三章3 逃避行、長閑な町
ノクトに抱えられたまま街道を進む。陽が高くなるにつれて人も増え、シエラは少々緊張してしまった。ノクトはそれを察しており、大丈夫だと宥めながら歩き続ける。しばらくして木造の門が見えてきて、小さな町に到り着いた。
「ここが人間の町なの?」
「ああ、ラシェルという昔ながらの穏やかな町だ」
シエラはしげしげと町を観察した。建物は木造二階建てばかりで、壁は白く塗り固められている。森の近くだからか植物が多く、枝葉を広げた樹々が並んでいた。そして、どこを歩いても水路の水音がする。川が多いようだ。聖堂のような立派な建物はないが、長閑で綺麗な町だと思う。
ノクトはこの町をよく知っているのか、迷わず靴屋へ向かった。店主に頼んで革の靴を購入し、シエラの足にそっと履かせてくれた。
「これで一安心だが、傷が良くなるまでゆっくり歩こう」
「町を見て回っていい?」
「では私と一緒に。エスコートさせてほしい」
エスコートのことはよく分からなかったが、ノクトと共に回れるのは嬉しい。歩くと足が痛むが、町を見たいので何とか我慢した。
「ねえ、大きな樹の下にテーブルと椅子がある。この町の人は外で寛ぐの?」
「そうらしい。天気が良い日は気持ちがいいだろうな」
「あの石橋、丸い。可愛い」
「眼鏡橋だ。この町は川が多いから橋も多い」
「あそこの樹、花が咲いている」
見るものすべてが珍しくて、はしゃぎながら散策した。町の人も穏やかで、微笑ましそうにシエラを見ている。人間の町なのに一つも怖いところがない。それが新鮮で楽しかった。
「あそこの家から煙が出てる」
「パン屋のようだ。私の食事を買ってきてもいいかな」
「空腹というやつ?」
「昨日から何も食べていないからね」
ノクトはシエラの手を引き、ゆっくりとパン屋へ向かった。ちょうど焼き立てのパンがあったらしく、嬉しそうに選んでいる。シエラも覗いてみたが、人間の食べ物には興味が湧かなかった。やはり身体の構造からして人間とは違うらしい。
ノクトはパン屋に頼んで紅茶というものを用意してもらい、近くのベンチで食べることにした。シエラも隣に座って食事の様子を観察する。
「ノクト、美味しい?」
「美味しいのだが、間近で見つめられながら食べるのは緊張する」
「見ていたい」
「そ、そうか」
何故か困っていたので、近くの川を眺めることにした。とても狭く浅い川で、流れも穏やかだ。太陽の光が降り注ぎ、水面がきらきらと輝いている。たまに樹々から落ちた葉が揺られながら流されていった。ピンク色の花弁も見かけるが、あれは何の花だろうか。
「ノクト、この町は良いところだね」
町並みは綺麗だし、人間は怖くないし、自然の美しさもある。ノクトはパンと紅茶を気に入っており、食事も美味いと笑っていた。今日はここで過ごしたいと言うと、笑顔で頷いてくれた。
一日町でのんびりした二人は、そのまま小さな宿屋に泊まることにした。ノクトは二部屋取るつもりでいたが、部屋がないのとシエラの「一緒がいい」の一言で渋々同室となった。シエラはご機嫌である。部屋の寝台に飛びのり、ごろごろと寝転がった。
「今日は布団で眠れるね」
「ああ……無防備すぎないか」
「何が?」
「いや、何も。湯浴みを先に済ませようか」
ノクトは咳払いし、宿の者に湯浴みの手配を頼みに行った。この宿にはシャワーがなく、盥に湯を張って自分で洗わなければならないらしい。
「シエラ、一人で洗えるか」
「多分大丈夫」
「少し心配だ。傷もあるし、宿の女性に手伝ってもらおう」
そう言って部屋を出ようとしたが、シエラは首を傾げてしまった。
「ノクトに手伝ってほしい」
するとノクトは扉に頭をぶつけていた。妙な挙動である。
「……シエラ、もう少し恥じらいというものを持った方が……」
「何か変だった?」
見知らぬ女性よりノクトがいいと思ったのだが、それはいけないことなのだろうか。では何がいけないのだろう。人間の価値観はシエラにはよく分からない。ノクトは困り果てていたが、窓辺の椅子に座って諭すように言う。
「シエラは女の子だろう。男に肌を見せるものではない」
「肌? 裸のこと?」
「そうだ。気を許した男なら話は別だが」
「じゃあノクトに見せても問題ない」
ノクトが文字通り頭を抱えていた。気を許しているというのに問題らしい。シエラは寝台を転がり、ノクトの前に陣取った。
「ノクトには気を許しているからいいと思う」
「駄目だ。想いが通じ合った関係の相手にしなさい」
「それは夫婦のこと? 私、ノクトがいい」
瞳を輝かせるとノクトは沈黙していた。困らせたのかと思ったが、耳がほんのり赤くなっている。確かこの反応は照れるというやつだったと思う。
「ノクトは私に気を許してないの?」
「……そういう話は苦手だ」
「どうすれば気を許してくれる?」
知りたくて身を乗り出してしまう。ノクトはたじたじになっているが、シエラは気付かない。そのまま詰め寄ろうとしたが――。
「お客様、湯浴みの準備ができました」
ノクトは素早く立ち上がり、店の者にシエラの湯浴みを手伝うよう頼んだ。上手く逃げられてしまった。少しむくれたが、まだ時間はある。聖堂に戻るまでに聞き出してしまえばいい。
湯浴みを済ませると眠くなってしまい、寝台に倒れて眠りについた。
寝息を立てるシエラを見て、ノクトは深く安堵し、ぽつりと呟く。
「心臓に悪い」
人外故か無防備すぎて、色々と試されている気がする。今だってシエラのシャツがはだけ、見えてはいけないものが見えそうてしまいそうだ。肌に触れないように慎重に整えたが、寝返りを打つと今度はスカートが捲れそうになる。
これまで様々な苦難を乗り越えてきたが、この種の苦難は初めてだ。ノクトは赤くなりながらシエラに毛布をかけたのだった。




