第37話「断」
町田の聞き取りは翌日から始まった。
園田が止めた。「まだ早い。体を休ませてください」と。高梨が押し切った。「時間がない。真鍋さんがまだあちら側にいる」と。
医務室のベッドの上で、町田は話した。声がかすれていて、一文ごとに息を継いだ。園田が隣で録音していた。俺と赤城と高梨——高梨は車椅子で来た——が聞いた。
町田は時系列で話した。この人は混乱しない人間だった。体が壊れかけていても、記憶が正確だった。
初日。転移直後。開けた場所。テントを張った。真鍋さんが周囲を警戒し、自分が装備を展開した。瘴気の匂いが防護マスクの隙間から漏れていた。甘い腐臭。夜になると地面の筋が光った。
二日目。地面を這う黒い装甲の魔物が来た。腕くらいの太さではなく、体長が一メートル近い大きなやつだった。甲殻が硬く、拳銃の弾が弾かれた。発煙筒を焚いたら退いた。真鍋さんが「弾が効かんのはまずいね」と言った。
三日目。同じ魔物がまた来た。今度は三匹。発煙筒で退けた。真鍋さんがテントの周囲に発煙筒の燃え殻を並べたら、匂いを嫌がって近寄らなくなった。
四日目。ボンベが切れた。マスクを外した。最初の呼吸で咳き込んだ。喉が焼けるように痛かった。三十分くらいで慣れた。慣れたというか、痛みが鈍くなった。真鍋さんは平気そうだった。「ちょっと甘いね、空気」と言った。
五日目。別の魔物が来た。
町田の声が変わった。
「装甲の魔物とは違いました。二本足で、低い姿勢で、群れで来ました。最初は四匹。テントの周りを囲むように動いて、一匹ずつ違う方向から近づいてきた」
「発煙筒は」
「効きました。一回目は。赤い煙を見て退きました。——でも退き方が気になった。パニックで逃げるんじゃなくて、煙を見ながら後ろに下がった。観察していた」
高梨の目が細くなった。
六日目。群れが六匹に増えて来た。今度は発煙筒の煙を正面から突っ切らず、煙の端を回り込もうとした。真鍋さんが発煙筒をもう一本焚いて塞いだ。退いた。
七日目。八匹。夜に来た。テントの紐を前肢の先端——湾曲した長い何かで引っ掛けて切ろうとした。真鍋さんが発煙筒を直接投げつけた。退いた。
「毎回、やり方が違いました。同じ手は使わない。前に効いたことを覚えていて、次は別の方法で来る。——楠木三曹を殺した蟲の魔物とは違う種類の恐怖でした。蟲は暴力で来る。あいつらは考えて来る」
八日目。テントの場所を放棄した。発煙筒の残りが六本。ここにいたら全部使い切る。真鍋さんの判断で移動を開始した。
川沿いに出た。水を確保するために。だが川の底に何かがいた。泥の下に隠れていて、岸辺を通ったとき水面が膨らんだ。真鍋さんが「離れろ」と言った。内陸に戻った。
「真鍋さんには足裏の感覚がないはずですが、どうやって気づいたんですか」
「わかりません。でも真鍋さんは何かを感じていた。水面を見ていて、急に表情が変わって『離れろ』と。——あの人は勘が異常にいい」
勘ではないかもしれない、と思った。真鍋も変わり始めているのかもしれない。俺と同じように。
九日目から十日目。移動しながら群れを避けた。群れは追ってきた。距離を保ちながら。すぐには攻撃してこなかった。
「群れが追ってくる間、真鍋さんはずっと後ろを歩いていました。自分が後衛。前に何かいたら私が止まる。後ろから群れが来たら真鍋さんが対処する。——二人だけの隊形でした」
十一日目。町田の足が痺れ始めた。歩けなくなった。
「足裏に痕が出ていることには気づいていましたか」
「はい。五日目くらいから。赤黒い筋が足裏に広がっていくのが見えていました。呪いだと思いました。あの地面を歩いたから、呪いが足から入った」
呪い。町田は科学者ではないから、そう表現する。町田にとっては呪いだった。
「あと、一つ。真鍋さんから伝言があります」
町田がそう言ったとき、部屋の空気が変わった。
「十一日目の夜、歩けなくなった私を真鍋さんがテントに運んでくれた後、真鍋さんが言ったんです。『もし帰れたら、高梨さんに伝えてくれ』と」
高梨が身を乗り出した。車椅子が軋んだ。
「何と」
「『佐倉くんを自衛隊に入れろ。特別職でいい。肩書きをつけろ。今のままじゃあの子はただの民間人で、アメリカが来たら一瞬で持っていかれる。自衛官なら日本の組織の人間になる。簡単には手出しできんくなる』」
町田が言葉を切った。息を継いだ。かすれた声で続けた。
