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魔界世界  作者: 彗
接触

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第49話「兆」


 悠の仕事は送ることだった。


 ベースキャンプに十二名が入った後も、補充の物資と交代の人員を送り続ける必要があった。ボンベの予備。水。食料。弾薬。一回の転移で悠が持てる量は限られている。二人の手を握って、足元のコンテナを蹴って。それが一回分。


 転移のたびに、あの世界のどこかに落ちる。ベースキャンプの場所は狙えない。降ろした二人は、無線でベースキャンプの位置を確認して、徒歩で合流する。悠は降ろしたら帰還を待つ。数分で返される。


 ベースキャンプの中で何が起きているかは、無線の断片でしか知れなかった。


 一回目の補給転移。ベースキャンプ建設から二日後。


 ボンベの予備六本と水をコンテナに詰めて、交代要員のウィルソンとカーターの手を握った。


 森だった。ベースキャンプとは違う場所。足裏で方角を確認して二人に伝えた。「南東に四キロ。ミラーさんに無線を入れてから移動してください」


 ウィルソンが無線を起動した。ノイズ。ザザザ。その中にミラーの声。


 「——base camp secure. No contact since yesterday. Send supplies to——」


 断片的だったが、聞こえた。ベースキャンプは無事。昨日から接触なし。


 足裏がずきんと痛んだ。帰還。滞在時間は三分もなかった。


 帰還後、施設の無線室で受信を続けた。あの世界の電波は不安定で、こちら側との通信はほぼ不可能だったが、あちら側同士の無線のノイズが微かに漏れてくることがあった。園田が周波数を調整して、拾える信号を拾った。


 三日目の夜。無線に声が入った。ミラーの声。


 「——contact. Six hostiles. Engaged with small arms. Hostiles retreating.」


 接触。六体。小火器で交戦。撃退。


 群れの魔物が来た。そして銃で撃った。撃退した。


 四日目。また無線。


 「——eight hostiles this time. More aggressive. Used grenades. All clear.」


 八体。前より攻撃的。グレネードを使った。制圧完了。


 グレネード。手榴弾。あの世界の地面に手榴弾の爆発が響いた。


 足裏がじんじんした。施設にいるのに、あの世界の地脈が揺れた気がした。気のせいかもしれない。でも嫌な予感がした。


 五日目。無線。


 「——hostiles didn’t come last night. Quiet. Too quiet.」


 昨夜は来なかった。静かだった。静かすぎた。


 静かすぎる。前にも同じことがあった。蟲が消えて、空が紫に脈打って、あの世界全体が何かを待っているような静寂。


 園田に言った。


 「嫌な感じがします。静かすぎる」


 「静かなのは良いことでは?」


 「あの世界では静かなのが一番怖いんです。何かが来る前に、他の魔物が消える。前にもそうだった」


 園田がメガネを押し上げた。


 「次の転移で確認できますか」


 「行ってみます」


 六日目。転移が来た。


 一人で行った。補給物資だけ持って。


 足元がぶよぶよした。


 開けた場所だった。赤黒い大地。


 そして——バリケードが見えた。


 二百メートル先。偶然、ベースキャンプの近くに出た。


 走った。裸足だった。靴を脱ぐ余裕がなかったのではなく、最初から脱いでいた。地面を直接感じるために。


 バリケードの中に入った。ミラーが迎えた。防護マスクの下の目が疲れていた。


 「佐倉。来たか」


 要塞は機能していた。バリケードが立っている。監視ポストが稼働している。テントが三つ。コンテナが整列。兵士たちが動いている。


 ただし地面に変化があった。バリケードの外に、銃弾の薬莢が散らばっている。グレネードの爆発痕が二箇所。黒く焦げた円形の跡。地面が抉れている。


 兵士の一人が笑いながら言った。


 「こいつら銃で死ぬじゃねえか。ファンタジーゲームの方がよっぽど手強いぜ」


 笑い声。数人が笑った。


 悠は笑えなかった。


 足裏に意識を集中した。裸足で、あの世界の地面に直接立っている。


 地脈が変わっていた。


 ベースキャンプの周囲数キロの地脈が、荒れていた。銃声とグレネードの振動が地面に染み込んで、波紋のように広がっている。何日分もの振動が、何層にも重なっていた。この地面は今、あの世界の奥まで「ここで何かが起きている」と叫んでいる。


 もっと遠くに意識を飛ばした。五キロ先。十キロ先。


 いた。


 大きなものが複数。ゆっくりこちらに向かっている。群れの魔物ではない。もっと重い。地面を揺らしながら歩いている。一歩一歩が地震のように足裏に届く。


 そしてもう一つ。足裏では感じ取れないもの。でもわかった。空気が変わっていた。瘴気の匂いが変わっていた。上から。空に何かがいる。


 「ミラーさん」


 「何だ」


 「撃つのを控えてください。銃の振動が地面を通じて遠くまで伝わっています。何かを呼んでいる。遠くから大きなものがこっちに向かっています。複数。——それと、空にも何かがいる」


 ミラーの目が変わった。


 「どのくらい先だ」


 「十キロくらい。でも近づいてきている。このまま撃ち続けたら——」


 足裏がずきんと痛んだ。


 帰還の兆候。今か。今なのか。


 「ミラーさん。撃たないでください。頼みます。あいつらが来る前に——」


 足元がぶよぶよした。


 最後に見えたのは、ミラーの目だった。何かを言おうとしていた。でも聞こえなかった。


 部屋の床。一人。


 鼻血。頭痛。数分の滞在。言いたいことの半分も言えなかった。


 施設の無線室に走った。周波数を合わせた。


 ノイズ。ザザザ。


 ミラーの声が聞こえた。断片的に。


 「——佐倉 said something’s coming. Big. Multiple. From the north. And something in the air.」


 ミラーは伝えていた。兵士たちに。悠が言ったことを。


 別の声。兵士の声。


 「So what? We’ve got enough firepower to——」


 銃声が混じった。


 また撃っている。群れの魔物が来たのだろう。撃っている。撃つなと言ったのに。


 無線がノイズに埋もれた。声が聞こえなくなった。


 園田が隣にいた。


 「佐倉さん。次の転移はいつ来ますか」


 「わかりません。——でも、間に合わないかもしれない」


 テーブルの上の四つの遺品が目に入った。拓海の財布。森塚の手袋の切れ端。真鍋の靴。日下部の手袋。


 もう増やさない。そう誓った。


 足裏がじんじんしていた。あの世界で何かが近づいている。大きなものが。重いものが。空にも何かが。


 そして俺はここにいる。こちら側に。何もできない。


 待つことしかできなかった。

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