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魔界世界  作者: 彗
組織

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16/21

第16話「省」


 園田に霞が関まで連れていかれた。


 電車の中で、園田がリュックから書類を出して俺に渡した。A4のクリアファイル。中身は森塚の報告書を園田が要約したもの。五ページ。


 「これ読んでおいてください。先方に渡す資料です。あと、佐倉さんの体験を時系列でまとめたものも入ってます」


 「俺の体験?」


 「私がノートに取った分を清書しました。転移の日時、場所の特徴、滞在時間、持ち帰ったもの、遭遇した現象。全部表にしてあります」


 見た。表になっていた。第一回から第八回まで。日付、推定滞在時間、場所の特徴、気象条件(わかる範囲で)、持ち帰りサンプル数、特記事項。特記事項の欄に「同行者死亡(佐倉拓海)」「同行者死亡(森塚敬一)」と書いてあった。


 二行。二人の死が、表の中の二行。


 「園田さん」


 「はい」


 「これ、出すんですか。俺の名前で」


 「出します。匿名ではもう通らない段階です。先方は前回、サンプルの出所を聞いてきました。森塚先生からとしか言ってなかったので。今回は佐倉さん本人に会いたいと」


 スーツを着てきた。退職してから初めてスーツを引っ張り出した。ネクタイの結び方を忘れかけていた。靴紐はきつく結んだ。


 霞が関。文部科学省。入館手続き。身分証を見せて、来訪者バッジを首にかけた。エレベーターで上の階へ。長い廊下。園田が先を歩いていた。小さい背中。リュックの代わりにトートバッグを持っている。今日だけは大学院生じゃなくて、森塚研究室の代表として来ている。


 会議室に通された。長いテーブル。パイプ椅子。窓からの光。普通の会議室だった。


 先に二人座っていた。


 一人は四十代の男。スーツ。痩せていて、神経質そうな顔。名刺を渡された。文科省研究振興局の課長補佐。森塚の知人。前回園田が会った人間。


 もう一人。


 五十代の女。スーツ。背が高い。髪をきっちりまとめていて、目が鋭かった。名刺を渡された。


 内閣官房。


 名刺に書いてある部署名を読んだ。知らない部署だった。内閣官房の何とか室。長い名前で覚えられなかった。


 「園田さんから概要は伺っています」


 女が言った。声が低くて、落ち着いていた。


 「佐倉悠さんですね。本日はお越しいただきありがとうございます。——改めて、直接お話を伺いたい」


 園田が俺を見た。小さく頷いた。


 話した。四回目だった。拓海。森塚。園田。そして今度は政府の人間。


 「信じなくていいです」とは言わなかった。代わりに事実から始めた。


 「右手を見てください」


 手袋を外した。水ぶくれの跡。斑点。肘まで広がった赤い痕。


 女が俺の手を見た。顔色を変えなかった。


 「足の裏にも痕があります。最初に向こうの地面に触れたときからです。森塚先生はこれを分析して、地球上に存在しない微生物だと結論しました」


 園田がクリアファイルから顕微鏡写真を出した。データのプリントアウト。森塚の報告書の要約。テーブルの上に並べた。


 課長補佐が写真を手に取って見た。眉をひそめた。前回も見たはずだが、何度見ても異常なものは異常に見えるのだろう。


 女は写真ではなく、俺を見ていた。


 「佐倉さん。あなたは転移を自分の意志で制御できますか」


 「できません。いつ来るかわかりません」


 「来たとき、拒否できますか」


 「できません」


 「現在、転移の間隔は」


 「不規則です。最短で四日。最長で十日くらい」


 「次に転移が起きたとき、この場にいる可能性もある」


 「あります」


 女が少し沈黙した。それから、テーブルの上の資料に目を落とした。園田が作った時系列の表。


 「特記事項。同行者死亡。二名」


 声に出して読んだ。


 「佐倉拓海さん。お兄様ですか」


 「はい」


 「森塚敬一教授。東央大学の」


 「はい」


 「お二人とも、あなたの手を握った状態で転移し、帰還時にあなたと接触していなかったために帰還できなかった」


 「拓海は、そうです。森塚先生は——手は握っていました。でも上空から何かに掴まれて、引き剥がされました」


 女の目が少し動いた。「上空から」に反応したのか。


 「その飛翔体について、もう少し詳しく」


 森塚のメモの内容を話した。翼幅十五メートル以上。膜状翼。把持肢複数。頭部扁平。口腔が頭部腹面全体。体表粘液層。降下速度がやばいくらい速い。ロープを引きちぎる力がある。


