第47話「陣」
施設に戻ると、景色が変わっていた。
駐車場に大型トラックが三台。荷降ろしが進んでいた。コンテナの蓋が開いていて、中から見たことのない装備が次々と運び出されていた。
赤城が荷降ろしの横に立っていた。腕を組んで、目を細めていた。
「すごいですね」
すごかった。防護服が今まで使っていたものと全然違った。厚みがあるのに軽い。関節部分が柔らかく動く。背面にボンベの接続口が二つ。二本同時装着。容量が倍。
ボンベの予備が大型コンテナに詰まっていた。日本側が持っていた量の十倍はあった。
通信機器。暗視装置。GPS(あの世界で使えるかはわからないが)。簡易バリケード資材——鉄杭とワイヤーとネットを組み合わせて、短時間で防御陣地を構築するキット。
重火器。自動小銃。グレネードランチャー。弾薬箱が山積みになっている。
岸本がコンテナの中身を一つずつ確認していた。両膝をついて、丁寧に。岸本は何をするにも丁寧だった。新型防護服を手に取って、縫い目を指で辿って、頷いた。
「いいものですね」
岸本の「いいもの」は最高の褒め言葉だった。
高梨が来た。杖なし。歩き方がもう完全に普通だった。
「佐倉さん。午後にブリーフィングをお願いします。アメリカ側の全員に。——あなたがやってください」
「俺が」
「あなたがあの世界を一番知っている人間です。あなたの口から伝えるのが一番伝わる」
午後。施設の大会議室。
日本側:悠、赤城、岸本、高梨。
アメリカ側:ミラーと精鋭十二名。
十二名が椅子に座っていた。全員が大きくて、手が厚くて、目が鋭かった。腕に古い傷跡がある者が何人かいた。全員が実戦を経験している体だった。
全員が俺を見ていた。
目が冷たかった。冷たいというより、測っていた。二十三歳。日本人。三等陸尉。こいつに指揮されるのか。こいつの命令で自分の命を預けるのか。その計算をしている目だった。
ミラーが最前列に座っていた。腕を組んでいた。
俺はテーブルの前に立った。白板の横。高梨が用意してくれた写真が数枚、テーブルの上に伏せてあった。
英語で話した。発音は悪い。文法も怪しい。でも椎名が言った。「発音は不問。意思伝達ができれば十分」。
瘴気のことを話した。あの世界の空気は毒だと。四日でボンベが切れると。十日を過ぎると体が壊れ始めると。兵士たちの表情が変わり始めた。笑っていた目が消えた。
魔物のことを話した。弾が弾かれる装甲の魔物。学習する群れの魔物。五回遭遇したら対処不能になると。兵士の一人が腕を組み直した。別の一人が隣と目を合わせた。
一人の兵士が英語で呟いた。小さな声だったが聞こえた。
「Sounds like a fantasy game.」
ファンタジーゲームみたいだ。
聞こえないふりをした。代わりに、テーブルの上の写真を表に返した。
一枚目。引き裂かれたテント。支柱が折れている。布に爪痕。
二枚目。赤黒い地面に広がる血痕。乾きかけている。
三枚目。真鍋の靴。片方だけ。泥と血。紐がちぎれている。
「これが前回のベースキャンプ作戦の結果です。日本の軍事コンサルタントが一人死にました。元海自の特殊部隊員です。あの世界に十二日間いて、装甲の魔物を退け、群れの魔物を四回退けて、五回目に殺されました。発煙筒は三本。全部使い切っていました。最後の一本は、倒れた場所で焚いていました」
部屋が静かだった。さっきの「ファンタジーゲーム」の声はもう聞こえなかった。
「彼の名前は真鍋涼介。俺が連れて行きました。俺が手を離して、あちら側に残しました。俺が最後に見たのは、煙の向こうで発煙筒を拾い上げる彼の背中でした」
ミラーが腕を組んだまま、写真を見ていた。
「もう一つ、重要なことがあります」
全員が俺を見た。
