第51話「転」
殲滅戦から三日。
コールが施設に来た。一人ではなかった。分析チームを二名連れていた。タブレットとノートパソコンを抱えた若い男と女。軍服ではなく私服。技術者だった。
会議室。日本側は悠、高梨、赤城、園田。アメリカ側はコール、ミラー、分析チームの二名。椎名はモニター越し。
コールが最初にやったことは、九名の名前を読み上げることだった。
「ナカムラ・ケン。ハリス。ダン。ウィルソン。カーター。ジョンソン。オブライエン。トーマス。ペレス」
一人ずつ。ゆっくり。会議室の全員が黙って聞いた。
コールの声が最後の名前で微かに揺れた。すぐに戻した。
「以上の九名の死亡を確認しました。遺体は回収できていません。——この九名の死を無駄にしないために、今日は次のステップを決めます」
コールが分析チームの女に目配せした。女がノートパソコンを開いた。
「殲滅戦のデータ分析結果を報告します」
画面がプロジェクターに映った。グラフ。波形。地図。
「ミラー軍曹の証言と無線記録、残存装備のセンサーデータをAIに投入しました。結論は明確です」
波形が表示された。横軸が時間、縦軸が振動強度。
「ベースキャンプで発生した振動が地中を伝搬し、半径十キロ以上に拡散しています。M4カービンの単発射撃で半径二キロ。フルオート射撃で五キロ。グレネードで十キロ以上。この振動が大型生物の接近を引き起こしました」
十キロ。グレネード一発で、十キロ先の魔物を呼んでいた。真鍋がベースキャンプ作戦で死んだのも、俺たちが発煙筒を焚いた振動が何かを呼んだからかもしれなかった。
「時系列で見ると、最初の群れとの交戦開始から四十七分後に大型四足歩行体が検知圏内に出現。五十二分後に飛翔体が接近を開始。六十一分後に大規模群れの暴走が発生。——つまり、最初の銃声から一時間で四種の脅威が集中しました」
一時間。銃を撃ち始めてから全滅まで一時間。
コールが口を開いた。
「原因は特定された。振動と音だ。——では対策を」
分析チームの男が立った。
「三つの提案があります」
一つ。サプレッサー付き武器への全面切り替え。M4にサプレッサーを装着すると発射音が約三十デシベル低下する。振動の伝搬距離は十分の一以下になる。加えて、グレネードランチャーの使用を完全に禁止する。
二つ。ベースキャンプの位置変更。管理区域の外縁ではなく、より離れた位置に小規模な前進基地を構築する。人員は最大四名。大部隊ではなく偵察チーム編成に。滞在時間を最大四十八時間に制限。
三つ。佐倉三等陸尉の感覚データのリアルタイム記録。転移中の脳波、心拍、皮膚電位をウェアラブルセンサーで記録し、AIに学習させる。佐倉が「脅威」を感知するときの生体データのパターンを特定できれば、将来的にセンサー網の構築が可能になる。
三つ目で空気が変わった。
園田が口を開いた。
「佐倉さんのデータの取得について、範囲を確認させてください。脳波と心拍は既にこちらで記測しています。そのデータを共有することは可能です。ただし、生データの提供ではなく、加工済みの分析結果としてです」
分析チームの男が答えた。
「可能であれば生データが望ましい。AIの学習には——」
「生データは出しません」
園田の声が硬かった。メガネの奥の目が動かなかった。
「佐倉さんの脳波データには、あちら側の魔族との通信に関わるパターンが含まれている可能性があります。生データを渡すということは、魔族との接触情報を丸ごと渡すということです。それは佐倉さんの同意なしにはできません」
分析チームの男がコールを見た。コールが俺を見た。
「佐倉三等陸尉。あなたの判断は」
「加工済みデータの共有は構いません。生データは出しません。園田さんの判断に従います」
コールが頷いた。分析チームの男が何か言いかけたが、コールが手で止めた。
