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魔界世界  作者: 彗
組織

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24/30

第24話「波」


 眠りに落ちたのか落ちていないのかわからない境界で、あの世界が来た。


 赤黒い大地。灰色の空。地脈の目で見ている。温かいものが赤く、冷たいものが青く。人間の目では見えない世界が広がっている。


 今回は視点を動かせた。


 前回は勝手に動いた。今回は違う。右を見たいと思ったら、右が見えた。前に進みたいと思ったら、前に進んだ。地脈の上を信号が走る方向を、俺の意志で選べている。


 森に向かった。前回日下部を見つけた森。柱みたいな木の群れ。脈動する幹。


 入った。木の間を抜けていく。地脈が木の根元で分岐し、幹を登り、枝に広がっている。全部が繋がっている。地面も木も、一つの巨大な網目。


 日下部がいた木を探した。温かいもの。赤いもの。体温。


 いた。


 前回と同じ木の根元。日下部はうずくまっていた。でも前回と姿勢が違った。膝を抱えるのではなく、仰向けに寝ていた。目が開いていた。


 目が開いているのに、何も見ていない。天蓋の枝葉を見上げているが、焦点が合っていない。虚ろだった。


 呼吸はしている。胸が上下している。前回より速い。浅い。


 日下部の体を見た。地脈の目で。


 前回は足裏から脛までだった赤い筋が、膝を越えて太ももに来ていた。右足にも広がり始めていた。左足だけだったのに。


 腕にも。手の甲。手首。前腕。半袖の防護服の袖から覗く腕に、赤い筋が走っている。


 そして首。


 首の後ろに、円い痕があった。赤黒い。直径五センチくらい。中心にくぼみ。周りに放射状の筋。


 他の筋とは違った。形が整いすぎている。自然にできた痕じゃない。


 何だあれ。


 視点を近づけた。痕の中心のくぼみから、何か細い筋が日下部の皮膚の下に入り込んでいた。一本じゃない。何本も。放射状に広がって、首の筋肉の下に消えている。首から——脊椎に向かって。


 誰がこれをつけた。


 地脈の目で周囲を見た。木々。地面。暗がり。何もいない。——何もいないのに、この痕がある。


 視点がぶれた。接続が揺れている。現実の体が動いた。寝返りを打ったのか。


 最後に見えたのは、日下部の開いた目。虚ろな目。何も見ていない目。あるいは——俺に見えないものを見ている目。


 目が覚めた。


 暗い部屋。枕元にノートパソコンの画面の光。園田が椅子に座っていた。パソコンの前で。目が赤かった。ずっと画面を見ていたのだ。


 「園田さん」


 「起きましたか。——佐倉さん、今何時だと思います」


 「……わからない」


 「午前四時十一分。佐倉さんが眠りに落ちたのが午前零時二十三分。約四時間です」


 「四時間」


 「四時間ずっと、佐倉さんの脳波を見てました」


 園田がパソコンの画面を俺に向けた。波形が表示されていた。横軸が時間。縦軸が振幅。三本の線。前頭葉、側頭葉、後頭葉。


 「最初の一時間は普通の睡眠でした。ノンレム睡眠とレム睡眠の周期が正常に出ている。——ここまでは普通です」


 園田が画面をスクロールした。


 「問題はここから」


 波形が変わっていた。素人の俺にもわかるくらい、明らかに変わっていた。規則的な波が突然乱れて、それから——整い直した。でも最初とは違うパターンで。


 「ここで佐倉さんの脳波に、あり得ないパターンが出ました」


 「あり得ない?」


 「人間の脳波には出ないパターンです。アルファ波でもベータ波でもシータ波でもデルタ波でもない。周波数が低すぎる。0.1ヘルツ以下。人間の脳がこの周波数の波を出すことは、通常ありません」


 「でも出てる」


 「出てます。——しかもこの波には、外部からの入力に対する応答パターンがある」


 「外部からの入力?」


 園田が別のウィンドウを開いた。もう一つの波形。


 「これは先生の研究室にある菌類サンプルの電位です。先生が生前に取ったデータ。あちら側の土壌から採取した菌類の、培養環境下での電気活動」


 二つの波形が並んでいた。


 「見てください。佐倉さんの脳波に出た異常パターンと、菌類サンプルの電位パターン。周波数が一致しています」


 一致。


 「佐倉さんの脳が、あちら側の菌類と同じ周波数で活動していた。四時間のうち、約二時間半。——佐倉さんの脳は、寝ている間、あちら側の地脈と同じ言語で動いていたんです」