「『それと、佐倉くんの能力を伸ばせ。転移先を選べるようになれば作戦の前提が変わる。足裏の範囲が広がれば偵察の質が変わる。人を送り込んで死なせるんじゃなくて、佐倉くん自身を強くしろ。そっちの方が人が死なん』」
部屋が静かだった。
真鍋の声が、町田の口を通じて聞こえていた。博多弁が混じった、あの軽い声が。十一日目の夜に、自分が死ぬかもしれないとわかっていて、それでも悠の未来を考えていた。
「以上です」
町田がそう言って、目を閉じた。
十二日目。俺たちが来た。
町田の証言が終わった。
高梨が車椅子の上で黙っていた。長い沈黙だった。
「結論を出します」
高梨の声が低かった。
「ベースキャンプ作戦を凍結します」
赤城が動かなかった。俺も動かなかった。
「理由は三つ。一つ。ボンベが四日で切れる。瘴気の中で人間が活動できる期間は、町田さんの例を見ると十日前後。それを過ぎると呪いが体を蝕み始める。二つ。学習する魔物の群れが発煙筒の効果を数回で無効化する。現状の装備では対抗手段がない。三つ。水辺に近づけない。待ち伏せ型の魔物がいる。水の確保ができない。——人を送れば送るだけ死にます。今の日本の戦力では、あの世界に人を長期間滞在させることは不可能です」
「真鍋さんは」
「次の転移で捜索します。ただし——」
高梨が俺を見た。
「覚悟してください」
覚悟。何の覚悟か、聞かなくてもわかった。
高梨が少し間を置いて、言った。
「佐倉さん。真鍋さんの提言について」
「……聞いてました」
「自衛隊への入隊。特別職としての任官。——私も同じことを考えていた。真鍋さんの言う通りです。今のあなたはただの民間人で、何の保護もない。組織の中に入れば、肩書きが盾になる」
「俺が自衛官に」
「形式上の話です。訓練を一からやるわけじゃない。S案件に関わる特別職として任官する。指揮系統に入る。装備・人員・情報に正規のアクセス権を持つ。——そしてアメリカに対して、あなたは日本の自衛官であり、自衛隊の指揮下にあると言える」
真鍋が死にかけながら考えていたのは、俺の守り方だった。
「……考えさせてください」
「はい。ただ、アメリカの動きを考えると、あまり時間はありません」
その日の夕方、椎名から呼び出しがあった。
施設の会議室ではなく、都内のホテルの一室。椎名が一人で待っていた。スーツ。いつもと同じ顔。水ぶくれを見ても顔色を変えない人間の顔。
「座ってください」
座った。椎名がテーブルの上にタブレットを置いた。
「アメリカの動きが想定より速い」
「速いというのは」
「情報が漏れてから十日で、国防総省に専門チームが立ち上がっています。通常なら数ヶ月かかる。AIで分析から編成まで同時並行で回しているとしか考えられない」
椎名がタブレットを操作した。画面に英語の文書が映った。読めなかった。
「在日米軍の内部通信の断片です。非公式に入手しました。ここに”asset”という単語が出てきます。佐倉さんのことです」
アセット。資産。道具。
「アメリカの目的は二つ。あちら側へのアクセス権を得ること。そして佐倉さんを管理下に置くこと」
「管理下」
「行動、健康状態、能力の変化。全てのデータをAIに学習させたい。佐倉さんの転移パターンを解析して、いずれは佐倉さんなしで門を開ける方法を見つけたい。——それが本音です」
俺を解析して、パターンを抜いて、再現する。そうなったら俺は要らなくなる。
「椎名さん。俺はどうすればいいんですか」
椎名が俺を見た。あの目。何を見ても顔色を変えない目。
「今のところ、何もしなくていい。私が抑えます。——ただ、ベースキャンプ作戦が凍結されたことで、日本単独の限界が見えた。高梨さんの報告は正しい。今の戦力では足りない」
「アメリカを入れろということですか」
「まだです。——ただ、遅かれ早かれ判断を迫られます。そのとき、佐倉さん自身が選べるように準備しておいてください」
「何を準備するんですか」
「自分が何を守りたいのかを。全部は守れません」
椎名が立ち上がった。
「真鍋さんのことは聞いています。次の転移で捜索するなら、気をつけて」
椎名が出ていった。
ホテルの窓から東京の夜景が見えた。光。人。車。普通の世界。
あの世界では、真鍋がまだいる。発煙筒を三本握って。学習する魔物の群れの中で。
全部は守れません、と椎名は言った。
何を守るのか。まだ答えが出なかった。




