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四章2 感情の正体



「そもそも何で休暇なんですか」

「シエラが怯えていたし、ずっと聖堂にいるのは息が詰まるだろうと思った」

「は〜甘いわあ! それで三泊四日してくるのが逆に怖いわあ!」

「三泊四日で済ませたのは良いことだろう」


 少しだけノクトも開き直ってきた。二人とも悪さはしていないし、結果的にシエラが前向きになれた。一方的に非難されるものではない――と思ったのだが。


「休暇のために僕が犠牲になってるんですよ。薄らハゲに嫌味言われて、グレイス様から睨まれて、殺気滲ませる坊ちゃんを宥めて。それから兵士たちの捜索隊を解散させたし、二人はちゃんと戻ってくると方々に説明したし、本部に報告すると騒ぐ薄らハゲを説得した」

「それについては申し訳ない」


 すかさず頭を下げていた。あの休暇の裏でアスキスは奔走していたようだ。怒って当然である。シエラも反省しておずおずと言った。


「アスキス、ごめんなさい。ありがとう」


 しかしアスキスは素っ気ない。


「そういうのええから。ノクト様は薄らハゲに適当に帰還報告してください。グレイス様のところにも説教されに行ってください」

「説教は確定なのか……」


 ノクトは悲しそうに小屋を出て行った。アスキスは深々と溜め息を吐き、シエラを振り返る。糸目で分かりにくいが、やはりまだ怒っているようだ。もう一度謝ろうとしたが、それを遮って言う。


「君の扱いは魔物になったけど、僕はまだ警戒している。魅了の力は本物やったし、力が暴走して被害が出る可能性もある。これからも態度は変わらんからな」


 どうやらアスキスはシエラのことが嫌いらしい。シエラも警戒しているのでお互い様というやつだ。そこでふと大事なことを思い出し、アスキスに確認した。


「あなたは公平な人?」

「いきなり何や。よく分からんが公平やと思うけど」

「じゃあ聞いて」


 ノクトにはぐらかされた謎の感情について。一所懸命説明したが、アスキスは鼻で笑っている。


「えー、これ惚気られてる? ノクト様の嫌がらせ? 一回ぶん殴ろうかなほんまに」

「殴ったらダメ。何の感情か教えて」

「知らんよ。そういうのは自分で気付くべきやって」


 どういうことなのか分からない。首を傾げていると、アスキスはふらりと小屋を出て行った。しばらくして戻ってくると、手には数冊の本がある。


「これは?」

「メイドたちから借りてきた、君が知りたい感情を題材にした小説。それ読んで勉強して自分で判断して。あ、文字は読める?」


 シエラは小説をぺらぺらと捲り、頷いた。


「読める。理解できる」

「……ということは、この言語圏の神が生みの親なんか? いや神は人間の言語全部知っているという説もあるからなあ……」


 ぶつぶつ言いながら去って行く。シエラはとりあえずソファに座り、小説を読むことにした。最初は興味がなかったが、段々先が気になって夢中で読み耽ってしまう。そして物語中盤を過ぎたところで、主人公がシエラと似たような感情を抱くようになった。さらに読み進めると、終盤にようやく感情の名前が明らかになる。ちょうどそこでノクトが戻ってきた。


「グレイスから長々と説教されてしまった。まったく、恐ろしい女性だ」

「ノクト!」


 シエラは小説を持ってノクトに駆け寄った。たった今知った知識だが、これに違いないと興奮している。


「私、ノクトのことが好き!」

「――えっ」

「恋してる! お嫁さんになりたい!」


 ノクトはぽかんとしているが、シエラは本気だ。小説の主人公はとある男性と出会い、恋を知った。そして花嫁になりたいと思い、男性にアプローチする。これと同じことを自分もやりたい。なにせノクトのことが大好きで、つがいになりたいと思っていたのだから。