「加工済みデータで進めてください」
提案の一と二は全員が同意した。サプレッサー付き武器。小規模チーム。短期滞在。音と振動を出さない作戦。
ここで俺が手を上げた。
「もう一つ、提案があります」
全員が俺を見た。
「魔族と直接会います」
部屋が静かになった。
「管理区域に入ります。前に一度入ったことがあります。あの領域の中では蟲も群れの魔物もいなかった。管理区域の中は、あの世界で最も安全な場所かもしれない」
高梨が眉を上げた。「安全とは限りません」
「限りません。でも、ベースキャンプをどこに作っても魔物が来る。銃を撃てば呼ぶ。撃たなくても来る。人間の匂い、体温、振動。全部があの世界では異物です。——でも管理区域の中では、魔族が生態系を制御している。蟲を排除し、魔物を遠ざけている。俺たちが魔族の領域に入れてもらえれば、魔物から守られる可能性がある」
園田が頷いた。「理論的には正しい。管理区域は魔族の防衛圏です。あそこに入れてもらえるなら、人間にとっても安全圏になる」
コールが腕を組んだ。
「つまり、あちら側の生物と戦うのではなく、あちら側の知的存在の庇護下に入ると。——軍事的に言えば、現地勢力との同盟です」
同盟。魔族と。人間と全く異なる知性を持つ存在と。
「同盟と呼べるかはわかりません。でも、撃って殲滅されるよりましです」
ミラーが口を開いた。この会議で初めてだった。
「俺も行く」
全員がミラーを見た。
「佐倉一人で行かせない。俺が横にいる。銃は持っていく。ただし——」
ミラーが俺を見た。
「撃たない。お前が撃てと言わない限り、撃たない」
九人を失った人間の言葉だった。重かった。
「ありがとうございます。——ただし、管理区域の中では銃は意味がないかもしれません。あの領域を管理している存在に対して、銃は通じない。通じたとしても、撃った瞬間に全てが終わる」
「わかっている。それでも持っていく。武器を持たない軍人は軍人じゃない。——使わないことと、持たないことは違う」
ミラーの言葉に、赤城が微かに頷いた。赤城も同じことを思っている顔だった。
コールが黙っていた。九人死んだ直後に、また人を送る。また失うかもしれない。でもコールは止めなかった。止める権利はもうなかった。悠が指揮官だ。本物の指揮官だ。
「行ってこい」
コールの声は静かだった。
「ただし、四十八時間ルールは守れ。長くいすぎるな。何かおかしいと思ったら即帰還。——これ以上名前を読み上げたくない」
九名の名前。コールはさっき一人ずつ読んだ。もう増やしたくない。俺と同じだった。
「増やしません」
コールが俺を見た。少しだけ目が緩んだ。
「俺も同じことを考えていた。名前のリストを増やしたくない。——お前も、何か増やしたくないものがあるんだろう」
テーブルの上の四つの遺品が頭をよぎった。コールに話したことはない。でもコールにはわかるのだろう。同じ種類の人間だから。
コールが立ち上がった。
「サプレッサー付きのMP7を準備させる。軽い。音が小さい。——使わないことを祈る」
会議が終わった。
分析チームの二人が部屋を出ていくとき、男の方が廊下で携帯を取り出していた。誰かに報告している。DCSだろう。「佐倉が魔族と直接接触する」という情報が、ワシントンに届く。
椎名がモニター越しに言った。
「佐倉さん。DCSがこの情報を手に入れたら、あなたの価値がさらに上がります。魔族と交渉できる唯一の人間。——守り切れるかどうかは、あなたが魔族と何を築けるかにかかっています」
「わかっています」
ポケットの中の拓海の財布に触れた。
明日、管理区域に入る。ミラーと二人で。撃たない。近づく。感じ取る。
あの暗い森の奥で、皮膚の色が変わる異形の存在が待っている。
今度は数分では帰らない。今度は、話す。