「俺が『撃つな』と言ったら、撃たないでください。あの世界では銃の音が何を呼ぶかわからない。前回の作戦でも、発煙筒で退けた後にもっと大きなものが来ました。振動が地面を伝わって、遠くの魔物を引き寄せる。銃は発煙筒の何十倍も響く。重火器なら何百倍も。——撃てば勝てるかもしれない。でもその音が何を呼ぶかは、誰にもわからない」
兵士たちの目が変わっていた。冷たさが消えていた。代わりにあったのは、緊張だった。本物の緊張。ファンタジーの話ではなく、自分の命がかかっている場所の話を聞いている人間の緊張。
「質問があれば」
ミラーが手を上げた。
「その『もっと大きなもの』とは何だ」
「わかりません。俺が帰還した後に来た。残されていたのは血と靴だけでした」
ミラーが黙った。三秒。
「了解した」
ブリーフィングが終わった。
兵士たちが会議室を出ていく中で、ミラーが残った。椅子に座ったまま、写真を見ていた。真鍋の靴の写真。
「真鍋という男は、どういう人間だった」
英語ではなく、日本語で聞いてきた。片言だったが意味は通じた。
「強い人だった。怖がらない人だった。——いや」
違う。
「怖がっていた。でもそれを見せなかった。最後まで。あの世界を『おもしろい』と言い続けた人だった」
ミラーが靴の写真から目を上げた。
「あの世界は本当にそんなに危険か」
「俺の兄が死にました。大学教授が死にました。自衛官が死にました。真鍋さんが死にました。全員が俺の手を握っていた人間です。全員が、俺と一緒に行って、帰ってこなかった」
ミラーの目が変わった。値踏みの目ではなかった。
「お前は——何人失った」
「四人」
「四人」
ミラーが立ち上がった。俺より頭一つ大きかった。
「俺はイラクで三人失った。アフガンで二人。——五人だ」
同類。高梨が言ったのと同じ言葉が浮かんだ。人を失った人間同士。
「お前の命令には従う。コール大佐の命令だからじゃない。お前が四人失って、まだあの世界に行こうとしているからだ。——俺にはそれでわかる」
ミラーが手を差し出した。二回目の握手。昨日の握手とは違う手だった。同じ硬さ、同じ強さ。でも温度が違った。少し温かかった。
「明日、よろしく頼む」
「こちらこそ」
夜。園田の研究室。
日下部と町田のデータが画面に並んでいた。園田がコーヒーを飲んでいた。冷めたコーヒー。この人はいつも冷めたコーヒーを飲んでいる。
「園田さん。六回の転移に、体は持ちますか」
「一日で六回は無理です。延べ数日かけて、二回ずつ三日間。一回の転移の間隔が短すぎると脳が追いつかない」
「鼻血が止まらなくなりますか」
「その可能性はあります。前に岩場で感知範囲を広げたとき、両鼻から出ていました。六回の転移を短期間で繰り返したら、もっとひどくなるかもしれない」
園田がコーヒーカップを置いた。
「佐倉さん。正直に言います。あなたの体が六回の転移に耐えられるかどうかは、わかりません。データが足りない。前例がない。——でも」
園田が俺を見た。メガネの奥の目。
「やるしかないですね」
「やるしかないです」
園田が微かに笑った。この人が笑うのは珍しかった。
「真鍋さんの口癖みたいなことを言いますね」
「何とかなるやろ、ですか」
「それです」
何とかなるかはわからない。でもやる。真鍋ならそう言う。楠木なら「何とかならないことを前提に備える」と言う。俺は二人の間のどこかにいた。
研究室を出た。廊下の蛍光灯がちかちかしていた。いつもの廊下。いつもの光。
明日から、十二人のアメリカ兵をあの世界に送り込む。俺の手で。二人ずつ。六回。
ポケットの中の拓海の財布に触れた。
増やさない。テーブルの上のものを、もう増やさない。
足裏がじんじんしていた。あの世界が待っている。