「好き。大好き。ずっと好きだった」

「シエラ、待ちなさい」

「どうしたらお嫁さんになれる? ノクトは私のこと好きじゃない?」

「私は――」

「どんなお嫁さんがいい? 私、頑張るよ」


 やる気満々でノクトを見上げる。いつもの困り顔だが、耳が赤いので照れているのだろう。もっと詰め寄ろうとすると、アスキスがやって来て微妙な顔をした。


「やっぱり堕落……」

「ち、違う! 君こそシエラに何を読ませた? 突然こんなことを言い出すなんておかしいだろう」

「あんたが僕に惚気話をぶつけてくるからや。何やぽかぽかした感情って。僕の口から何を言わす気や」

「第三者の公平な意見がほしくて――」

「こういうのは当事者で話し合わんかい! 基本的に有能なのになんでたまにポンコツになるんや!」


 二人の言い争いが始まってしまった。戸惑ったが、ここで引いたら負けな気がする。シエラは気合いを入れてノクトに詰め寄った。


「お嫁さんになりたい」

「そ、それはちょっと」

「目の前でそういうのやめてくれます?」

「お嫁さんになりたい!」

「シエラ、落ち着いて」

「じゃあ僕は仕事するんで、ごゆっくりどうぞ」

「アスキス、待て」


 待てと言いつつアスキスを追って小屋を出てしまった。どうやら逃げられたようだ。追いかけたいところだが、小屋から出るのは怖いし未読の小説がある。今は学ぶべきだと切り替え、ソファに座って黙々と小説を読んだ。


 その物語は主人公が好きな男性と結婚して終わった。シエラはほのぼのしながら小説を閉じた。


「私もこうなりたいなあ」


 心からの呟きである。この瞬間、ノクトの花嫁になることがシエラの目標となった。




 聖堂に戻ってから、アスキスがたくさんの本を持ってくるようになった。シエラの言語力がどの程度か調べたいそうだ。


「素材を採取するのができなくなったから、地道に調べていくしかない」


 だいぶ不満そうだが、シエラを淫魔ではないと断じたのも彼だ。複雑なことになっていると思いつつ文字を読んだ。


「この文字は分かる。こっちは分からない。これは縦に読むの? 横に読むやつしか分からない」

「じゃあこっちは?」

「模様みたいな文字。読めない」


 アスキスはシエラの言葉を細かくメモしていく。こんなことで何が分かるのかと不思議だが、話しかけられる雰囲気ではない。アスキスの顔は真剣そのもので、文字から何かを読み解こうとしているようだった。


「知識がちぐはぐなのも気になるんよなあ。感情は若干育ってるけど偏りがあるし、知性もそんな高くなさそう……いや、これも成長途上の可能性があるのか。だとしたらどこまで成長するのか」


 ぶつぶつ言うのでつい尋ねてしまった。


「調べるのは楽しい?」

「楽しくはない。魔物がどんな力を持っているか調べるのは必要なんや」

「私は自分の力がよく分からない」

「だから面倒なんや。普通の淫魔やったらとっくに聖葬しとる」


 普通ではなくてよかったとしみじみ思う。しかし油断はできない。聖堂の人間がシエラをただ生かすとは思えない。どうやって生き抜くか真面目に考えた方がいい。


「ノクトの花嫁になりたいなあ」


 それで解決したら嬉しいのだが、そんなに簡単な話ではないだろう。そもそも花嫁になれるかも分からない。ノクトとはあれから何度か会っているが、花嫁の話をすると逃げられてしまう。嫌われているわけではなさそうだが、ああも避けられると不安になってくる。


「どうしたらノクトの花嫁になれる?」


 アスキスに聞いてみたが、鼻で笑われてしまった。


「知るわけないやろ。自力で口説くんやな」

「口説こうとすると逃げられちゃう」

「じゃあノクト様がヘタレなんや」


 そこで扉がノックされ、ノクトが入って来た。今の会話を聞いていたのか、アスキスをじと目で睨んでいる。


「失礼なことを言われた気がするのだが」

「逃げるのはヘタレですよ。正面から受け止めた上でお断りしないと」


 それを聞いてシエラは愕然としてしまった。


「断るの? 私じゃダメなの?」


 胸がずきりと痛んだ。温かい気持ちが一転して暗くなり、何もかも否定されたような悲しみが湧いてくる。泣きそうになるとノクトが慌てていた。


「シエラがダメというわけではない。色々あるんだ」

「色々って?」

「その、色々だ」


 言葉を濁すノクトにアスキスが一言。


「ヘタレ」

「だから違う!」


 何か言い募ろうとしたが、アスキスの方が話を進めてしまう。


「それで、何の用で来たんですか。別に用も無く来てもいいですけど、ヘタレるのはやめてくださいね」

「嫌味が多いな……聖騎士の任務が入ったので報告したい」


 するとアスキスが居住まいを正した。仕事の話は真面目に聞くらしい。




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