第33話「空」
次の転移は三日後に来た。
岸本を連れて行く番だった。真鍋と町田のところに合流させる。ただし同じ場所に出る保証はない。
岸本は二十代前半。志願者の中で一番若かった。痩せていて、目が大きくて、どこか学生みたいな顔をしていた。高梨の推薦書には「判断が速い」とだけ書いてあった。
足裏が脈打った。深夜三時。
岸本がコンテナを持って準備室に来た。真鍋たちへの補給物資。水、食料、ボンベの予備。コンテナを床に置くとき、両膝をついて静かに降ろした。音を立てなかった。丁寧な人間だった。
「佐倉さん。お願いします」
岸本の手を握った。右手。冷たかった。真鍋のような硬さはなく、町田のような汗もなかった。ただ冷たかった。
足元がぶよぶよした。
森だった。
密度の高い森。前回の開けた場所とは全然違った。柱みたいな木の群れが視界を塞いでいて、三メートル先が見えない。地面は赤黒い泥で、粘液が足首まで来ていた。
前回と、違う場所だった。
足裏に意識を集中した。地脈の筋が動いている。方向は揃ったまま。脅威は——遠くにいる。複数。小さいのと、大きいのが一つ。でもすぐには来ない。
「岸本さん。前回と違う場所です。真鍋さんたちとは合流できません」
岸本の目が動いた。大きな目がさらに開いた。
「……どうしますか」
岸本をここに降ろすか。一人で。真鍋たちとは合流できない場所に、一人で残すか。日下部と同じだ。日下部は二週間で体がおかしくなった。
でも降ろさなければ、真鍋と町田に補給が届かない。もう三日経っている。ボンベがどれだけ持つかわからない。
楠木が二人いても死んだ。一人では——。
「帰ります」
自分の声が聞こえた。
「降ろしません。一人では残せない。帰ります」
岸本が俺を見た。何か言いかけて、止めた。頷いた。
「了解です」
足元がぶよぶよして、帰還した。
部屋の床。二人。
岸本がコンテナを床に置いた。補給物資。届けられなかった物資。真鍋と町田に届くはずだったものが、ここにある。
赤城が来た。
「合流できませんでした」
「場所は」
「森の中。前回とは全然違う場所です。密度が高くて視界がない。岸本さんを一人で残す判断はできませんでした」
赤城が三秒黙った。
「正しい判断です」
正しい判断。でも真鍋と町田は三日間あちら側にいて、補給が届かなかった。正しい判断が正しい結果を生むとは限らない。
岸本が準備室を出ていくとき、振り返った。
「佐倉さん。ありがとうございます」
何に対する礼なのかは聞かなかった。降ろさなかったことへの礼だろう。一人で残されなかったことへの。
園田が研究室から出てきた。
「佐倉さん。日下部さんの首の痕が、さっき急に活発になりました。佐倉さんがあちら側にいた時間帯と一致しています」
「前と同じ反応ですか」
「同じです。佐倉さんが転移するたびに、日下部さんの痕が連動する。ただ、今回は——」
園田が言いよどんだ。
「今回は何ですか」
「反応が前より強かったんです。前回の転移のときより。あちら側に二人いるからかもしれない。真鍋さんと町田さんがあちら側にいることで、こちら側の日下部さんの痕が強く反応している可能性がある」
あちら側にいる人間が増えれば、二つの世界の接続が強くなる。日下部の痕がそれを示している。
「それは——良いことですか、悪いことですか」
「わかりません」
園田の口癖だった。わかりません。でもこの人が「わかりません」と言うとき、それは正直な科学者の言葉であって、無関心ではない。わからないからこそ知りたい。知りたいからこそデータを取り続ける。
「次の転移で真鍋さんたちのところに出る確率は」
「ゼロに近いです。転移先はランダムですから」
「夢で見えませんか。地脈の目で」
「覚醒中に地面に信号を送れるなら、睡眠中にあの網目を意図的に辿れるかもしれない。人間がいれば体温や重みの痕跡があるはずです。——ただ、距離には限界がある」
夜。ベッドの中。
地脈の目で真鍋たちを探した。足裏に集中して、あの網目の上に人間の痕跡を探した。
見つからなかった。広すぎた。日下部を見つけたときは近くにいた。今回はどこを探せばいいかすらわからなかった。方角も距離もない。あの世界に座標がない。
目が覚めた。額に汗が浮いていた。
真鍋と町田は今、あの世界のどこかにいる。テントの中にいるかもしれない。魔物に追われているかもしれない。もう死んでいるかもしれない。
俺にはわからない。
次の転移を待つしかない。次の転移で同じ場所に出ることを祈るしかない。でも園田が言った。確率はゼロに近い。
テーブルの上を見た。遺品はまだ増えていない。まだ。
でも真鍋たちが今どうなっているか、俺にはわからない。コンテナの補給物資が部屋の隅に置いてある。届けられなかった水と食料。
あの二人は今、水を飲めているだろうか。
また眠れなかった。