 俺のメモ帳の言葉そのままだった。


 「この情報は森塚教授が現地で口頭記録したものを、佐倉さんが帰還後に書き起こしたと」


 「はい。先生のメモ帳は先生と一緒に持ち去られました」


 女がペンを置いた。


 「佐倉さん。一つ確認します」


 「はい」


 「あなたは今後も転移し続けますか」


 「たぶん。止め方がわからないので」


 「では、今後もあちら側の情報を持ち帰り続ける」


 「サンプルとメモだけですが」


 「十分です」


 女が課長補佐を見た。課長補佐が小さく頷いた。何かが決まったらしい。


 「佐倉さん。園田さん。お二人に提案があります」


 女がテーブルの上の資料を手元に引き寄せた。


 「この件を、正式な調査案件として扱いたい。予算、装備、人員を含めて。——ただし、公にはしません。極めて限定的な範囲で」


 「限定的とは」と園田が聞いた。


 「関係者以外には一切開示しない。メディアにも、他省庁の大部分にも。佐倉さんの存在も、転移の事実も、サンプルの分析結果も、すべて秘匿扱いです」


 秘匿。


 「理由を聞いてもいいですか」と俺が言った。


 「この情報が外に出たとき何が起きるかは、佐倉さんご自身がいちばん想像できるはずです」


 想像した。メディア。SNS。陰謀論。宗教団体。テロ組織。軍事利用。俺を確保しようとする勢力。俺に触ろうとする人間。


 「……わかりました」


 「それから、佐倉さんの身辺の保護も必要になります。転移のたびに公共の場から消えるのは、いずれ問題になる」


 「もう会社は辞めました」


 「園田さんから伺っています。退職されたこと、現在の生活状況も。——住居と生活費について、こちらで手配させてください。佐倉さんに安定した環境がなければ、この調査は成り立ちません」


 住居と生活費。政府に生活を保障される。23歳の元会社員が。


 園田が俺を見た。「受けた方がいいと思います」という顔をしていた。


 「……お願いします」


 女が立ち上がった。手を差し出した。握手。俺は右手を出した。水ぶくれの手。女は一瞬見て、それでも握った。強い握手だった。


 「改めて。内閣官房の椎名です。今後の窓口は私になります。何かあれば、いつでも連絡してください」


 椎名。覚えた。


 帰りのエレベーターで、園田が言った。


 「内閣官房が出てきましたね」


 「あの人、何者なんですか」


 「わかりません。でも、文科省の課長補佐より明らかに上の人間です。判断の速さが違った。——佐倉さんの手を見ても顔色変えなかった。あの人、何か見慣れてる」


 何を見慣れているんだ。異常なものを。


 外に出た。霞が関のビルの谷間に、夕方の空が見えた。普通の空。灰色じゃない。青くて、雲がある。太陽がある。当たり前の空。


 「園田さん」


 「はい」


 「俺、なんかとんでもないことになってないですか」


 園田がリュックの——今日はトートバッグの紐を握り直した。


 「とっくになってますよ。最初にあの世界に行った時点で」


 言い返せなかった。


 帰りの電車で、窓に映る自分の顔を見た。スーツを着て、ネクタイを締めて、政府の人間と会議をしてきた。三ヶ月前はコンビニのおにぎりを食いながらエクセルを叩いていた人間が。


 拓海が見たら何て言うだろう。「筋が通ったな」とか言いそうだ。


 家に帰った。テーブルの上に拓海の財布と森塚の手袋の切れ端。


 「なんかとんでもないことになった」


 声に出して言った。二人に報告するみたいに。


 返事はなかった。

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