 同じ言語。


 「園田さん。俺、また見ました。日下部さんを」


 園田の目が変わった。


 「場所は」


 「前と同じ木の根元。でも状態が悪くなってた。筋が太ももまで来てる。腕にも広がってる。——それと」


 「それと?」


 「首の後ろに、変な痕がある。丸い。中心にくぼみがあって、放射状に筋が出てる。他の筋とは違う。形が整いすぎてる」


 園田が固まった。


 「……自然にできた痕じゃない、ということですか」


 「わからない。でも、前回は見えなかった。今回新しく見えた。日下部さんに何かが——何かがあの痕をつけた可能性がある」


 園田がノートを取り出した。ペンを持った。書き始めた。


 「首の後ろ。円形。直径は」


 「五センチくらい。中心にくぼみ。放射状の筋。くぼみから皮膚の下に何かが入り込んでた。細い筋が何本も。首から脊椎の方に向かって」


 園田のペンが止まった。


 「脊椎に」


 「はい」


 「それは——」


 園田が何か言いかけて、やめた。ペンをくるりと回した。あの癖。


 「佐倉さん。日下部さんを、早く救出しないといけない」


 声が低かった。いつもの切り込むような調子ではなく、静かな、切迫した声だった。


 「何が起きてるんですか。あの痕は」


 「推測です。推測ですが——あの痕が脊椎に到達しているなら、日下部さんの神経系に直接何かが接続されている。佐倉さんの場合は体の表面から徐々に進行している。日下部さんの場合は——外部から、直接、中枢に」


 外部から。


 誰が。何が。


 「あの世界の何かが、日下部さんに手を加えた。そう考えるのが自然です」


 あの世界の何か。あの森を管理しているもの。あの地脈を操っているもの。


 「園田さん。俺は次に転移が来たとき、あの森に出たい。出て、日下部さんを連れ帰りたい」


 「場所を選べるようになりましたか」


 「わからない。でも前回の夢では視点を動かせた。今回も動かせた。俺の中のあの筋が、地脈に繋がってるなら——意志で行き先を引っ張れるかもしれない」


 「かもしれない、ですよね」


 「かもしれない、です」


 園田が立ち上がった。脳波計の電極を俺の頭から外してくれた。ジェルを拭き取ってくれた。指が冷たかった。一晩中起きていたから。


 「園田さん。寝てください。少しでも」


 「大丈夫です」


 「大丈夫じゃないです。目が真っ赤です」


 「佐倉さんに言われたくないですよ。いつも目の下にくまがある人に」


 言い返せなかった。


 園田が荷物をまとめ始めた。脳波計をケースに入れ、ノートパソコンを閉じ、リュックに詰めた。


 「データは持ち帰って詳しく分析します。明日——今日か。今日の午後には結果を出します」


 「ありがとうございます」


 園田がリュックを背負った。リュックが背中で揺れた。あいかわらず体に対して大きすぎる。


 玄関に向かった。靴を履いた。ドアを開けた。


 「園田さん」


 「はい」


 「さっきの脳波の話。俺の脳があっちの地脈と同じ周波数で動いてたって」


 「はい」


 「それは、俺の脳があっちに乗っ取られてるってことですか」


 園田がドアノブを握ったまま、振り返った。


 「乗っ取られているのか、拡張されているのか。——それは、同じ現象の二つの見方です」


 出ていった。


 一人になった。


 テーブルの上に拓海の財布。森塚の手袋。日下部の手袋。


 「日下部さんの首に変な痕があった。誰かがつけた。あの世界の何かが」


 報告した。返事はなかった。


 足の裏がじんじんしていた。あの筋が動いている。寝ている間も、起きている間も。止まらない。


 乗っ取られているのか、拡張されているのか。


 どっちでもいい。日下部さんを連れ帰れるなら。


 それだけを考えて、朝を迎えた。

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