するために人間を魅了するはずだ。アスキスは地下の研究室へ引き返しながら考え込んだ。
「魅了を使わんのか、それとも、使えんのか」
最初から違和感はあった。少女型の魅力的な淫魔が、たかが騎士見習いに捕まるわけがない。あの淫魔には何らかの不具合があり、能力が制限されている。そうでなければ辻褄が合わない。
「不具合があったから路地に捨てられた……? でも素材は最高級なんよなあ。意味が分からん」
ぶつぶつ呟いている内に地下に辿り着いた。己の研究室の扉を開け、中の様子を見て硬直する。何故か女官たちがいて、淫魔に新しい服を着せていた。白くて可憐なワンピースだ。
「ちょっと、何してるん」
敵である淫魔を着飾るなんて信じられない。女官にこれを指示したのは、護衛のはずのノクトだった。
どこからか引っ張り出した衝立に隠れつつ、真顔で言う。
「襤褸のままでは可哀想だろう」
「は?」
「あのワンピースは出入りの業者から買ったものだ。サイズが合って良かった」
「……あのさあ」
多種多様の罵声が頭に浮かんだが、ノクトの方が身分が上だ。拳を握りしめて何とか堪えた。
女官たちは着付けを終えると一礼して出て行く。淫魔は白いワンピースをしげしげと眺め、その場でくるりと回った。ふわりと裾が流れ、嬉しそうに瞳を輝かせている。可愛い。可愛いが、あれは敵である。今すぐ襤褸に戻したいが、ノクトは淫魔の傍らで穏やかに笑っていた。
「よく似合っているぞ。気に入ってくれたかな」
「うん。素敵な服」
そして淫魔はノクトを見上げ、それはもう美しい笑みを浮かべた。
「ありがとう」
魅了耐性がなくともころりと落ちそうな可愛さである。ノクトにも耐性があるとはいえ、心配で胃が痛い。必死で我慢するが、ノクトの次の言葉で限界を迎えた。
「アスキス、彼女に名前を付けたいんだが」
「は!?」
「淫魔と呼び捨てにするのは気が引ける。この子に合う名前を考えよう」
――この人はもうダメだ。淫魔の見た目に完全に惑わされている。
人間の敵に衣服を贈った上、名前を付けるという。堕落の烙印を押されても仕方ない有様だ。これが本当に聖騎士かと疑ってしまう。
淫魔はにこにこしており、ノクトは微笑ましそうに「どんな名前がいい」なんて訊いている。アスキスは彼の隊服を鷲掴みにし、研究室の外に引き摺り出した。
「ノクト様、あれが淫魔だと分かってますか」
「無論だ」
「淫魔は人間の――」
「敵だろう。分かっている」
アスキスはじろじろとノクトを見た。頭がお花畑なのかと思いきや、青い瞳は静かでとても落ち着いて見える。とりあえず隊服から手を離し、話をすることにした。




