四章1 聖堂へ帰還
逃避行四日目の朝、ノクトは聖堂へ戻ろうと言った。そんな予感はしていたので拒否はしなかった。もっとノクトと逃げていたいが、何もしなければいつか処分されてしまう。それにノクトにも聖騎士としての仕事がある。腹を括って頑張るしかない。
「シエラ、行こう」
差し出された右手を取り、二人で宿を出た。この近くから聖堂行きの馬車が出ているらしい。よく見たら遠くに大きな建物が見える。こんなに近くにあったのかと驚いてしまった。
馬車の座席に並んで座り、ノクトに礼を伝えた。
「一緒に逃げてくれてありがとう」
「いや、こんなことしかできなかった。私にもっと力があればよかったのだが」
「そうじゃないの」
シエラの脳裏には、この逃避行で見た景色のことが浮かんでいる。
人間のことは怖い印象しかなかったが、それだけではないことを教えてくれた。長閑な町も、丘陵に広がる村も、賑やかな街も、他にはない美しさがあった。シエラの中の悪い感情にも気付けた。人間だからと一括りにするのはもうやめる。色んな人間がいるのだと受け止めなければならない。
ただ一つ不安なことがある。シエラは躊躇いがちにノクトに尋ねた。
「聖堂に戻ってもノクトに会える?」
「それは勿論。聖騎士の仕事で離れることはあるが、傍で見守りたいと思う」
「良かった。これからも一緒にいたい」
ノクトは穏やかに微笑んでいる。四日間で色々学べたが、それは彼と一緒だったからだ。信頼できる人がいたら心の余裕もできる。何より、純粋にノクトを慕っている。これからもずっと一緒に過ごしたいと切実に思う。
ゆっくり馬車は進み、聖堂が近付いてきた。白い壁と金色の装飾が眩しい荘厳な建物。馬車を降りたところで少年の声が上がった。
「ノクト様! ご無事だったのですか!」
路地でシエラを見つけた少年だ。ノクトの知り合いらしく「彼は騎士見習いのジャンだ」と紹介してくれた。
ジャンはシエラを警戒しつつ駆け寄ってきた。
「魔物を連れて出て行ったと噂になっていました」
「ああ、ちょっと色々あって。ところで魔物とは」
「そいつのことです。淫魔ではなく魔物であると、アスキス様が」
「呼び方が変わったということは、血液を調べて何か分かったのかもしれないな。他に何か聞いてないか?」
「魔物は即座に捕えるほど危険性はないそうです。……ノクト様はその調査をしていたのではないのですか」
そういう理由で聖堂を出たことになっているらしい。ノクトはシエラを一瞥し、もっともらしいことを言っていた。
「別の環境で能力が発動するか調査していた。アスキスに結果を報告したいのだが、どこにいる?」
「司教様のところです」
「では我々は先に整備区画で待っていよう」
ジャンは少し不審そうにしていたが、そのままシエラたちを通してくれた。ノクトはやれやれと息を吐いている。
「聖堂は警備が厳しいので慎重に行かなければ。シエラもなるべく変なことはしないでくれ」
了解しつつ、先程のノクトの言動を思い返して首を傾げてしまった。
「ノクトは嘘が得意なの? 私の質問をはぐらかした時は、嘘が下手だと思った」
「はぐらかしてない」
「嘘つき」
「本当にはぐらかしていない。少し誤魔化しただけだ」
「それは嘘じゃないの?」
詰め寄りながら歩き続ける。ジャンはそんな二人を見て「新婚か」と思いかけ、慌てて首を振った。誇り高き聖騎士と魔物がそんな関係になるわけがないのだ。見なかったことにして警備に戻った。
人気のない整備区画に来ると少しだけほっとした。しかしここでは兵士に取り囲まれて暴力を振るわれた記憶がある。シエラとしてはあまり良い場所ではない。憂鬱に思いながら小屋に入り、アスキスが来るのを待った。やがて到着したアスキスは、静かに怒りを燃やしていた。
「よくも三日も消えてくれましたね……僕が皆から詰め寄られて大変やったんですよ」
殺気が滲んでいるのがシエラにも分かる。ノクトはさすがに申し訳なさそうにしていた。
「色々あって戻れなかったんだ。悪かった」
「本当に悪いと思ってます? 何しとったんですか?」
「ちょっと休暇を」
「何やそれ許さへんぞ! 僕が必死に謝り倒している間に遊んでたんか!」
アスキスがノクトの胸ぐらを掴んでがくがく揺さぶっている。止めた方がいいのだろうか。ノクトを見上げるが、観念したように俯いていた。
「説教の前に状況を教えてくれないか。私たちが出て行った後、君はどうしていた?」
「どうもこうもあるか!」
アスキスは激怒しながら詳細を語る。ノクトの背を見送ってから、彼はまず血液を調査した。結果、複数の貴重な素材が混ざっており、シエラを淫魔とは言えないと判断したそうだ。その報告書を持ってノクトたちが消えたことを司教に報告した。当然ながら大騒ぎとなったが、血液の調査報告をして黙らせた。
――使われている素材がほんまにおかしくて、魔のものから聖のものまで闇鍋状態なんですよ。あれは淫魔ではない。でも天使でもない。人間が勝手にどうこうできる代物ではありません。
よってシエラを処分してはならない。司教たちはその説明に納得せざるを得ず、渋々引き下がったらしい。
「でもクロード様は殺す気満々ですけどね。何あの坊ちゃん、ほんまに血の気多い」
「レクターは何と言っている」
「害がなければ放っておくと」
「彼らしいな。クロード以外は大丈夫そうだ」
「僕が大丈夫じゃないんですが? あんな綱渡りをさせておいて休暇? 二人で楽しく旅してたんですか?」
そこから説教が始まった。シエラを見つけた時点で連れ帰れ、せめて一泊で帰れ、どこへ行くか連絡しろ――どれも正論である。ノクトはひたすら謝罪していた。同じ説教を司教もするはずだと言われ、それは嫌だと首を振っている。
「元はと言えばシエラを無理矢理聖葬しようとしたのが悪い」
「あんたがどう見ても堕落してたからでしょう」
「私は堕落していない」
「二人でベタベタしておいてよく言う」
そしてまた説教だ。ノクトの態度が甘すぎたらしいが、シエラにとってはそうではない。我慢できずにアスキスに抗議した。
「ノクトが甘いんじゃなくて、周りの人間が酷かった。あなたも怖い」
「その怖い僕のおかげで休暇を楽しめたんやけど?」
その通りなので何も言えない。ノクトと共に小さくなって説教を受けた。




